Archive for June, 2011

Tweet   第4回Japan Festivalが LCR/Friendship Task Forceと日本語部の共催で行われます。 Flyer と プログラムをご覧下さい。 Lutheran Church of the ResurrectionJP  (Flyer) 日本語Japan Festival 2011 Hand-out   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書10章40-42節 「心からの歓迎」   “A WELCOME FROM THE HEART” 私たちの主なるイエス・キリストから恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 聖書の中には驚くほど色々なWelcome、歓迎の話しが沢山あります。それを一つ一つ話すなら、今日の説教の長さが4時間ぐらいかかるでしょう。そこで旧約と新約聖書の中にある5つほどの話を紹介しましょう。 皆さんはリベカと言う若い女性を覚えていますか?この人はアブラハムの息子のイサクの奥さんですが、アブラハムは自分の住んでいたカナンの土地から息子の嫁を探すより、自分の一族のいる、それは遠い、遠い故郷の町に召使を派遣してイサクの花嫁さんを探しに行ったのです。長い旅の後、その町ナホルに着きました。アブラハムは召使が旅に出る前に、こう言いました。「ナホルについたら町の中にある井戸に行き、そこで出会った娘に水を飲ましてくださいと頼みなさい。叉その娘がらくだにも水を飲ませましょうと言ったら、その娘こそイサクの妻となる女です」と。この娘の両親は親族のアブラハムと彼の神様を賛美して、リベカをイサクのお嫁さんとして送り出したのです。この経緯を何も知らなかったイサクはリベカを彼の妻とWelcomeし、彼女をこよなく愛したのです。 もう一つの話しはヤコブの12人の息子のうちの一人ヨセフ、それはヤコブが最も愛していた息子と言われていましたが、嫉妬心の強かった兄弟から見放されてエジプトに奴隷として売られた話しです。このヨセフは苦労しながらも彼の才能を認められ、ユダヤ人でありながらエジプトの王様の下で大切な大臣になりました。イスラエルで飢饉が起こり、ヤコブの息子たちはエジプトに食物を買いに来たのです。ヨセフは昔兄弟に裏切られたことは水に流して、叉お父さんのヤコブをも含めてエジプトの地にWelcome したのです。 新約聖書には有名な放蕩息子の話もあります。息子の次男がお父さんに、「お父さん私にあなたの財産の半分を今くださいと言って、お父さんがどう思ったか知りませんが、息子はその与えられた半分の財産を持って家を出たのです。しかしその財産を使い果たした後、この息子は今まで友達と思っていた人も一人もいない、乞食のような惨めな生活の後、やっとありつけた仕事はユダヤ人の一番嫌っている豚の世話をする仕事でした。賃金もろくにもらえなかったのでしょう。おなかが空いて豚の食べているもので自分のおなかを満たしたのです。友達はいない。お父さんの所に帰りたい。でも親父は俺の事なんか死んだと思っているに違いない。それでもいい。親父の足元で、自分は馬鹿な男でした、あなたの召使として使ってくださいと懺悔しようと考えながらお父さんの所にかえって行ったのです。 ところが皆さんが知っているように、お父さん、この息子はいつか帰って来てくれると毎日、毎日、首を長くして待ち望んでいたのです。ルカによる福音書の11章20節にこう書いてあります。「彼はそこを立ち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した。」  英語で言うならまさに、Welcome My Son.  Welcome Home です。ところで、この放蕩息子の話は聖書の中で一番私の好きな話しです。私は神様の愛と私の親父の愛を何時も心の中で強く感じていました。叉自分の娘、息子に対しても、家内のナンシーへの愛情と同じく目に見えない強い絆で結ばれているのです。 イエス様は全ての人を受け入れてくださった方です。5千人の人たちが、Mountain side に集まってイエス様から話を聞きたかった時、5つのパンと2匹の魚でおなかのすいている人たち全てに食事を与えたのです。おなかの空いた人に話してもあまり効果はありません。まさにこれも5千人の人たちにとってwelcome dinnerであったはずです。 ところで、イエス様は、罪人といわれている人たち、徴税人、世間から嫌われていた怪しい女と呼ばれる人たち、病気の人たち、目の見えないもの、歩けないもの、ライ病人をWelcome され、一緒に食事をしたのです。 さて皆さん飛行場、Air Port に行かれた時のこと思い出してください。そこでもWelcome, 歓迎の様子をよく見かけます。飛行機から降りて荷物を取り出すところに行くとハイヤーの運転手さん、あるいは旅行のガイドさんが大きな紙に誰かの名前を書いて待っています。そこで自分の名前を見つけてほっとした人はそこでWelcomeの歓迎を受けるのです。つい最近私の乗っていた飛行機にはイラクに何年も兵隊さんで行っていた人たちでいっぱいでした。その人たちは荷物を受取るその場所で、家族との再会、友達と抱き合って、赤ちゃんを抱き上げてWelcome homeの挨拶を受けました。同じ飛行場で、迎えに来ている人が見つからない、いないとなると悲しくなります。  “Welcome” 「よく無事に帰って来てくれた。嬉しい」 は人と人の 心のふれあいです。そこに喜びと愛が感じられるのです。 牧師として32年の中で、私は何十人ものカップルの結婚式を行ないました。結婚式は二人の人間がお互いに誓う人生の約束です。その内容はどういうものかというと、お互いがお互いを受け入れることです。それは英語で言うなら、 “Welcome into my life for the rest of my life.  Welcome to everything that I am, everything that I have, and all that I will be, those things that we don’t even know that are coming our way.  Despite all these、 I welcome you.”と言うことです。 私はここに来て今や1年半になります。時間の経つのって早いですね。あっという間の一年半でした。この教会に私の前に牧師として働いてくださった高塚先生、田中先生、伊藤先生、元日本で宣教師でした、スティンバーグ先生に今ここにあるこの復活教会の日本語部への働きを感謝すると共に今ここに集う一人ひとりの上にも感謝を捧げます。 私たちがこれからも大切にしたいことは、人と人の付き合い、関係を深めることです。その中で、イエス様からいただいた愛を私たちの態度で示して生きたいのです。前にも言いましたが、聖書の中にはすばらしいWelcome,歓迎の話しが沢山あります。私たちの教会は叉、毎週聖餐式を行ないます。イエス様の体と血をパンとぶどう酒の形で受け取ります。多くのプロテスタントの教会では聖餐式を毎週行なう所は余りありません。勿論、カトリック教会、エピスコパル、聖公会の教会では毎週聖餐式はあります。殆どの教会では、洗礼を受けていない人は聖餐にあずかることができないといわれますが、私はその処をこのように考えるのです。聖餐式のホストは 牧師、神父、法王、祭司ではありません。ホストは神様、イエス様自身です。 イエス様をもっと知りたい、イエス様の人格に触れたい、イエス様の愛を知りたい、イエス様の教えについていける人間になりたいと思われている方全てに私は聖餐を受け取って頂きたいのです。聖餐式はマジックではありません。聖餐に預かることで、わたし達はイエス様を私たちの心の中に受け止めるのです、いや、それ以上に、イエス様はあなたの心をご自身の住家とされるのです。 同じようにイエス様を信じますと宣言することはイエス様が私たちの心に入って来てくださることです。イエス様を着るという表現もありますが、それもイエス様を私たちの心にWelcome することです。私はここの教会がこのWelcomeの精神で神様に喜ばれる所、そして多くの人がイエス様の福音を多くの人に聞いていただく所となるよう祈ります。最後に英語で祝福の言葉を聞いてください。 May God bless you in our continual journey and may God bless us all with welcome and with the desire to truly continue to welcome one another from the heart.  Amen.                   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   2011年7月の予定   7/3、10、17、24 キリスト教入門講座                                   10:00AM        Bercaw Hall 7/6、21                事務打ち合わせ                                                    1:00PM     JM Office   7/7、14、28      聖書を読む会                                   10:30AM Joyce’s Library 7/12、26      アーバイン家庭集会                               10:30AM  愛子G.宅  7/14                         CCN主催シニア教室 ランチ                       11:30AM Bercaw Hall               「健康の自己管理」  クラス                    12:30PM Bercaw Hall  7/30       ジャパン・フェスティバル Ⅳ                       4:00PM LCR                                 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   2011 7 Calendar C Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2011年6月26日の週報 週報通算番号#1170 Sunday English Bulletin 1170 English Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書28章16-20 「三つ揃いの神様」  “God in Three-piece Suit” 神と私たちの主イエス・キリストを知ることによって、恵みと平安とが、あなた方に豊かに加わるように。アーメン。 Boston, Massachusettsのカトリック教会の大司教であったCardinal Cushing は、Kennedy 一族の友達で、この人はJohn F. Kennedy 大統領とJacky さんのWedding をあげた人です。このCushing 大司教はマスコミと仲がよく、自分の意見を堂々と新聞や雑誌に出した人です。彼についての逸話という本の中でPaddy  McGuireというアイルランド人のプロ・ボクサーについて書いてあるのを紹介しましょう。 Paddy McGuire は或る日、車にはねられ、病院に運ばれました。そこにCardinal  Cushingさんは駆けつけて死にかけているPaddy McGuireにこう質問したのです。 “Paddy, do you believe in God the Father, God the Son, and God the Holy Spirit?” 日本語で言うと、「パデーさん、あなたは父である神様、子である神様、そして聖霊なる神様を信じますか?」片目を少しあけてPaddy さん、こう答えました。「私が死にそうなと時に大司教はなんていうなぞなぞを私に聞くんでしょう」と。 さて今日は教会の暦で三位一体の日です。三位一体とはどういうことですかと、キリスト教について色々な疑問を持っている人たちからよく質問されます。私たち日本からの者は神様が人というのは天皇陛下が、神道の中で生人(いきびと)と呼ばれているので分かるような気もしますが、神様は父であってわたし達は子であるというと意味は分かるようで、なかなか分かりません。聖霊というという言葉は漢字で見ると聖なる霊ですから, 日本人には成仏した魂と考えられるかもしれません。 神様は私たちを罪から救い出すため、それは私たち全ての人たちが起こした罪をイエス様という神様自身が背負って十字架に架かって死んでくださった。しかし神様自身が、私たちのために死ぬとは、どういうことでしょう? そんなに神様は私たちを大切の者と思ってくださっているのでしょうか? はっきり言って私は自分の子どもが大きな病気にかかって苦しんでいるとしたら、この私が自分の子どもの代わりになって、その苦しみを取り去ってあげたい気持ちは多いにあります。子どものために、死んでもいいという心構えも在ります。しかし、キリスト教の神様は、一人だけでない、特定の人のためだけではない、全ての人の罪のために死んで、私たちを救ってくださっているのです。全ての人のために死ぬということは、私たちを黄泉の世界から守ってくださることです。 今日は父の日でもあります。母の日に比べると父の日は下火ですが、聖書の中で言われているように、わたし達は両親に感謝をしなければなりません。わたし達は両親がいたからこそ、いるからこそ、今ここにいるのです。 一年前の6月12日私は日本からの電話で父が亡くなったことを知りました。家内のナンシーもこの6月2日にお父さんを病気で亡くしたのです。ですから今日、父の日はまだ生傷に塩を振り掛けられた想いです。しかし、私たちのお父さんはあなたと共にいることを信じるとき、心の慰めが与えられるのです。 三位一体の話に戻りましょう。三位一体の聖霊とは何でしょう? クリスチャンにとして、それは人生の中で私を導いてくださる力であり、ガイドなのです。人生の中でどうしていいか分からない、どのような生き方をしたらいいのだろうと考えるとき、神様は聖霊という導きと生きる力を与えてくださるのです。私たちの多くは仏教の影響を受けてきたのは当然です。皆さんが好きな日本の作家に遠藤周作さんというカトリックで、「沈黙」という素晴らしい本を書いた人がいます。この人はキリスト教徒ですが、仏教の教えもよく勉強した人です。私が人生の中で、出会ったクリスチャンの中には、世界の宗教をよく勉強している人が多いのです。それはキリスト教がどの様に他の宗教と違うのかを知りたいという思いがあるからでしょう。しかし驚くほどに、キリスト教の熱心な信者の中には、自分と違う宗教を否定するというより、共に人間として、わたし達は何の宗教の信者でいても、此の世でどの様に貢献することができるのか、それを人間としての課題として考えてみたいと思っている人が沢山いるのです。特に私たち同じ人間と言っても、物がある人とない人の差があまりにも多すぎます。私たち今ここアメリカで暮らしている者は世界のうちのトップ10%の生活水準を保っているのです。しかし世界の50%の人口は何時もおなかのすいている人たちです。わたし達はそのような世界の兄弟、姉妹に手を差し伸べる義務があります。イエス様が下さったものを分け与えることはキリストに従う私たちの義務であり喜びです。 さて皆さんから、岸野先生、今日の説教はずいぶん説教の題から脱線しましたねと言われてもっともですが、時には説教の中で今わたしが心の中で思っていることをブレーキをかけずに語らせてください。というのは私の発言もある時は神様がわたしの心の中に聖霊を注いでくれた結果であるからです。 去年の説教の中で、神様の父と子と聖霊という3つの現れ方は、H2Oが氷という固体、水という液体、蒸気という湿けとして現れますが、どの一つも同じH2O だということだと言いました。神様は創造主である父、神様の子であるイエス様は救い主、そして聖霊は、私たちを導く力なのです。 私の家族は食事の時、このような祈りをします。それは、 “God is great, God is good, so we thank Him for this food.  For by his hand we are fed: Thank you Lord, for our daily bread.  これは本当です。私たちの神様は私たちをこよなく愛してくださっているのです。この神様はOmnipotentというラテン語の言葉、それは, All powerful,  Omniscient それはAll knowing、そしてOmnipresent それはAll present という言葉でも表されるのです。  私たちの神様はこの世界、いやそれ以上にこの宇宙を司どる神様です。この宇宙の存在のはじめからいらした神様は砂粒のような私たち一人ひとりを知っています。どんなに小さい私たちであってもわたし達は、神様の愛からはずれることは在りません。私たち一人ひとりは神様の宝物なのです。その宝物であるわたし達は決して神様より見放しされません。叉この神様は私たちのところに赤ちゃんとして来てくださったのです。神様であり、人であるのです。お母さんのマリアさんとお父さんのヨセフさんいに、しっかり抱かれて、キスをされて育ったのです。人間の心をよくつかんで生きてきたのです。一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に祝い、一緒に人生の全てを経験したイエス様です。 このイエス様に此の世に生まれたわたし達すべては、愛されてきたのです。愛されているのです。これからもずっと、ずっと愛し続けてくださいます。  このイエス様がいるからこそ、わたし達の人生に失望はありません。私たちの人生はイエス様に愛されたという喜びと希望で満ちているのです。私たちの罪も赦されているのです。わたし達はこのイエス様を信じることで、人生を思い切って生きる、楽しむ、一緒に励まし合い、一緒に助け合うことができるのです。 わたし達は幸福です。教会に来て神様の言葉を聞くことができる、一緒に聖餐に預かることもできる。生きる喜びも、何時か神様のみ許に帰る時も神様ありがとうと言える素直な心が、育つようにこの日を感謝して神様を賛美しましょう。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   2011 6 19W Sunday English Bulletin 1169 english 週報通算#1169  ”   #1169E (英語) Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 「聖霊に満ちた人生」  “Life filled with the Holy Spirit” 私たちの父である神と主イエス・キリストから恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン 皆さんのうちに色々な特技を持っている人がいます。短歌の上手な人、お花、お茶、料理、習字、着物の着付けの専門家もいます。私の特技は水の中にもぐり3分間、息を止めることです。小学校の時から夏の体育のクラスは水泳でしたが、25メーターのプールの底を潜水してゆっくり泳いでいると、そこで生きているのか、溺れているのか心配された先生に何時も叱られました。家内のナンシーも今でもプールの底でじっとしている私を見つけると, “Are you alive or dead.  Stop doing this stupid act” と怒鳴られます。勿論自分で限度は知ってますから一度も気を失ったことはありません。 わたし達は何時も息をしている、空気の中にある酸素を肺に入れることができるから生きていけるのです。赤ちゃんが生まれて最初にすることは自分で息をすることです。お母さんに臍の緒で結ばれていた時は息はしていなかった、しかし生まれてはじめてこれから生きるために息をする。泣くことによってそれが始まり、人生の終わりまでひと時も休むことなく、続くのです。息をするという大切さを考えてみたいのですが、まず今日は聖霊降臨祭、英語ではPentecost と呼ばれる日のことをお話ししましょう。イエス様が十字架に架かってなくなった Good Friday から3日経ってイエス様は復活されました。復活されたイエス様は弟子たちと、またイエス様を慕う人たちと40日間一緒にいたのですが、天に戻り、復活後50日目に神様の聖霊としてイエス様の弟子、イエス様は神様から送られた救い主と信じて集まっていた人たちの上に留まったのです。 その聖霊の現れ方は今日の使徒言行録と福音書の中でとても違う形で来たのです。使徒言行録の記事によると聖霊はイエス様と集まっていた大勢の人たちに激しい風が吹いてくるようなような音、そして炎のような舌が一人ひとりの上にとどまったと書いてあります。その一方、12弟子たちが始めに聖霊を受けたのは、甦ったイエス様がドアの鍵を閉めて不安におののいていた弟子たちの所にすっと入って来て、釘のあとがある手とわき腹を見せた時です。彼らに息を吹きかけて言われたのです。「聖霊を受けなさい」と。 私が新しい教会伝道を始めたテキサス州の南ダラスには聖霊派の教会がたくさんありました。それは英語でPentecostal Church と言われています。 これらの教会は,はじめから終わりまで、礼拝の中で座っているというよりも、立っている、そして両手を高く上げて神様を賛美する、またそこでは、言葉にならない口から出る異言が話されています。そして異言を語りながら礼拝堂の中でまさに踊りだすような人たちもいます。どうしてこのような形で礼拝が行なわれるのかと聞いたところ、それは聖霊が一人ひとりに降りてきたからだといわれました。そこの教会の人たちは、毎週、毎週、聖霊によって踊りだす、異言を語る、それこそが本当の礼拝の形だと言うのです。私はそれがよくないといっているのではありません。教会によって礼拝の仕方は違います。しかし私たちの多くは聖霊を心の中で何か私たちを動かすものと感じる、そこでまた、涙、それも、悲しい涙ではなく、神様、ありがとうという形での涙で現れるのではないでしょうか。 皆さんから岸野先生、あなたは涙もろい人ですねといわれますが、これは聖霊によって私の心が動かされる時に起こるのです。神様の聖霊に触れる時、私は心が和らぎ、涙が出てしまうのです。ですから「先生、皆さんの前で泣かないように」といわれてもそれが守られないのです。 先に聖霊は息という形として現れるといいましたが、息と言う言葉は聖書の中で何回も見い出されます。聖書の一番最初の創世記の2章に神様は土それはヘブル語でアダマによってアダムを形作り、その鼻に息を吹き入れられたと書いてあります。へブル語で息は「ルアーハ」と発音されます。この言葉を皆さん口に出して言ってみてください。「ルアーハ」です。この言葉自身が何かを投げ込むような感じの言葉ではないでしょうか?息は前にも言ったようになくてはならないものでそれはSpirit,聖霊とも訳されるのですから聖書の中で人間とは聖霊を与えられる者と考えてもいいでしょう。 さて、今日の旧約聖書の日課、エゼキエル書37章は有名な枯れた骨の復活の話しです。預言者エゼキエルは、主の霊によって連れ出され、ある谷間の真ん中に降ろされ、そこに骨をいっぱい見出したのです。。主はエゼキエルに言いました。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。私はお前たちの中に霊を吹き込む」。するとお前たちは生き返る。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。この話の中でも、霊と息とが一つになって神様からいただいく命となるのです。 Elton John という有名なイギリス人の歌手を知っていますか?この人はプリンセス。ダイアナのお葬式の時ソロで歌った人ですが、彼は幾つもの素晴らしい歌を自分で作曲し、歌っています。その中に私の大好きな歌、 “Something about the way you look tonight” の歌詞を紹介しましょう。 “I need to tell you how you light up every second on the day.  But in the moon light you just shine like a beacon on the bay.  And I can’t explain, but it’s something about the way you look tonight takes my breath away.”  “Take my breath away” とは日本語でどう訳せるでしょうか? 何か素晴らしい経験をした時、それは富士山の頂上に朝の4時半たどり着いて日の出のご来光を経験した時、自分の子どもが生まれてはじめてその子を腕の中に抱いた時、ボケが進んだお母さんが、私の顔をじっと見つめて、「あんたに会ったことあるよね。でも誰だったけ?ゆうちゃんみたいな顔してるけれど」 それを聞いて嬉しさに泣き出したこともありました。なんと素晴らしいことでしょう。生きていて良かった。神様ありがとうといえる心の感動こそTake my breath away ではないでしょうか?   死んだと思っていたイエス様がイエス様を慕ってきた人たちに現れた、そして私と何時も一緒にいてくださると約束してくださった。叉、決して私たちを見放しませんと約束してくださった。その神様は今ここにいるのです。 ここで今一緒に礼拝をしている皆さん、それは私も含めて、イエス様と呼ばれる神様にしたがって生きることを約束された人たち。まだ全てのことがわかりませんが、私たちを愛してくださる神様のことが少しでもわかるようになりたい。わたしの心の中でイエス様の愛を育てたい。人生もっと他人を大切にして生きてゆけるようにと願っている人たち。それが私たちです。 十字架で死んだイエス様は3日後に甦り、天に昇り、このペンテコステといわれる日に人々に現れました。その後もイエス様は私たちのところに来てくださっているのです。私たちの祈りの中にイエス様はいらっしゃいます。私はこの復活教会にイエス様の聖霊が注がれていると信じます。勿論わたし達は完璧ではありませんが、一人の人が病気の時、気落ちしている時、家族、または友達の中で人間関係に悩む時、どうか心を謙遜にして祈ってください。そこで聖書の中で言われているFruits of Spirit,それは、Love 愛、 Joy 喜び、 Peace 平安、Patience 忍耐、 Kindness 親切さ、 Goodness 善良さ、 Faithfulness 誠実さ、 Gentleness 優しさ、 そして Self-control  自制を私たちの生活の中で実行していけるようイエス様に祈りましょう。 私はこの教会に招聘される前に教会の役員の人に聞かれました。あなたのこの教会でのゴールは何でしょうか?と。それについて私はこう答えました。「この教会が一人ひとりを大切にする所になるよう神様に導かれた教会になることです。」 私たちが他人との関係を神様の霊を持って築く時私たちの救い主、イエス様は神の国を今ここで実現させてくださるのです。アーメン。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet                                         2011年6月の予定     6/2、23、30           聖書を読む会         10:30AM     Joyce’Library  6/2、23                   事務打ち合わせ                    1:00PM         JM Office  6/5、12、19、26   キリスト教入門講座       10:00AM            Bercaw Hall 6/5         日本語部信徒会      軽食後           T. Hall  6/9                                      Getty Center 見学       9:00AM~3:00PM            6/13、20                ラインダンス            1:00PM          Bercaw  Hall 6/14、28                   アーバイン家庭集会     10:30AM           愛子G.宅  6/19                  父の日、6月お誕生会     礼拝後        T.  Hall   Scheduleに変更があった場合は事前にお知らせいたします。          Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace