Archive for July, 2012

Tweet ヨハネによる福音書6章1-21節「奇跡のメッセージ」“The Message Behind the Miracle”   私たちの父なる神と、主イエス・キリストから恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 私が両手にバスケット・ボールを持つ時、それはただ単に、バスケット・ボ-ルですが、それが今年National Basketball Association の最優秀選手に選ばれた、LeBron James の手に渡ると得点に代わるのです。Wimbledon  Tennis Tournament でテニス・ボールがRoger Federer と言う世界一のテニス・プレーヤーの手に渡され、ラケットで打たれると、それが得点となり、世界一のランキングにつながるのです。ここで言われることは、ただ、一つのボールでも、ある人の手に渡されると、素晴らしい結果が出てくると言うことです。それは神様についても同じです。考えてみてください。五千人もの群集が、イエス様の話を聞きに山を登ってきている。しかし群集は、疲れている、お腹もすいている。 イエス様はフィリポにこう言いました。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と。こう言ったのは、フィリポを試みるためであって、ご自分では何をしようとしているか知っておられたのである」と福音書は書いてあります。フィリポの心の中で、「イエス様、冗談やめてください。5千人分の食べ物を売っている所なんてどこにもありませんよ」と言いたかったのではないでしょうか。 その時,弟子のアンドレが5つのパンと二匹の魚のを持っている子供をイエス様の前に連れてきたのです。この子供は両親から言われて、これをイエス様の所にもって行きなさいと言われたのかもしれない。或は、この子ども自身が、イエス様ならこの食べ物を奇蹟で多くの食べ物にしてくれると思い、イエス様の所にきたのかもしれない。アンドレ自身はこれだけの食べ物でイエス様は何ができるでしょうかと考えたかもしれません。しかし、わたしは、アンドレの心の中に、イエス様は何かできる方との確信があったと思うのです。そこで、アンドレの紹介により、イエス様は5つのパンと二匹の魚を子供から受け取ったのです。 これだけのパンと魚がどうやって5千人の人たちのお腹をいっぱいにすることができるのかと誰でも疑うのは当然でしょう。それでもイエス様は5千人の人々を草の上に座らせて、「このパンをくださった神様に感謝します」と言い、みんなが満腹になった後、パン屑を集めると、12の籠にいっぱいになったのです。ある人は、何故こんなに食べ物が残るほど出てきたかと言う質問に、「実は5千人の中にはお弁当を持った人も沢山いたのではないか、パンと魚が配られる中、お弁当を持っていた人達は自分たちの食べ物をみんなにわけ与えたのではないか。だからこそ、イエス様は、みんなが食べ終わった後に、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われ、その残りものは12の籠にいっぱいだったのではないでしょうか。何故そんなに多くのレフト・オーバーがあったかと言うと、それはイエス様が、generous ,寛大な神様だからです。皆に心ゆくまで食べて欲しかったからです。ですから、私は、この奇跡が、どのように起こったのかということに焦点を置くよりも、イエス様によって、お腹のすいていた人たちが、祝福されたと考えたいのです。祝福された私たちは、その祝福を私だけに与えられたというより、私たちによってその祝福を分かち合うところに神様の御心を読み取ることができるのです。 ヨハネによる福音書6章35節にこう書いてあります。「わたしが命のパンである。私の元に来る者は、決して飢える事がなく、私を信じる者は、決して渇く事がない」と。食べることができる。食べるものがあるとは幸福なことであるのはもちろんです。聖書の初めの人間アダムとイブもエデンの園に連れられて来たその日から果実を受け取り彼のお腹を満たしたのです。 出エジプト記の中に、奴隷として働かされていたユダヤ人がエジプトの土地から逃げ出したのは良かったのですが、40年にわたって荒野でさまよっていた時の神さまへの文句は何かといえば,何時もお腹がすいていたことです。そんな時、彼らは言いました。「私たちがここで死ぬより、エジプトで、奴隷でいた時のほうがましだった。それは食べるものがあったからだ」と。 3日前のCNN のニュースで、アフリカのマリという国で、過激派のアルカイダが、この国を荒らしまわり、多くの難民は食べ物もなく途方にくれているという報道をテレビで見ました。この国には Timbuktu と呼ばれる古代文明それも砂漠の中にある有名な、アラビアの駱駝の商隊がアフリカのサハラ砂漠の中でキャラバン・ルートの一番古い町です。みなさんが知っているシルク・ロードの中にある町と同じようなところです。それが今アルカイダ、イスラム教の過激派に占領され、町の住民は食べ物もなければ、自分の家も失い、住むところもない状態です。マリというこの国は、クリスチャンの国ではないから私たちに関係ないと思われる方もいるかもしれません。しかし私たち、イエス様に従うものは、宗教を問わず、困っている人たち、難民となってこれからどのようにして生きていったら言いのだろうかと途方にくれている人たちを私たちの祈りに覚え、神様が施しと慰めの手を差し伸べてくださることを願うのです。 イエス様の元に来た人たちの多くは、イエス様に何かをしてもらいたいと来た人たちがいたのを私たちは聖書中で読むのですが、私達が、イエス様から一番いただきたいものは、イエス様は私たちを見放すことはないとの確信です。私たちはイエス様の奇蹟にいつも驚かされるのですが、本当の奇蹟は反対に、イエス様によって私たちはイエス様を信じる心をいただいているということではないでしょうか? 私の両親は私の生まれる前からクリスチャンであったことが私人生の中で、大きなギフトであったことは確かです。わたしは、イエス様を私の先生、私の慰めぬし、私に勇気を与えてくれる方と信じます。イエス様は、神様が私に下さった、かけがいのないギフトです。 皆さんも、同じ神様からのギフトをイエス様から受けているのです。私たちの住むところ、食べ物、私たちの健康、私たちの友達、私たちの家族、私たちの神様と会話をする祈りも、すべてイエス様からいただいたギフトです。 ヨハネによる福音書6章35節にこう書いてあります。イエスは言われた。「私が命のパンである。私の元に来る者は決して乾くことがない」と。このイエス様の言葉を言い換えるなら、「私があなたに食べるパンを与えることが、そんなに素晴らしいことであるなら、覚えてください。あなたがたが、本当のパンをいただくことは、私、イエスが、あなたの命の中にいることですよ」と。 イエス様がいつも共にいらしてくださることを知る私たちは幸福です。イエス様の愛を知ることにより、自分ひとりでできないことも、神様の手と足となって、私たちの隣人を愛することができるようになるからです。少しでも隣人を大切にすることにつながるように私たちはイエス様に祈るのです。アーメン。         Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 主イエス・キリストの恵みと平安が会衆一同と共に豊かに与えられますように。   今日、7月にクリスマスを祝うことを知らずにこの礼拝に来られた方、いらっしゃると思います。 「こんな予定ではなかったと。クリスマスはそもそも冬の12月に祝うものなのに、なんで夏に祝うの?」と思っていらっしゃるかもしれません。でも、ようこそいらっしゃいました。 あるいは、「7月のクリスマス」という言葉に馴染みのある方でも、言うまでもなくクリスマスは冬に祝うものという暗黙の方程式を感じている方々もいらっしゃるでしょう。7月にクリスマスソングを歌い聞くとは、どうも方程式に沿っていないというご気分の方々がいらっしゃると思います。  あなたの現在の人生を振り返ってみてください。「私の人生、こんな予定じゃなかった。」と言われる方、いらっしゃるのではないかと思います。 聖書の話から、ヨセフとマリアは、彼らの婚約期間にどんな心境だったかを見てまいりたいと思います。 さらに、羊飼いたちにとっても、イエスキリストの誕生について、どんな気持ちだったのか考えて見ましょう。 今日与えられた聖書の箇所からさかのぼること9ヶ月か10ヶ月くらいでしょうか、乙女マリアは天使からお告げがあり、「神の意思によって、あなたは妊娠し赤ちゃんを授かる、その子は、いと高き方。」と言われます。 そんなことは、もちろんヨセフとマリアの方程式には入っていませんでした。  実際には、確かに妊娠して、誕生の時期が近づいてきました。 しかし、そのような時期に、住民登録の関係で、ヨセフはマリアをつれて、ベツレヘムに旅行をしなければならなくなりました。「それにしたって、ベツレヘムで宿くらいはみつかるだろう。」と思って出かけたことでしょう。ところが実際は宿も見つからず、思いもしなかった場所でイエスが生まれる状況におちいります。それは馬小屋でした。 マリアとヨセフは、馬にえさを与えるいれものの中に布にくるんでイエスを寝かせました。 これまた、ヨセフとマリアの方程式には入っていなかったことです。 そのころベツレヘム近郊には、羊飼いたちがいました。 そこに、天使からお告げがあり、「飼い葉おけに寝かせた赤ちゃんをベツレヘムで見つける、その赤ちゃんが、世の救い主だ。」と言われます。 羊飼いたちにとって、そんなバカなと思えるようなことだったでしょう。 しかし、そのとき、ほかの多くの天使たちが、最初の天使に加わって、大合唱をはじめました。 「いと高きところに栄光、神にあれ。地には平和、御心の適う人にあれ。」との大讃美です。そして、羊飼いたちは、そんなに天使たちが讃美するならと、実際にベツレヘムの街中に出かけてみることにしました。 すると確かに、飼い葉おけに寝かされた赤ちゃんを発見し、その子が、神の子、救い主、平和の御子と信じることになったのです。   マリアから生まれたイエスは、すくすく成長し、若いころは父親の職業をついで大工になりました。 しかし、突然、大工の道からはずれ、宣教の道にはいり、3年後には十字架にかけられ殺されてしまいました。そのとき、おそらくマリアは四十代半ばだったと思いますが、自分より先に長男が悲惨な十字架刑により亡くなるなどとは、全然、彼女の方程式には入っていなかったことでしょう。   しかし、それから 2000年後、世界で20億人もの人々が、毎年すくなくとも一回はイエスキリストの誕生を祝い、また、イエスが復活した日曜には毎週イエスを礼拝しているのです。これは、人間が考えだした方程式ではなく、神のみ心によって成り立っている方程式なのだと思います。 今日読んだクリスマスのストーリ、さらに、イエスの生涯、さらにキリスト教会の発展は、いったい何を私たちに物語っているのでしょうか?  すくなくとも、私たちは、今日の聖書箇所からは、どこにもイエスキリストが生まれたのが12 月25日だとは書いていないことは自明だと思います。ちなみに聖書のどこの箇所を読んでも、イエスが生まれたのは、12月25日だとは書いてないのです。 北半球に住んでいるわれわれにとって、とかく、キリストの誕生は12月の冬に祝うものだという感覚がありますが、南半球に住む方々にとっては、夏にクリスマスを祝うという経験をしています。また、赤道付近にある国々にとって、クリスマスは冬ではありません。よく言われることは、キリスト教は南でのびているというのです。 20世紀を振り返るとアフリカや東南アジアでキリスト教徒が非常に増えたというのです。たとえば、インドネシアにはHKBPというルーテル教会がありますが、その信徒数は400万人を超えて、おそらくアメリカ福音ルーテル教会の信徒数より増えているのです。夏の気候や、赤道直下の気候の中でクリスマスを祝っている方々にも、まちがいなく、この世にイエス・キリストが生まれた喜び、キリストの愛は、伝わっています。さて、この話が、南カリフォルニアとハワイで伝道をしている、パシフィカ教区、さらに、この復活ルーテル教会にとって、どういう意味があるのでしょうか? パシフィカ教区には118の教会がありますが、その半数以上、65教会は1950年代、1960年代に建てられた教会です。建てられたときの戦略は、中西部からこのカリフォルニアやハワイにやってくるルーセランを、教会に招いて、各個教会が成長しようという方程式でした。それは、その時代は有効な方程式だったと思います。しかし、80年代90年代になってくると、様相は大きく変わっています。 わたしたちは、ルーテル教会にきている家族の次世代の子供たちは、現在礼拝をしている人々すべてにとって変わることはないだろうという話を聞きます。 しかし、この復活ルーテル教会を見てください。ちょっと質問をさせていただきたいのですが、私はそもそもローマカトリック教会、あるいは正教会系の家庭で育ったという方、、、おそらくかなりいらっしゃると思います。 ようこそ復活ルーテル教会にいらっしゃいました。 あるいは福音派プロテスタント教会に行っていたという方もいらっしゃることでしょう。 ようこそ復活ルーテル教会にいらっしゃいました。 あるいは、わたしは、過去とくに教会にはいってませんでした。 あるいは、いまだに信仰があるのかどうかよくわからないという方いらっしゃるかと思います。 ようこそいらっしゃいました。 なぜなら、お一人お一人、だれかからの誘いでこられたのかもしれませんが、真理は、神の呼びかけがあって、今日この場にこられているからです。   私自身は、日本のロシア正教会で、洗礼を授けられた人間です。それでも、神の慈しみ愛の中で、神が導かれた過程を経て、アメリカ福音ルーテル教会の牧師にさせていただきました。10年前まで、その ようなことは、私が計算していた人生の方程式には全くありませんでした。  また、48年前にはじまったこの教会で、24年後には日本語でのミニストリーがはじまり、その48年後には、一人の日本人牧師が子供向けのメッセージを担当し、もう一人が説教を担当するということが起こっていますが、このようなことは、復活ルーテル教会がはじまったときの方程式では、まったく計算されていなかったことだと思います。 最後に、忘れてはいけません。 代々、私の家系はルーテル教会の家族で、今日もこうしてルーテル教会に来ましたという方もいらっしゃることでしょう。 本当に、異なる文化、異なるキリスト教会の宗派の人々を受け入れてくださって本当にありがとうございます。  今日、7月にクリスマスの箇所の聖書を読んだことから、とくに申し上げたいことは、わたしたちが考え得る方程式をはるかに超越した神の思いと恵みが、マリアにヨセフ、そして羊飼いたちに働いたように、私たち一人一人の上にも働いています。 どうか過去の方程式にとらわれず、聖霊の働きによる新しい方程式に導かれて、神の使命のために仕えましょう。    メリークリスマス。         Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報:通算#1220w(日本語) 2012 7 29W 週報:通算#1220E (英語) Sunday English Bulletin 1220E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet Aug 2012 Calendar   今月はVacation Bible Schoolがあります。 7月30日~8月3日まで 民さん、毎日のボランティアご苦労様です。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 私たちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 牧師さんの殆どは、キリスト教に関心を持つ人達に、聖書に親しむために一番最初に読んで欲しいのは福音書です。私は聖書を初め創世記から読みたいという人もいます。創世記自身は読んでその話の内容が面白い、考えさせられる、と感じる方も沢山いるのですが、ユダヤ人の守るべき律法の本、レビ記などを読み始めると、これは何のことを言っているのかわからない、つまらない本だ思う人も多くいるはずです。 私の母は、敬虔なクリスチャンですが、聖書と言うとやはり新約聖書、それも福音書のイエス様の話を私がまだ幼い時に物語として語ってくれました。わたしが旧約聖書を真剣に読み出したのは、立教大学のキリスト教学科に入ってからのことです。旧約聖書の中に多くの預言書といわれる本があります。それは預言者といわれる人が書いたイスラエルの歴史の中で、神様から、神様の言葉を預かり、その言葉をイスラエルの人々に伝えたのです。 皆さんの中で、預言をすることのできる人を知っていますか?  もうそろそろ一年半になる東日本の大震災のことについてそれを予言した人たちのことが日本のウエブ・サイトでたくさん出てきます。この場合の予言は漢字で予言、その意味は未来を予測して言うこと、未来のことを言い当てることであり、聖書の中で出てくる預言は、ユダヤ教、キリスト教で、神様から受けた啓示を人々に伝えること、また、もっと端的に言えば、神様の言葉を預かって語ることです。 聖書の中には48人の男と7人の女の預言者が出てきます。それには、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、エリ、サムエル、ダビデ王、ソロモン王も入りますが、多くの預言者はイスラエルの国が、北と南に分かれたころからの国の乱れが出てきた時に、神様の元に戻れと呼びかけているのです。 特に有名な預言者であるイザヤはイスラエルの人たちに、彼らの神からは慣れてみだらな生活をしている者の生活を批判しながらも、慈しみに満ちる神様が、もう一度地上に現れる。その方こそが、私たちの待ち望んでいる神様なのだと宣教したのです。 さて今日与えられた聖書の日課、それは、アモス書とマルコによる福音書の中で与えられた預言者の言葉の内容を考えて見ましょう。 アモスは職業が、ダビデのように羊飼いであり、また、イチジク桑の世話をしていた紀元前750年前の預言者です。この時代にユダヤ人の国は、政治的な問題によりイスラエルの国が二つに分かれたのです。北は、サマリア地方を含むイスラエルと言う国の名を付けたのですが、南はエルサレムを中心とするユダと言う名の国となったのです。 今日の福音書の中で出てくる洗礼者ヨハネは、イエス様と同時代の預言者であり、イエス様のお母さんとヨハネのお母さんとは従兄弟同士であったのを皆さんご存知だと思います。この二人が共通に嘆いたことは、国の政治が乱れていたことであり、宗教のリーダーも堕落していたことです。 金持ちは自分たちだけの利益、また宗教のリーダーも自分たちの面子を守ることに固執して、世の中の貧乏人、病気の人たち、職業のない人たちに、何らかの慈しみを与えることさえ考えることもできなかったのです。 どこの国にも、繁栄した時があり、後退する時があります。敵は、そのような堕落した国の政治とその国の内政が乱れた時にやって来て、その国を滅ぼすのです。また国家が繁栄していると思われる時、すでに、内部から崩壊が始まっていることがあります。それは地上の色々の国が、あらゆる時代を通して経験してきた事実で、権力につくものに、自分は絶対者であると言う意識が出てくるのです。 紀元前1400年のころ神様はモーセを通してイスラエルの人たちに、律法を授けました。その後、カナンの地に定住したイスラエル民族は、モーセから400年がすぎて、ダビデ王によって、自分たちの王国を確立しましたが、紀元前933年にダビデ王の孫、レハべアム王の時代に、北イスラエル王国と南ユダヤ王国に分裂したのです。 この北にあったイスラエル王国は、紀元前721年に、アッシリア帝国に滅ぼされ、住民は皆捕虜として、バビロニアまで奴隷として連れて行かれたのです。 神様はイスラエル民族が、カナンの地のおいて、どう生きていくかについて、モーセを通して律法と言う形として教えてきたのです。それは第一に、「あなた方の神、主である私は聖なる者であるから、あなた方もせいなるものにならなければならない」と宣言し、具体的なこととして、「父母を敬うこと」、「安息日を守ること」、「偶像礼拝をしてはいけないこと」また、神様に対して聖であると言うことは、隣人を愛することであるとして、「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」と教えたのです。 その具体的なことは、在留異邦人のため収穫の落穂を残しておきなさい、隣人を虐げたり、盲人をつまずかせてはならない、と言うことです。 しかし、北イスラエル王国の歴史は、まさにその教えを踏みにじるようなものでした。北イスラエル王国が誕生した時の王様、ヤロボアムは、国の民が南のユダヤ人のエルサレムまで行って民の心が北イスラエルから離れることを恐れて、金の子牛を作り、それはユダヤの民をエジプトから救い出した神であると言って礼拝することを求めたのです。 預言者アモスは、イスラエルの民が犯した罪を指摘していきます。神様はアモスを通して、北イスラエル王国にその滅亡と捕虜になってアッシリアに連れて行かれることを預言したのです。 旧約聖書はユダヤ人のためのもの、新約聖書こそ民族をこえたすべての人を救う神様の愛が示されている書物と一般に考えられますが、聖書は旧約の創世記から、新約聖書のヨハネの黙示録に亘って、神様が全世界の人たちへの救いの道を宣べ伝えている神様の Love letter です。 さて新約聖書の4つの福音書に共通に洗礼者ヨハネの記事が書かれています。ヨハネも旧約聖書の預言者と同じく、神様、特に、神様の一人子としてこの世に送られたイエス様に対しての愛の信仰を求めるように語った預言者の一人です。 新約聖書の洗礼者ヨハネはイエス様と同時代の預言者であり、イエス様のお母さんマリアとヨハネのお母さん、エリザベトは従兄弟同士であることを皆さんご存知と思います。 ヨハネ、イエス様の時代、イスラエルは、ローマ帝国の一部であり、国民は税金をローマ帝国から徴収されていたのです。イスラエルには一応ヘロデと言う王様はいたわけですが、このへロデは暴君で民衆からはあまりよく思われていなかったのです。イエス様の生まれた時、3人の博士たちがユダヤの地に生まれた救い主はどこで見つけることができるのかとこのヘロデ王を尋ねたのですが、このヘロデ王とは血のつながりはあっても違うヘロデです。 このへロデは自分の兄弟のフィリポの妻ヘロデアを娶ったことで洗礼者ヨハネに非難されことに嫉みを持ち、ヨハネを殺す機会を待っていたのです。ヘロデ王の誕生日を祝う宴会に多くの客を呼び寄せ、そこでヘロデアの娘に余興のダンスをしてもらうよう頼んだのです。ヘロデ王は言いました。そのダンスのお礼に、欲しいものがあれば、何でもあげよう。この国の半分もやろう」と言ったのです。ヘロデアの娘は母親の所に行き、王様から何をいただきましょうかと相談した処、ヘロデアは「洗礼者ヨハネの首」をと言ったのです。 聖書の中に、このような悪さ、怖いことが書かれているのを、キリスト教の信仰を持とうと考えている人達に、聖書は、何と酷いことを書いていると思う人もいると思います。キリスト教の教えに従う私たちの信仰の先輩たちの中にも、このように、迫害された人たちが、過去に多くいたのです。 ルーテル教会というプロテスタン教会の生みの親と言われる、マルチン・ルターは15世紀のローマ法王のキリスト教の教えと行動に憤慨したのです。当時、レオ10代目という法王の下でカトリック教会の本山バチカンを大きくしたい、人が見て、これこそ地上における神の国の素晴らしい所だと言われるようなものにしたいと言う思いがありました。 ヨーロッパの教会は皆バチカンに教会税を払っていたわけですが、それ以上のものが必要と、レオ法王が考え出した特別献金は免罪符と言うお札を民衆に買わせたのです。私たち日本人の中にも、神社でおみくじを買って人生の占いをするのと同じように、免罪符と言うものはそれを買うことにより、地獄とこの世に宙ぶらりんになっている死んだ私たちの親、子供、家族の人たちを天国に入れてもらえるようになると書かれた救いの手段が買された、それも法王認定の証明書です。 しかし、人間は、イエス様、神様の愛をお金を払って買うことはできません。しかし、イエス様を信じ、イエス様が私たちの罪のために死んでくださった。その私の、私たちの罪のために十字架で死んでくださったイエス様は、復活したのです。そして、私たちも、いつの日か、神様の許に連れて行ってくださることを約束なさっているのです。 イエス様と言う神様を信じる私たち、信じるその賜物をいただいた私たちは幸福です。またその賜物をまだイエス様の愛を知らない人たちに知ってもらえるよう私たち、キリスト者は常に祈るのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 「アメリカの独立祭に思う事」”Pondering on America on The Independence Day” 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。           説教の初めに言って置きますが、今日与えられた福音書と私の説教の内容とは関係がありません。アメリカ独立祭はアメリカの歴史の中で大きな意義のある歴史的なお祭りの日です。どこの町に住んでいても独立際を祝うパレードがあり、その夜に花火が空をきれいに飾った事と思います。私の家でも毎年BBQを食べながら、RiversideのMt. Rubidoux のふもとから打ち上げられる20分にわたるきれいな花火を見ることができます。 日本では花火は何かのお祭りの時、それも夏のお盆の時に駄菓子屋で買った線香花火、ねずみ花火をしながら杏(あんず)を水飴でくるんだお菓子を食べた懐かしい時を思い出します。また祖母を手伝ってキュウリやナスに割り箸を使って動物を作り、その動物に乗ってご先祖様がお彼岸の日に帰ってこられると聞きました。 アメリカ人はこの国の建国以前、何千年も前からこの土地に住んでいたNative Americanの歴史と比べたらこの国も歴史は本当に短いものです。1776年7月4日にアメリカはイギリスから独立したのですが、それは日本の徳川幕府の中間の時だったはず、しかし日本とアメリカの関係はまだまだ明治維新を待たなければならなかったのです。アメリカ人は一般に自分の国について大きな誇りを持っています。それはそれまで世界を制していたと言われるイギリスと独立戦争に打ち勝ち、恵まれた資源と、世界中から来た移民によって建国の精神に燃えていたからです。 私の父方の祖父はまだ二十歳そこそこで、明治40年、西暦1907年にアメリカに移民を希望して、日本郵船の「加賀丸」というシアトル行きの船でこの国に来たのです。この国でいろいろな仕事をして8年たった時日本から20歳でアメリカに渡ったものは徴兵拒否者と判定されたのです。岸野家の名誉のために帰ってこいとの命令でしぶしぶアメリカを出、日本に帰ってきたのです。私の育った家は私の両親、私の祖父、祖母と一緒でしたから、そこでオールドブラック・ジョウやオースザンナなどの歌を祖父が歌っていたのをよく思い出します。私が大学3年の時、アメリカの神学校に行くことが決まりましたと祖父に知らした時、「それは良い、ぜひ行きなさい、それがお前の希望なら」と最初に言ってくれたのも祖父でした。 今ここにいらっしゃる皆さんは、アメリカに来て50年以上経っている方もいま すが、私が察するに、人生の半分はこの国で過ごしている人たちがほとんどでしょう。アメリカに来た理由は、一人ひとり違うと思いますが、今この国にいるということは、アメリカが私たちの定住場所だからです。 何年か前、日本に両親を尋ねていた時、母の姉、私の叔母が病気で寝たきりになっているのを知って、独りでお見舞いに行きました。その時、昔のことを良く話したのですが、さておいとましますと言う時に、「豊さん、あなたと大切なことを話したい」と叔母のベットの横で、「さて大切なこととは何ですか?」と聞いたところ、こう言われたのです。「豊さん、あなたは両親を捨てたのね。もう日本に帰ることあるの」と。それを聞いて、私の胸の中で、ムカッとする思いになりましたけれど、それをじっと抑えて言いました。「私は両親を捨てたなんていわれると悲しくなります。毎年一度、あるには2度も日本に帰ってくる理由も、両親への親孝行と思い、少ない時間ですが、有効に過ごしてきたのです。ナンシーだって、日本に行って親孝行して来てねと言っているんです。二年ごとに日本に行った理由も子供たちに、おじいちゃん、お婆ちゃんのことをもっとよく知ってもらいたいからです。大学生一年生の時、私は牧師になりたいと思うようになり、またそのための勉強もアメリカの神学校でする決意をしました。両親にそのことを話した時、母は寂しそうな顔を見せましたが、父は、「それが豊のしたいことであるなら、中途半端な思いでなく、一生懸命やりなさい」と言ってくれたことに今でも感謝しています。教会のインターン・シップの時知り合ったナンシーと出会い、神学校の卒業式、フィラデルフィアの教会に副牧師として呼ばれたこと、按手礼、そして結婚式と忙しい時を1979年の6月に持ちました。 さて皆さんの内に、岸野先生、今日の説教は、「アメリカの独立記念日を覚えて」と言う題なのに、何かアメリカの独立記念日についてお話しするんですか?」と思っているかたがいるでしょう。今から本題に入ります。わたしがGettysburg, Pennsylvania の神学校に入学したのは1975年の9月でした。前にも何回も話したと思いますが、Gettysburgはアメリカの南北戦争の激戦地です。神学校はその戦場のど真ん中にあります。そしてGettysburgの町は政府から国立公園として認められています。また神学校は1826年に設立されたアメリカでは一番最初のルーテル神学校で、私が神学校に入学した翌年の1976年は150周年のお祝いの年としてその準備に忙しい時でもありました。当時、外国人の神学生は私と他にフィリピンとナミビアと言う国から来た人たちだけでした。 南北戦争はアメリカの東部の州のいろいろな所で戦われましたが、1876年の7月にGettysburg で戦われた戦争の結果、南軍は後退したのです。この南北戦争を背景にして書かれた小説が皆さんの知っている、「風と共に去りぬ」と言うマーガレット・ミッチェルさんのものです。後に映画化されアメリカの中で今まで一番親しまれた、クラーク・ゲーブルとビビアン・リーの共演した映画です。Gettysburgの3日にわたっての戦争で5万人近くの人が命を失ったのです。この南北戦争について少し語りますと、アメリカの東の州は北が、機械を使っての工場が中心の経済体系を作くりあげていたのに比べ、南の州は農業中心の経済体系、またそこでの労働は機械でなく、人の手で行われていたのです。そこでの労働者は、アフリカから連れてこられた奴隷、アメリカの市民権も持たない、選挙権もないしたげられていた黒人だったのです。 さて年を100年さかのぼって1776年の7月4日にイギリスより独立戦争に勝ったアメリカは、独立宣言をし、その後、憲法草案の仕事に入ったのです。北の州は奴隷解放を訴えましたが、南は農業中心、そこでの働き手の奴隷解放には大反対をしたのです。人間は聖書、それもイエス様の精神で読むとすべての人が平等であるはず。これは多くの北部の人たちに受け入れられたのですが、南部の政治家に反対され、 憲法草案にすべての人の平等さが認められなかったのです。しかし南北戦争で北軍が勝ったことにより、リンカーン大統領の政治政策上の大きな貢献は奴隷制度の廃止でした。今日アメリカの国のおいて、宗教の自由が認められています。キリスト教だけではなく、ユダヤ教も、回教も、仏教も、ヒンズー教も、モルモン教も、その他いろいろな宗教がありますが、アメリカの国が誇ること、それはこの国において、すべての人に、信仰の自由があるということです。 岸野先生、時々皆さんから、「先生、あなたはとても信仰についてリベラルですね」と言われます。リベラルと言われても、私はイエス・キリストを主と信じ、イエス様の精神に従って生きて行きたいのです。イエス様の愛を多くの人と分かち合いたいのです。聖書を読むことにより、私たちはイエス様の愛の御心がわかるようになり、イエス様の愛が、私たちの言葉だけでなく、私たちの行動の中で神の国が実現されるように努めて生きてゆきたいのです。 今年の7月4日のIndependent day は4日前にすでに終わっていますが、私たちアメリカに住むものにとって、また、キリスト者として私たち一人ひとりが、主なる神様を信じること、またこの神様であるイエス様の愛の精神が私たちの人生の中で毎日実行されることを祈ります。 アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算#1219号       (日本語)   2012 7 15W 今週は誕生会があります。 林愛子さんがSan Diegoに引越しされますので送別会。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 2012年7月8日週報通算#1218W号    (日本語) 2012 7 8W   2012年7月8日週報通算#1218E号    (英語) Sunday English Bulletin 1218E     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet マルコによる福音書5章21-43節  「この女の苦しみ」 “The Suffering  of This  Woman”   私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。 今日の福音書の話はヤイロと言う名の会堂司が、イエス様の足元にきて、ひれ伏し、病気の娘を治してくださいと頼んだことから始まります。二人が、ヤイロの家に行く途中、12年の間出血の止まらない病気の女が、イエス様に自分の病気を治してもらいたい思いで、イエス様についてきて、イエス様の服に触ったのです。するとたちまち女の出血が止まったのです。しかしこの女にイエス様がまだ話している途中、ヤイロの家から使いのものがやってきて、ヤイロの娘が死んでしまったことを告げたのです。 皆さんの中にこの話を何回も何回も聞いたことがあると憶えている方もいらっしゃるでしょう。マタイ、マルコ、そして、ルカによる福音書にこの記事は共通に書かれているのです。それほど福音書の著者にとってこの記事は大切な意味があるのです。 皆さんがまだ、小さな子供を抱えて生活していた時、子供が病気になると心配でたまらないとそのような経験をした事のある方, 沢山いるはずです。子供が発熱して40度Cの熱が出てきた。それが2日続いている。何かうなされている。咳も出てきて、体がだるそう。大人の私たちだってそういう時にはうろたえてしまうことがあるのです。 私は過去に何回もヤイロと彼の娘について説教をしたことがありますが、この出血の止まらない、みんなから嫌われていたと思われるこの女について今日まで説教の中で話したことはありません。何か云いづらい、聖書の中で言われているこの女の病名が、長血といっても男である私はそれがはっきり分からなかったからです。しかし出血が止まらないとはただの病気ではないはずです。私たちの血は空気に触れると固まるそれによって出血が止まるはずですが、これはそれ以上の婦人病で12年にわたって血の止まらないとはなんと悲しいことではなかったでしょうか。ところで聖書にはこの女の名前が出てきません。名前の出てない人とはどういうことかと言うと、或いはこの女は、みんなから嫌われていた、仲間はずれのされていた、みんなから避けられていた人ではなかったでしょうか。 ユダヤ教の律法によると、長血の人はUntouchable, ほかの人は触ってはいけない者といわれていたのです。日本人はアメリカ人に比べ人と人の skin touch を控えます。アメリカ人はその点、 “give me a hug, a big hug”と言う方で、よくhug された時に、お相撲さんの上手を取るか、下手を取るかの格好で写真に写されたの見て、独り笑いしたことがあります。長血の女は一般社会から嫌われていた。ハンセン氏病にかかった人のようにその人が近くに来ると人は遠回りしてまでその人に近づくくことを敬遠したのです。誰からも声をかけられない、声をかけられたとするなら、「お前、わたしたちに近づくな」だったでしょう。 旧約聖書のレビ記と言う本は、ユダヤ人の守らなければならない戒律の本ですが、この女は12年も、毎日、毎日、みんなから、「穢れた者、神から見放されたもの」と世件から呼ばれていたのです。英語でいうなら、この女はuntouchable, 誰から触られることもない、近くに行ってもいけない存在の人とユダヤ人の律法によると人々から見放された女だったのです。皆さんがこの女の苦しみがどういうものであったか、察してください。この女は解決のできない毎日、毎日血の止まらない病気で心も体も疲れきっていたはすです。しかし私たちの中には、病気とは言わないまでも、誰でも何か自分の心を痛めているものがあるはずです。 ある人にとってはそれが経済の問題であるかもしてません。2008年までアメリカの金融業は景気の良い道、甘い蜜を吸っていた。それが1930年の大不況のようにがたっと変わり、多くの人の貯蓄、株券、そして自分の持っていた家の支払いができなくなった。倒産した。職を失い、家も取られ、投資していたお金の価値もなくなり, たちまちのうちに、Homeless  になってしまった人たちがたくさん出てきました。またある人にとって、家族との問題が原因で身内の人とcommunication もとざされてしまった。そしてまたある人は、話し合う家族も、友達も、昔なじみの友達からも音沙汰が無くなり孤独でたまらない、こんな惨めな思いでどうやって生きていけるだろうと毎日が苦しみの連続の人もいるのです。人間として一番悲しいことは、共に心を打ち明けられる友達がいないことではないでしょうか。 長血の女が、「そうだ、もしイエス様に触れたら、わたしの病気もどうにかなるのではないか」と思うその心をイエス様はもうご存知だったと思います」。もう一度言います。イエス様はもう私たちの心の中を良くご存知です。私たちの悲しみ、悩み、心の憂いも知っているのですが、私たちはそのことをイエス様に祈りの中で話さなければなりません。 この女は12年間も続いている治らない病気は、神様からの罰として考えざるをえなかったのです。26節には、「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たずますます悪くなるだけであった」。 しかしこの女はイエス様の噂を聞きました。イエス様は奇跡を起こすことのできる方, この人なら何とかしてくれるかもしれないと、藁にもすがる気持ちでイエス様の跡を追ったのです。群衆の中に入り、後ろからイエス様の服に触れたのです。イエス様の後ろについてきた人はこの女だけではなかったでしょう。しかしその混み合っている中で、この女に触れたものは皆汚れた者になるのです。「お前のような者がこんな所に来てるとは、もしわたしたちにぶっかっただけで、私たちも穢れた者になってしまう。ここから出て行け」と非難の声が聞こえるような感じがします。それ以上にもしイエス様に触れると言うことはイエス様をも穢れたものとしてしまうのではないでしょうか。 ですから、恐怖と希望と羞恥心が絡まったような思いでイエス様のすぐ跡を追い、震える指でイエス様の服に触ったのです。 福音書の29から30節にかけてこう書かれています。「すると、すぐ出血がまったく止まって病気が癒されたことを体に感じた。イエス様は、自分の中から力が出て行ったことに気がついて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのは誰か」と言われたのです。 井上洋治さんと言うカトリックの司祭である方が、この長血の女について「ゆるしによる回心の物語」と言う解説の中でこう書いているのを紹介しましょう。 この女性は、12年間も苦しんでいた出血を止めていただいた。しかし自分としては、はっきりと病状を訴え、お願いしたわけでもなく、ある意味ではずるいような形でイエス様の服にちょっと触れたわけです。普通ならば、「なんということをするか。もし本当に直していただきたいのなら、恥ずかしいとか、みんなから非難されるのが怖いとか、そんな気持ちは全部捨てて、謙虚に自分の苦しみを話すべきだ」と言われるかもしれないと思って、彼女は恐ろしくなったのだと思います。 しかしイエス様は、そういうようなことは一言もおっしゃらず、ただ彼女の長い間の寂しさと涙とを受け入れられたのです。そしてイエス様は、この女性にこう言いました。「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気を悩んだりせず、元気に暮らしなさい」。この27から28節にかけての福音書の言葉はとても大切な言葉です。「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れれば癒していただける」と思ったからである。同じように新約聖書のロ-マ人への手紙10章17節にこう書いてあります。それを読んでみます。「じつに、信仰は、聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞く事により始まるのです。 私たちの信じる、復活されたイエス様は今ここに、私たちの間にいるのです。あなたの喜び、悲しみ、孤独な思いをすべてご存知です。 私たちの周りには年取った親の面倒を見ながら生活している人たち、年に2度も3度も日本に帰って本当に短い時間ですが、親孝行してあげる人たちが沢山います。愛する人たちと共にいられないのは寂しいことですが、イエス様は私たちの愛する人たちをも見守ってくれていると信じます。 最後にこの長血の女の話の前に出てきたヤロイとその娘について一言。ヤロイは長血の女がイエス様によって癒されるまで、辛抱強くイエス様を娘の所に連れて行こうと待っていたのです。さてこれからヤロイの家に行きましょうと言っているその時、ヤロイの家から使いの者が来て娘さんが死んでしまったことを知ったのです。 この娘さんが、あなたの娘でしたら、あなたはそのニュースを聞いてどう思ったでしょう。「イエス様、この女を病気から救ってあげたのは良かったことですが、もしわたしの娘の元に早く行けていたなら、娘は、助かったでしょうに」と言ったはずです。 イエス様はそれに対して「恐れることはない。ただ信じなさい」とヤロイに言われたのです。イエス様はヤロイの家に着くなり両親と3人の弟子だけをつれて子供の手をとり、「タリサ、クム」、それは「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」と言う意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだしたのです。 聖書の奇跡の話はある人にとってつまずくものなのですが、イエス様を神様と信じる者にとってこれは嬉しいニュースです。これは神様にとって、不可能なことはないという記しです。しかし奇蹟を経験したことで信仰が生まれるのではなく、わたしたちは、信仰生活の中で神様の恵み、恩恵、英語で言うGraceによってのみ生かされていることを知る、そのところに私たちの信仰があるのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet マルコによる福音書4章35-41節 「イエス様からいただく平安」“Peace from Jesus” 私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安があなた方にあるように。アーメン。 ある名前の知られた画家、画家がお金持ちの銀行の頭取から何か平安を象徴するような絵を描いてくれと頼まれました。画家はさんざん考えたあげく、時間をかけて、空の真っ青な, のどかな麦畑の光景をバック・グラウンドに、牛と馬が草を食べている、そして、鳥たちが飛んでいる、いかにも平和らしい絵を描いたのです。画家は、自分で納得し、胸がわくわくしてこれを銀行の頭取の所にもって行ったのですが、彼は「ううん、ううん」とため息、がっかりしたような感じで、こう言いました。「君の絵はいい絵ではあるのは確かだが、どうも私の思っている平安さと違う、もう一つ描いてくれ。画家は少しがっかりしましたけれど、「平安」とはと頭の中で何日も考えた後、今度は、前の平和的な景色から人間関係の中で見られる「平安」な姿の絵を描いたのです。それは、お母さんが赤ちゃんを抱いているシーンです。赤ちゃんは抱かれているお母さんを信頼してとても穏やか、また、赤ちゃんを抱いているお母さんもとても幸福そうに心の温まるこの絵を今度は自信をもって描き上げました。完成した絵を持ってこれこそはいい平安のシーンと喜んでもらえるだろうと期待して銀行の頭取を尋ね、差し出した絵をじっと見つめている彼からどんな答えが来るかどきどきしながら待ったのです。彼は言いました。これは素晴らしい母親と赤ちゃんとの絵ですね。そこに平安があるのは見てすぐ分かります。でもお願い、もう一度これこそ平安のシーンだというものを描いてくれ。画家、いやこのアーチストは心が落ち込んでしまったのです。何故私の感じた平安の姿が頭取は感じてもらえなかったのだろうと。しかし、私にとって平安とは何であろうと心の底を見つめるように、彼は聖書のページを読み始めたのです。「私がいただく平安とは何であろう」と今回は、長い時間をかけて彼が心の底からの平安を求めたのです。さてここで皆さんにも自分で感じる平安とはどういうものであろうかと考えてみていただきたいのです。もちろん、一人ひとりの平安のイメージは違うでしょう。それを今、発表してくださいと言うのではありませんが、自分が納得する平安、それはほかの人のイメージと違っていても当たり前です。30秒あげますので考えてみてください。その結果、アーチストはインスピレーションを受け、これまでになかったように、そのイメージををキャンバスに描き始めたのですその平安をテーマに描かれた絵とはどんなものだったのでしょう? 海の荒れ狂う嵐が岸壁をすさまじい勢いでアタックしている、空は黒い雨雲で覆われ雷は思うままにあちらこちらに落ちてくる。もしそこに私が独りでいたならば、大波呑み込まれてしまったでしょう。そのような嵐の中で、そのような人生の嵐の中で、私たちは、神様、助けてください、私はもはや死にそうですと叫ぶのではないでしょうか。しかし、大波のかなたに光が見える。黒い雲の後に真っ青な空が見える。今大きな試練の中にいた私たちが、どうやら嵐を乗り越えられるのではとの希望が与えられる。、画家、アーチストはこのような人生の過渡期に起こる難しいチャレンジの中に、神様の約束した希望を岸壁の中の一番高いところにある鳥の巣、その中で、親鳥が雛を翼で囲い、あたかも親鳥が、「心配しないでいいよ、私がみんなを抱いてこの嵐を通りぬけてあげるから」と、まるでこれは、神様が私たち震え、おののいている者に「私を信じなさい。恐れることはない」と言っているかのように恵みの平安を描いたのです。 突然私の頭に出てきたのは、葛飾北斎という有名な、浮世絵の版画家が作った神奈川県横浜の沖合いで、荒波に呑み込まれそうな漁師たちが真剣に船にしがみついていると言う絵です。しかしこの版画の中心に富士山という日本一の山がある。富士山は、日本人にとって希望の山であり、わたしたちの心のよりどころです。アーチストは平安という主題で描き上げたこの絵を銀行の頭取に手すと、「まさにこの絵は私が心の中に描いていたものと同じだ」と言って受け取ってくれたのです。 さて私たちが聞く言葉、平安Peace, 静穏、tranquility, 冷静という心の持ち方を、人生の荒波の中で感じられるようになることは大切なことです。今この教会に来るようになり、あと2ヶ月で赤ちゃんが生まれるという Flacks さん夫妻も新しい命をまち望むうちに平安な心が必要と感じているでしょう。 イエス様の弟子たちは、いつも神様からの平安の恵みをもとめていたのです。私たちにとても同じです。私たちが人間として神様に答えてほしい質問は、「神様、あなたは今どこにいらっしゃるのですか?」、「神様、あなたが私に答えてくれないのはあなたはねむっているかですか?」「神様、あなたは私の祈りを聞くことができるのでしょうか? 神様、私の祈りを聞いてください、答えてください」と。 今日の福音書はイエス様の弟子たちがイエス様と船の中にいた時、激しい嵐に会われて、転覆するかもしれないと言う怖い経験をしていた事件です。船と言ってもそれはせいぜい5メートルぐらいのもので、少しの風が吹いても随分揺れたでしょう。それが突風によって沈没するかもしれないように揺れたのです。弟子たちの多くは漁師でしたが、この嵐の沈没するかもしれない船の中で一人ねむっているイエス様に、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないんですか」と叫んだその心境はわかります。私たち一人ひとりが、悲しみに、悩みにくれていた時、また、病気で心も体も疲れきっていた時、「イエス様、私を哀れんでください。私を助けてください。あなたのほかに誰が私を救うことができましょうか」と祈ったことがあったはずです。 もう10年ほど前のことですが、ある日、日本から電話がかかってきました。母からの電話です。「お父さんが事故にあいました。順天堂病院に運ばれました。お父さん死んじゃうかもしれない。今日手術を受けます。頭の中で血管が破裂したらしい。ゆうちゃん、日本に帰ってきてくれる。お母さん独りでどうしていいのか分からない」と。それから24時間後、東京の家に飛んで行き、母は私の顔をみて「ゆうちゃん、本当に帰ってきてくれたのね」とワーッと泣き始めたのです。私の存在が母に何か心の支えを与えたのでしょう。父が事故にあったのは日曜日の朝。一晩冷やしてあった大きなスイカを自転車のハンドルの前にある篭の中に入れて教会まで行く途中、交差点でトラックにぶつかりそうになり倒れたのです。なんとスイカをかばうように倒れ、スイカは大丈夫でしたが、父は道路で頭を打ち、救急車で順天堂病院まで運ばれました。CTスキャンでくも膜下出血とわかりその日に手術をしたのですが、それ以来、頭の切れた父が悲しくなるほど変わってしまったという悲しい事件がありました。 しかしこれは私だけでなく、ここにいる皆さんも人生の悲しみ、苦しみを感じたはずですわらをも掴む思いとは良く私たちのどん底の苦しみ、悲しさの中で、「神様、お願いです。助けてください」と叫んだ私たちではなかったでしょうか? 「神様、あなたはどこにおられるのですか?  あなたは私の悲しみ、苦しみをご存知ですか? 私の祈りが聞こえますか。そうならお答えください」。と私たちは、イエス様が共にいてくださることを願うのです。私たちの神様は必ず、必ず私たちの祈りを聞いてくださいます。神様は、「私は十字架に付けられたイエスとして、今ここにいます。私はあなたの悲しい、苦しい、重い思いを知っています。私の許に来なさい。あなたの重荷を軽くしてあげよう」と。 イエス様はまたこう言ってます。「何故あなた方は怖がっているのか。あなたは私を信じる信仰を持っていないのか」と。これはイエス様が船の中で脅えている弟子たちに言った言葉ですが、同じように私たちにも語りかけているのです。 私たちが、使徒信条の中で、「私たちは天の造り主、父なる全能の神を信ず」と信仰告白する時、神様はこの広い宇宙の作り主と信じますか? つい最近まで、私たちは宇宙の一番遠い所は私たちの太陽を中心とする惑星の集まり、しかしそれが今度はさらに広がり、銀河星、そしてまたいまや銀河星を一粒の砂のように見ると銀河星と同じようなものが何億、何兆もあるといわれています。 私たち一人ひとりも何億、何兆の細胞によって作られているのです。まさに私たちは宇宙の中で砂の一粒ですが、その一粒の私たちを神様はすべてご存知です。しかし宇宙の中で砂の一粒のような砂のような存在の私たちに神様の愛を知らせるために、神様はイエス様の形、また聖霊と言う姿で私たちの所に来てくださったのです。 その宇宙をつかさどる神様が私たち一人ひとりを名ざして知っているのです。この世を創造された神様である父なる神、この世を救うために人の子としてきてくださったイエス様、そしてすべての源である神様の霊が英語で言うHoly Spiritです。私たちはこの3つの神様の顕れかたに導かれて、人生を神様の望まれる生き方で過ごすことができるのです。それが80年、90年、長くて100年でしょう。神様に導かれるこの命はまさに神様の平安を味わうことのできる人生であります。どうか毎日毎日をイエス様に感謝して生きる私たちになれるよう祈るのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]