Archive for October, 2012

Tweet 週報通算#1231W号[日本語) 2012年10月14日の週報 週報通算#1231E号[英語) Sunday English Bulletin 1231E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ハンティントンビーチ復活ルーテル教会日本語部は、毎年9月最後の日曜日に召天者記念礼拝を行う。この特別な礼拝を始めてから何年になるだろうか。復活教会で日本語部を始められた高塚牧師は、きっと神様の御心に従うべく、決心して始められたのだろうこの世で時を共に過した愛する人達が天に召された後を偲ぶ思いは変わらない。それぞれに偲ぶ人達は異なっていても、共に礼拝の中で、先に天に召された方々達を思い、心を合わせて祈る事は大いなる平安だと思う。また、日本の地で亡くなった親類知人に限らず、この土地で共に礼拝を守った教友達が天に召された後、こうして毎年皆さんの遺影を聖壇に並べて共に忍べる事は、大きな幸である。  ここ何年かの間に、英語部からこの特別な礼拝に参加する皆さんが増えた。日本語部と英語部が共に活動する事が多くなり、共に歌い、共に交わる中、に天に召された私達日本語部に貢献された英語部のメンバーの方々を、英語部の皆さんと共に思い出せる事は嬉しいことである。今年は60名以上の参加者に恵まれた。 岸野牧師は詩編の133章の一節から、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」のみ言葉をメッセージの始めに語られた。そして、私達の背景、宗教に拘らず、このように共に思いを一つにし、先に召された愛する人々を偲ぶ時を持つ事の大切さを切に語られた。この日、週報の「今日の福音」にはこう書かれている: (写真は後日掲載致します) Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 「結婚について聖書からの言葉」”The Bible and Marriage” 私たちの主イエス・キリストから恵みと平安があなた方のうえにありますよう。アーメン。 さて今日の説教の前に1970年代にテレビによくでてきたCaptain and Tennille と言うカップルのThe Wedding Song と言う歌を聴いてください。歌詞は今日の週報の中に折り込まれています。       The Wedding Song He is now to be among you at the calling of your hearts Rest assured this troubadour is acting on His part. The union of your spirits, here, has caused Him to remain For whenever two or more of you are gathered in His name There is Love, there is Love. Well a man shall leave his mother and a woman leave her home They shall travel on to where the two shall be as one. As it was in the beginning is now and til the end Woman draws her life from man and gives it back again. And there is Love, there is Love. Well then what’s to be the reason for becoming man and wife? Is it love that brings you here or love that brings you life? For if loving is the answer, then who’s the giving for? Do you believe in something that you’ve never seen before? Oh there is Love, there is Love. Oh the marriage of your spirits here has caused Him to remain For whenever two or more of you are gathered in His name There is Love, there is Love. 私は1975年に立教大学を卒業したすぐ後、アメリカ、ペンシルベニア州のGettysburgと言う所にあるルーテル神学校に行きました。神学校を出るには4年かかります。3年目はインターン・シップの時で、私は、その一年をLebanon という町の教会で過ごすしました。そこはPennsylvania Dutch、Amish とかMennonite という 200年も自分たちの文化を電気も、自動車も使わない農作をしている人達の多いところでした。 どうしてそこにインターン・シップに行ったのかは自分では今でも分からないのですが、そこの牧師さんから私に是非来てほしいとの誘いがあったからです。教会の仕事の内容は日本とあまり変わりません。しかしこの教会は町の中で一番大きな教会で、1,200人もの会員さんがいました。主任牧師は私の主な仕事は、教会に来られない会員、そして病気の人を訪ねることであると言ったのです。 ある日、ある会員である女性のおばさんで、老人ホームで、リクリレーション・セラピーをしている人から、 “Yutaka, I want you to visit me at my work place”と言われ、そこにおばさんを訪ねると、  “I want you to meet with someone” と言われ、このsomeoneとは誰だろうと思っている間にある若い女性を連れてきたのです。 2週間前に説教の中でFiddler on the Roofの話をしましたが、その中にいたMatch makerがいました。まさに、このおばさんが、その役をはたしたのです。若い女性とは当時22歳の Occupational Therapy の勉強をしていた、家内のナンシーです。二年間の付き合いの後、結婚式を挙げました。私の両親、また幼稚園から中学まで一緒に育った親友がthe  best  man として来てくれました。 今年で結婚生活33年目です。初めの教会はPhiladelphia でそこに副牧師として4年間、その後、テキサスのダラスで3年、またGrand Prairie というダラスの南に新しい新興住宅が建てられた時、Pastor Developer として新しく建てられた家を一軒、 一軒尋ねました。もうそのころは4才になる娘のKatie と生まれたばかりのAndrew の面倒を見るお母さんの仕事をしながら、交代に子供の面倒を見ました。また、家内は、昼間病院でOccupational Therapist として働いていたので、小さい子供を抱えて働く生活にはチャレンジが沢山ありました。しかし夜中に哺乳瓶でミルクを飲ませるのは私の責任でした。早く飲み終えて欲しいのに、少し飲んでは寝て、また起きて飲んでと、私のほうが疲れてしまいましたが、今から考えるとそのように子供たちと過ごすことができたことに感謝しています。 また、金曜日は私のday off…

Tweet   週報通算# 1230    (日本語) 2012 10 7W 1230     (英語) Sunday English Bulletin 1230E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書9章38-50節  “GODISNOWHERE”   私たちの父なる神と主なるイエス・キリストから恵みと平安があなた方の上にありますように。アーメン。 皆さんに今私の持っている紙に何が書かれているか読んでください。「ここで履物を脱いでください」。私がまだ小さい時、家にはお風呂がなく、毎晩床に入る前にお風呂屋さんに行きました。そこで下駄を脱いで、下駄箱に入れ、札をポケットに入れたのです。私の国語の先生は「ここでは、着物を脱いでください」と読んだ人は何人いますかと聞きました。なるほど、点をつける所を変えたら意味がずいぶん変わってしまいます。まさかお風呂屋さんの下駄箱の前ですっぽんぽんになった人はいませんよね。 では同じように GODISNOWHEREを皆さんはどう読みますか? ある人は, “God is nowhere”と 読むでしょうが、反対に “God is now here”と読んだ人もいるはずです。意味としてはまったく反対のことになりますね。   さて今日の福音書によると、イエス様の弟子でない人達が、イエス様の名によって悪霊を追い出していたとあります。それに対してのイエス様の弟子たちの答えは,「その男はそんなことをしてはいけない」と言うのです。「彼は私たちの仲間でない、だから、そんなひとたちに悪霊を追い出す事を、やめさせなさい」と言うのです。イエス様の弟子たちは自分たちの仲間でない人達がイエス様に託された仕事をしていることが気に食わなかったのです。しかしこの人達がイエス様の名によって奇蹟をおこなっているとはおもしろくなかったのです。イエス様はこの男がイエス様の弟子たちの仲間でないことはわかっていましたが、彼はイエス様に反対するものではないと言われたのです。私たち人間はどうもPositive な事より、Negativeなことに気を取られるのではないでしょうか?   これは私の経験ですが、病院で教会の会員さんを訪ね、病室でしばらく会話の後お祈りをします。その後、隣のベットにいた患者さんが、「お願いです、私にもお祈りの言葉をください」と頼まれたことが何回もあります。「どちらの教会の方ですか」との私の質問に、「私は別にどこの教会にも属していませんけれど、神様に癒しのお祈りをしていただきたいのです」と。その患者さんが,洗礼を受けていない、主の祈りも知らない、聖書も読んだことがない、つまり、宗教との付き合いは今までなかった。しかし、病気になって心の安らぎを神様からいただきたいと思うようになったと言うのです。ある時、やはり病院に入院中のユダヤ人のおばあちゃんから、私がキリスト教の牧師であるのを知りながら、詩篇23章を読んでくれと頼まれ、それを読んでいた時、涙を流して祈っている姿に心を打たれました。宗教の違いがあっても、お互いに祈れる時があるとは神様からの恵みではないでしょうか? 皆さんの中にはDr. Robert Schuler を覚えていますか? 彼は、1970年代2000年代の初めにかけて、クリスタル・カテドラルで毎週何千人もの礼拝者を集めて礼拝をしていました。Drive-in Theater から伝道を始めて、彼の伝道のcatch phraseは “Positive thinking” でした。彼はイエス様の伝道、祈り、すべてがPositive thinkingから来る、それが神様からの福音だとも解釈していたようです。それについて多くのクルスチャンはPositive thinking は必ずしも福音ではないと言っていたわけですが、Dr. Shuler の言葉でイエス様を受け入れた、救いを受けたという多くの人がいるのを批判してはいけないのです。私たちは一人ひとり神様に出会う時と場所は違います。赤ちゃんが生まれたその喜びにイエス様を神様として受け入れた人もあれば、監獄の中で神様を信じ、洗礼を受けた人もいます。 イエス様はまた、今日の福音書の終わりに塩について語っています。塩は私たちの生活の中でなくてはならない必需品です。しかし多くの人は塩と聞くと、あまり塩分を取ってはいけない、なぜなら、体の中に塩分が入りすぎると、色々な病気が出てくると答えます。それはそうと知っていますが、塩気のないおにぎり、味噌汁、焼き魚、漬物は食べてもおいしくないし甘いおしるこも、ちょっとだけでも塩を入れることによってもっと甘みが出るのを皆さんご存知のはずです。塩をかける、また塩の中に肉や野菜を漬けるとそれらのものが腐りにくくなり、長時間持ち続けるのです。塩は石鹸、洗剤の中になくてはならない物で、またSodium, 塩は私たちが毎日使う薬品のほとんどの中に入っています。イエス様は、塩をそういう意味で大切なもの、なくてはならないものと教えているのです。ですから聖霊の火と共に私たちに、地の塩になりなさいと教えてくださっているのです。 今日の旧約聖書の日課の中で、40年間、 砂漠をさまよったユダヤ人は肉が食べたいとべそをかいていた時、神様は彼らを哀れんでマナと言う食べ物を空から送ってくださり、マナを食べて満足したユダヤ人は、今度は、魚も食べたい、たまねぎ、なす、人参も食べたい。もしエジプトから、逃げださなかったら、まだおいしい物が食べられたのにとモーセに駄々をこね始めたたのです。そんな時に、”God is nowhere” と言ったでしょう。モーセは、このようなぶつぶつ言う自分の仲間をリードして40年、荒野をめぐりまわり、最後に、シナイ山で神様からの10戒をいただき、この戒律を守ることで、神様からの恵みをいただくことを教えたのです。神様の恵みをいただく私たちはそこで、”God is nowhere” ではなく、”God is now here” と言えるようになるのではないでしょうか。 もう何年も前のことですが、”Reader’s Digest” と言う雑誌の中で次の短い話を読みました。これはある家庭の子供が、近くの農場で働いていたおじさんにアヒルの卵をもらってきた話です。家に帰ってきて、お父さんとお母さんに興奮して言いました。「おじさんが僕にアヒルの卵をくれたの。アヒルのお母さんは卵を産んだのに、それをあっためないんだって。だから僕にくれて、あったかい所においてしばらくするとアヒルの赤ちゃんとなって殻をわって出てくるよと、お父さんとお母さんは言いました。 お母さんは言いました。「いいわよ、でもあなたが毎日面倒見るのよ。卵はね、あったかい所においておかないとだめよ。でも熱い所はだめ」と台所のガス・オーブンのpilot lightの着いている近くの、いつも暖かい所に卵の寝床を作ってあげたのです。一週間、2週間経ち卵は触ってみると暖かい。でもアヒルの赤ちゃんちゃんと育っているのかしらと家族の皆が心配になったのです。もしかしたらもう死んでしまっているかも。お姉さんに、なんか腐った臭いがしているみたいと脅かされて、この男の子、神様に祈ったのです。「神様お願いです。アヒルの赤ちゃんがまだ生きていますように」と。それはまさに半信半疑の思いで言った、 “GODISNOWHERE” の思いでしたが、2,3日たって殻を割って出てきたアヒルの赤ちゃんを見っけて、初めて、神様が今ここにアヒルの赤ちゃんを無事に産んでくれたんだとの “GOD IS NOW HERE” の思いに駆られたのです。 神様が、いつ私と共にいてくれてるんだろうか?神様に私は見放されたんじゃないだろうか、と私たちは良く考えます、また悩みます。しかしそんな時こそ、”God is now here” の信仰の心を抱いてください。神様であるイエス様はいつも、いつも、たとえ、私たちがイエス様を身近に覚えない、感じない時にも私たちを見放すことはなさいません。アーメン。 Mark 9:38-50  “GODISNOWHERE” May God our Father and the Lord Jesus Christ give you grace and peace.  Amen. My elementary school teacher taught us many interesting things in our Japanese class lessons.  One thing he taught us that I still remember was how to punctuate a sentence.  He said if you don’t know what you want to say you may be misunderstood completely. And he wrote this on the paper. ここではきものをぬいでください。Then he showed us a picture of a bath house.  Some of you read 「ここで、履物を脱いでください」そして下駄箱に入れてくださいと言うわけです。But some of you read this as, 「ここで履物を脱いでください」下駄箱の前で着物を脱ぐとは変なこではありませんか」。 Now I would like to hold up a sign and have you look at it.  Take a moment to read what it says: Hold up a sign that reads GODISNOWHERE) What is it that you see?  I would guess that the majority of you see a sign that reads: GOD IS NOWHERE. When given the choice, it is the human tendency to more see this in a more negative way.That’s the case today…, just as it was in Mark’s day.  In today’s gospel lesson from Mark, the subject is a man who was not a part of “their” group.  And although he…