Archive for May, 2012

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May 27th, 2012

2012年6月Calendar

No Comments, 教会Calendar, by admin1.

Tweet June 2012 Calendar   6月3日 CCNの発足日 6月9日はPacifica Synodの事務所で日本語部の修養会 講師: Paul 中村牧師、 Oriental Lutheran Church , Torrance,CA 松下滉 牧師 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算#1213(日本語) 2012 5 27W 週報通算#1213E(英語)   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 「イスカリオテのユダ」 “Judas Iscariot” 使徒言行録1章15-17、21-26節   私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 「裏切り」と言う言葉を聞いた時、聖書の中ではとっさにイスカリオテのユダを思い浮かべるのではないでしょうか?それはユダが彼の主であるイエス様をユダヤ教をつかさどる祭司、律法学者に30の銀のコインで売ったという事件があったからです。それは恐ろしい事件であり、イエス様がこの先、ユダヤ教のお偉方、また、ユダヤの国を統治していたローマ帝国のGovernor により十字架にかかる死刑の宣告を受けたのです。 しかしその前にイエス様が死んだはずの友達のラザロを甦がえらせると言う奇跡を起こしたことを皆さんは聖書で読んで知っているはずです。過ぎ越しの祭りのある6日前にイエス様は友達のラザロの妹たちのマルタとマリヤを尋ねたのです。食事が用意され、ラザロはイエス様と共に食事の席に着きました。その時ラザロの妹のマリアが非常に高価なナルドの香油を持ってきて、それをイエス様の足に注ぎ、自分の髪でその足をぬぐったのです。このように足を洗う、体に香油を注がれると言うことはお客さんを大切にもてなす、それ以上にイエス様と言う神様から私たち人間を救うために送られた神の子に私たちの最高のおもてなしをすることでした。 そこに同席していたイエス様の弟子であるユダはそれを批判してそんな高価な香油はお金に取り替えて貧しい人たちに分け与えるべきだとイエス様に抗議したのです。ユダがこう言ったのは、貧しい人たちのことを心にかけていたからではなく、彼は弟子たちの中で財布の管理をしていたのですが、その中身をごまかして使っていたからですと聖書は書いてあります。 ユダへの弁解ではありませんが、私は彼がイエス様がユダヤ人のための神様と信じていたと思います。しかしまた、その神様であるイエス様の力でユダヤ人とユダヤの国をローマ帝国のすべてのコントロールからfreeになりたいと思うようになったのです。しかしそれはユダだけてなく、ほかの12弟子の中にも何人か、そのようにイエス様を革命のリーダーとして受りたかった弟子たちがいたのです。 イエス様の教えは時には弟子たちに把握できなかったのです。イエス様がお互いを愛し合いなさいと言うとき、私たちは何時も避けている人たちをも愛すと言うことです。左のほほを打たれたら、右のほほをも差し出しなさいというイエス様の教えは、今までの常識を超えた教えです。何だ、イエス様は本当に私たちユダヤ人に救いを与えるために来たのでなかったかと、そのようにユダは次第に、イエス様から心が離れてゆくようになってしまい、イエス様は、本当の救い主なのかと疑問を持つようになったのです。 イエス様が最後に過ぎ越しの祭りを12弟子と共に守り、その後過ぎ越しの祭りの食事を弟子たちと食べていた時、イエス様は言いました。「はっきり言っておくが、あなたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて「主よ、まさか私のことでは」と代わるがわり言い始めた。イエスはお答えになった。「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、私を裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに去っていく。だが、人の子を裏切るものは不幸だ。生まれなかったほうが、そのものの為に良かった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口を挟んで、『先生、まさか私のことでは』と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」 それを聞いてユダは血の気がなくなったような気分になったでしょう。本当だ、まさに私はイエス様を裏切ろうとしているのだ。私が思うに、これは悪魔の仕業であったでしょう。悪魔は疑いの中で葛藤している人の中にはいってきて、あなたの思いを変えてしまうのです。私はユダが地獄に落ちた、世界で一番悪いやつと言いたくないのです。ユダも自分が悪いことをしたことを後悔したのです。しかしまたその時、イエス様に戻らなければならないのです。イエス様に赦してくださいとお願いすることが大切です。イエス様は本当に私たちが心から赦してくださいと言う時、私たちを赦してくださいます、それが私たちの愛するイエス様の私たちすべての罪人に下さるギフトです。イエス様は必ず赦してくださる方なのです。 しかしそれは私たちイエス様に従って生きてゆこうと決心した者の中にも、私を含めて、人に喜び、感謝、奉仕、祈り、励まし合い、優しい心遣いで人と接したいとを思いながらも、それと反対に、一人ぼっちになって、暗い部屋の片隅でなんて惨めな私、私たちだろと考えてしまう時があるのと同じではないでしょうか。 今日の説教は他人のことを言うのではなく、わたしの自分の心をさらけだして語っているのです。私はイエス様を世の救い主と信じます。イエス様にしたがって生きていくという宣言もしました。牧師として皆さんにイエス様への信仰の導きを語る者、しかし自分の中に、いつも神様に愛され、喜びの心に満ちていると言う人間でない自分の姿があることも知っています。私は自分の思い、感情がいつも顔に出てしまいます。喜びの時はSMILE と涙がいっしょに出てしまうのです。 疑いの時、心落ちしている時は、自分一人でいる時間が欲しいのです。そこで、イエス様に、こんな私ですが、あなたは私を愛してくださいますかと心の中で会話の時を持つのです。しかし、今ここで語っていることは、私だけではなく、皆さんの中にも疑問の時があるでしょうし、本当にイエス様、あなたは本当に、私を愛してくださっているのですかと質問をした人たちが沢山いらっしゃると思います。イエス様は私たちの心の中をすべてご存知です。ではイエス様との祈りの会話なんていらないんじゃないかと言われるかも知れませが、いやそうであるからこそ祈りの時をもって欲しいのです。一人でくよくよ悩むことを私はよく経験しますが、イエス様はその悩みも一つ一つもご存知で、ある時に私に語りかけてくださるのです。イエス様の他に、人生の色々な問題に、頼れる人、あるいは頼れるものはあるでしょうか? ある人にとってお金がすべて、幸福がすべて、有名になることがすべて、あるいは健康でいられることが一番大切と信じる人は多いと思います。私、私たちにとって一番大切なのはイエス様です。イエス様は、私たちのすべてを知っている救い主、慰めぬし、許しの主、励ましの神様です。そのような神様であるイエス様に私たちは生かされているのです。生かされているのはただ私のためでなく、私の受けた神様の愛をほかの人にも受け取ってほしいと祈ることです。 最後にもう一度イスカリオテのユダについて一つだけ語ることがあります。イエス様を裏切ったユダは地獄に落ちた。神様との関係を絶つてしまったと云われていますが、覚えていてほしいことは、今私たちが神様にそむくことがあっても、イエス様は私たちを見捨てることはしないと言うことです。イエス様は辛抱強いお方です。何回も、何回も、何回も、私たちが心から罪の告白をするたびに私たちを赦してくださるのです。私たちはイエス様にとってかけがえのない神様の子供なのです。そのことを信じて、神様、イエス様に感謝をしながら生きることができる私たちになれるように祈ることを主は私たち一人ひとりに求めていらっしゃるのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算第1212号 (日本語) 2012 5 20W 週報通算第1212号(英語) Sunday English Bulletin 1212E   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 2012年5月12日母の日ランチョンでお母さんに感謝  Senoras & Senoritas, come join us for an afternoon of south-of-the-border fun. A fiesta of big hats, piñatas, Mexican music, games and, of course, a delightful south-of-the-border meal in LCR’s Cantina. 母の日に因んで日頃のお母さんの労を感謝するLCRでの恒例の母の日のランチョンが催されました。当日はお母さん達はメキシカン風に装ったり、思い切りカラフルなドレスを着たり日頃地味に装うのに慣れている人達も今日ばかりはド派手。テーブルは見事にメキシカン風にセットされ日頃真面目な顔をして礼拝に出ている男性達も赤いCinto(Belt)をして甲斐甲斐しくレストランのウエイター顔負けのサービス振りに私達も大満足。御料理も前菜のチミチャンガやコーンチップ、メーイン・ディツシュはトスターダ、デザートに至るまで皆係りの方々の手作りとか。日頃の煩わしさを忘れ楽しいランチョオンのひと時を過ごす事が出来ました。記: 愛子G.                                                                                 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet イエスキリストの恵みと平安が会衆の上に豊かにあるように!    1909年、北海道の塩狩峠を上っていた旅客列車の最後尾の連結器がはずれる事故がおきた。その車両にはキリスト教徒の職員が乗り合わせていた。 その名前は長野政雄(ながの まさお)兄。 彼は、逆向きに暴走しそうになる客車の前に身を横たえ、暴走を食い止めた。彼は殉職することになったが、これにより多くの乗客の命が救われた。 なぜ長野兄は、自分の身を犠牲にして、人の命を助けることができたのだろうか。 もし同じような状況におかれたら、あなたは、彼と同じ行動をとるだろうか?    ちょっと質問を変えたいと思う、あなたはイエスキリストとどのような関係だろうか? ひとりひとり、さまざまな表現でその関係を描写されるだろう。しかし、もし、縦の関係か、あるいは横の関係かと聞かれたら、どのように答えられるだろうか? 私が若かったとき、こんな話を聴いた。 イエスキリストは主人、そして私たち人間はその仕え人、だから、キリストと私たちの関係は縦の関係。 そして、私と兄弟姉妹の関係は、横の関係。 そして、この縦の関係と横の関係で、十字架をなしている。  この話は、ある意味、とてもわかりやすく、的を得ていると思った。 しかし、イエスキリストと私たちの関係は、縦の関係だけだろうか?    今日与えられているヨハネ福音書では、イエスは弟子たちに、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。」 これは、イエス・キリストが十字架に架かる前日、つまり最後の晩餐の時に、弟子たちに話していた言葉。 ここで、わかるように、イエスと弟子たちの関係は、主人と僕の関係以上のものになってきている。 そして、イエスは最後の晩餐の翌日には、弟子たちのいたらない部分すべてを赦すために、十字架に架かった。 弟子たちと同じ立場、弟子たちの友、弟子たちを愛しているキリストの愛がある。 それは、イエス・キリストが復活後に、弟子たちに顕れ、「なんで私が十字架にかかるのはとめなかったのか?」とか、「十字架にかかるとき、なんで逃げていったのか?」などと非難の言葉を述べるわけではなく、復活後はじめてあった弟子たちに、「あなたがたに平安があるように。」と言われた。   十字架刑から三日目の弟子たち、イエスには、弟子たちが、どんな気持ちでその日を迎えていたかよくわかっていた。 自分たちがなすべきことをなにもできずに、ただ罪や恥の意識で、どうしようもなかった弟子たちの気持ちを察したイエスの愛のあらわれだと思う。  今日は母の日だが、キリストの愛は、ある意味、子を愛する母の愛にも似ているような愛。 短い話を紹介したいと思う。50円のお金を、自分の家においてあった教会への献金箱からとろうとした6歳の男の子がいた。 しかし、そのまさに取ろうとするところを母親に見つかってしまう。 自分のしていたことが、どんなに悪いことかをわかっているその子は恐くてしょうがない。 その気持ちを十分にわかっている母親はとがめることなく、そっとその子をだきしめ赦す。    イエスが十字架刑に架かる前、そして復活後に語った言葉は、聖書に記載され、世界中の人々に与えられている。イエスの死と復活から2000年たった今も、わたしたちはその同じ言葉を礼拝の中で聞いている。 わたしたちは、礼拝に出るということは、人間がイエス・キリストに仕えるために礼拝に出ていると頭では考え勝ちだ。たしかに、私たちは仕えているが、しかし、礼拝の中で、実は、神ご自身、キリストご自身が、私たちに仕えている面がある。    メッセージの後、岸野先生の司式により聖餐式があるが、その聖餐式のパンとぶどう酒の中に、イエス・キリストの存在がある。そして、イエスが私たちに仕えてくださって、霊的に滋養され、キリストの愛と赦しが与えられ、そして私たちは、礼拝の場から外に向かって派遣される。    メッセージの最初に、長野兄がなぜ、あのようなことができたのか、という質問をした。 長野兄は、クリスチャンであり、礼拝に出て、イエスの御言葉を聴き、そして聖餐に与っていた方。 最初の質問について考えるとき、イエスが弟子たちに対して言っていた言葉が参考になると思う。イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」と語っていた。 それは、長野兄が主語ではなく、主なるイエスが主語で、キリストが長野兄を選び、神の御用のために、彼を派遣した。 そして、客車に乗っていた多くの人々の命が救われただけではなく、長野兄の話は小説になり、また映画にもなり、多くの人々に影響し、いまでも多くの人々の心が動かされている。     私たちは、この礼拝に自分できて、自分で聖餐をいただき、この礼拝堂を出ていくように思い勝ちだが、実のところ、神が私たちを礼拝に呼んでくださり、神がこの礼拝において奉仕してくださり、そして、私たちを、神の御用のために、この礼拝堂から送り出してくださる。キリストの友であるわたしたちは、主イエス・キリストが私たちに与えてくださっている愛を、さらに地域の人々、困難の中にある方々、あるいは家族、友人たちと、分かち合うように導かれている。それは、かならずしも、神が長野氏を通して示したようなドラマチックな愛の示し方ではないかもしれない。 しかし、一人一人、キリストの友として、この上のないキリストの愛と赦しを、聖霊の助けにより示すように、遣わされる。  この一週間、また、さまざまな境遇におかれると思うが、イエス・キリストの愛が豊かにあなたがたに宿り、そして、キリストの愛を、あなたが遭遇する方々に示されるように祈る。   今日は母の日。まだ母が健在とおっしゃる方も、残念ながらもう母を亡くされた方も、あるいは母が病床の中にあるという方もあり、今日の母の日の思いはいろいろ複雑だと思う。 しかし、一人一人、どのような状況であろうが、母のようなキリストの愛が、一人一人に宿っていることを覚え、豊かな母の日を過ごされますように。 アーメン。  Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算#1211号[日本語) 2012 5 13W 週報通算#1211号[英語) Sunday English Bulletin 1211E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet マタイによる福音書18章1-5節 ルカによる福音書18章15-17節 マルコによる福音書5章21-43節 私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方の上にあるように。アーメン。 今日は特別な日曜日です。と言うのは私たちの教会の中で子供祝福式をしたいからです。そこで自分はまだ子供だと思っている人に前の方に出てきて神様と私たちの関係を考えて見たいからです。 皆さんにお父さんとお母さんがいますね。お父さんとお母さんはとても大切な人です。「あなたの一番好きな人は誰ですか」と質問されたら、それはお母さんとお父さんと答える人がほとんどだと思います。同じような質問を大人の人たちに聞いてみます。「大人の皆さん、皆さんが一番大好きな人は誰ですか?」やっぱり大人にとって自分の子供はとても可愛いのです。もっともお父さんの一番好きな人という質問にお父さんが、「それはお母さんと子供たち」、同じように「お母さんの一番好きな人はだれですか」の質問にお母さん、「それはお父さんと子供たち」と答えたら、それは素晴らしい家族だと思います。 聖書の中で一番初めの話は神様が、広い宇宙の中で地球を作ってくれた、それは空の星、太陽、植物、動物と、私たちの生活の中で必要なものを作ってくれた話です。また、神様は、人間を神様の姿に似せて造ったと書いてあります。それほど神様は自分と、自分のお創りになった私たちを大切に愛してくださっているのです。 私はもう60歳の大人ですけれど、子供の時、お母さんとお父さんから私が生まれてきた時の話をよく聞きました。同じように、私の27歳になる娘、Katie と22歳の息子、Andrewも恥ずかしながらも、生まれてすぐのビデオ・テープを何回も何回も見てきました。彼らがお父さん、お母さんになるとまた同じことを経験するのです。 将来のいつか、私たちは誰でも年をとり、この世を去り、神様の国に行くことができると信じます。私たちは子供としていつも遊んでいられたいなと思うことがあるでしょう。学校は楽しいのですが、時には算数も、英語のクラスも難しくて泣きたくなることがあるでしょう。でもまだ小さい時はいろいろな知識を身につけることが簡単にできます。大人になると忘れっぽくなってしまい、昔のことは良く思い出せるけれど、若い皆さんが好きなビデオ・ゲームなどとてもついて行けません。それなのに、昔はやった歌、それも40年も、60年の昔の歌をカラオケで歌う時が楽しみな大人になるのです。 イエス様の話は教会で、Sunday schoolで、あるいはおとうさん、お母さんから聖書の中に書いている話を聞いているでしょう。もうここにいる皆さんは教会の中で、聖書の話しをたくさん知っているでしょう。私の子供の時の一番好きな聖書の話はノアの箱舟の話でした。ノアさんは神様から命令されてすべての雄と雌の動物を箱舟に入れなさい。これから洪水が来ます。箱舟に入った人と動物はすべて救われますよと約束なさったのです。 同じようにイエス様はすべての人に「私を信じなさい、私を信じる者はたとえ死んでも生き返るといわれました」。本当に死んだ人は生き返るのでしょうか?言い方を変えれば、イエス様を信じ、この地球で人生長い間生きた人たちは、たとえ死ぬ時が来ても、神様は神さまの元へ連れて行ってくださる。そこで、また私たちは私たちのおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、すべての愛する人とまた会うことができるのですと教えてくださっているのです。まだ若い皆さんはしかし今そのことを心配しないで大丈夫です。 大切なことは、お互いを助け合いなさい。誰かが悲しい時、優しい声をかけてあげなさい。誰かが仲間はずれにされているのを知っていたら、仲間に入れるようにしてあげなさい。そして家族の中で、お父さんとお母さんを敬いなさい、兄弟の中で喧嘩をすることがあるでしょうが、喧嘩の相手も私たちと同じように神様から愛されていることを知ることです。 私の心を打たれる聖書の話は、イエス様が死んでしまった13歳の女の子をよみがえらせる話です。それをもう今日の福音のことばとして聞きましたがもう一度その話を聞いてください。 ユダヤ教の会堂長のヤロイという人がイエス様のところに来て、ひざまずき、自分の幼い娘が病気で死にそうなことをイエス様に話たのです。「イエス様どうか、おいでになって娘に手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」しかしイエス様が会堂長の家に帰る途中、彼の家から使いが来て言いました。「お嬢さんはなくなりました。もう先生をわずらわすにはおよばないでしょう。」イエス様はその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい。」と会堂長に言われたのです。そして弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネのほかは、誰もついてくることをお許しにならなかったのです。さて一行は会堂長の家に着きました。イエス様は人々が大声で泣きわめいて、騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われたのです。「何故、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているだけだ。」 人々はイエスをあざ笑ったのです。しかしイエス様は皆を外に出し、子供の両親と3人の弟子だけを連れて、子供のいるところへ入っていかれたのです。そして、子供の手を取って言いました。「タリタ・クム」その意味は、「少女よ、私はあなたに言う。おきなさい」という意味です。少女はすぐに起き上がって、歩き出した。もう12歳になっていたからである。それを。見るや。人々は驚きのあまり我を忘れた。 この記事はマタイとルカによる福音書でも書いてあるイエス様の有名な奇跡です。まだ幼い者には私たちが多くのことをしなくてはならない。しかし幼いないものに私たちは、大きな希望と夢を託しているのです。そして私たち子供の親が、いつか孫の顔を見たいのです。自分の子にも、孫にも私たちは親としての愛を注ぎたいのです。そしてその愛の精神は長い世代を通して、今世界を平和の世界へと導くのです。 最後にカール・バルトさんと言う教会の教授であり牧師先生である人が、アメリカに来た時、ある新聞社の記者にこう質問されました。「バルト先生、あなたは神様についての勉強を長い間やってきていることを知っていますが、あなたが知っているイエス・キリスト様を一言で言うなら、どのように言えるか教えてください」。 カール・バルト先生はこう答えました。「主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも、恐れはあらじ、わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、我を愛す」。この讃美歌の英語の歌詞を皆さん知っているはずです。 “Jesus loves me this I know”です。Jesus loves me this I know for the Bible tells me so.  Little one to him belongs, we are weak, but He is strong.  Yes, Jesus loves me, yes, Jesus loves me, yes Jesus loves me, the Bible tells me so. 大人の人も一緒に日本語でさんびかを歌ってください。神さまは私たちをどんな時にも忘れず、愛してくださいます。Here we go.  Jesus loves me this I know. For the Bible tells me so, little one to him belongs, we are weak, but He is strong.  Yes, Jesus loves me, Yes, Jesus loves me. Yes, Jesus loves me, the Bible tells me so.  Amen. Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet    “The Good Shepherd” May God the Father and the Lord Jesus Christ give you grace and peace.  Amen. This is a pure guess, but two of the most loved Bible verses are the following: the first is from the Gospel of John 3:16, which is “For God so loved the world that he gave his only Son, that whoever believes in him should not perish but have eternal life”.  And the other one was written by King David almost 3,000 years ago called Psalm 23 that begins by saying, “The Lord is my Shepherd.  I shall not want.  He makes me to lie down in green pastures.  He leads me beside the still waters.  He restores my soul.  He leads me in the paths of righteousness for his name’s sake.  Even though I walk through the valley of the shadow of death, I will feel no evil for you are with me.”  This is beautiful English and it almost sounds like a poem, but for me this King James English is difficult to understand.  So every time I have difficulty understanding the Old English Version, I read the translation through either the Bible called– Today’s Revised Standard Version Bible or The Good News Bible.  The following is Psalm 23 by the Good News Bible or another name for this Bible is The Good News for Modern Men.  Close your eyes and Listen.  “The Lord is my Shepherd; I have everything I need.  He lets me rest in fields of green grass and leads…