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February 5th, 2014
2014年2月2日顕現節第4主日聖餐礼拝説教 「心の貧しい人」”The Poor in Spirit”
No Comments, 牧師説教, by admin1.Tweet マタイ5:1-12 牧師 安達均 主イエスキリストの恵みと平安が豊かに注がれますように! ご自分の生活を振り返ってみて欲しい。自分あるいは身近な方が肉体的な病の中にある方、たくさんおられる。病ばかりではなく、肉体的にはまだまだ成長の過程にある赤ちゃん、子供、孫の世話をしているという方たくさんいる。 あるいは、精神的に病んでいる方が身近におられる方々もたくさんいる。総合失調症、記憶喪失症など。年配者が記憶喪失気味になるばかりではない。 実は、私の友人の牧師は、子供がまだ高校生だが、中学の時に突然記憶喪失に襲われ、それ以来、どこの小学校に行っていたかとか覚えていない。しかし、その記憶喪失があってからのことは、しっかり覚えていて、彼にとって新しい人生、親にとっても新たな親子関係になっている友人がいる。 あるいは、肉体も精神も健康だが、どうしても霊的なことを受け入れない方、神を拒む方、あるいは、イエスはごめんこうむるという方が身近にいて、悩むというか、大げさかもしれないが、迫害を受けている方々もおられる。 福音書の箇所は、有名な山上の説教。マタイ5章から7章まで続くが、その一番最初、日本語では「心の貧しい人々は幸い」と訳された箇所。最初に、この山上の説教を聞いているのは、どういう人々かを説明しておきたい。 4章には、イエスがガリラヤ湖付近で教え、ありとあらゆる病を癒したため、その評判を聞きつけた人々が、様々な病気や苦しみで悩む人々を連れてきた。そして、大勢の群集がイエスに従うようになった、と書かれている。 この山上の説教は、そのような、病気や苦しみで悩んでいる本人も、その介護者、親だったり子供だったり友人なりもいた。また、中にはイエスを疑う者もいたと思うし、本当にいろいろな人々がいたのだと思う。現代でも冒頭に述べたような、さまざまな病気や悩みに苦しむ方々がいるが、そのような者たちに説教をはじめた。 日本語では、「心の貧しい人々は幸い」となっているが、ヘブル語あるいはアラム語の語順で書くが、「幸せ、貧しい人々、霊的に。なぜなら、彼等のものだから、神の国は。」となる。 最初の言葉は、「幸せ」という言葉で、ぐっと聴いている人々の注目を集める。 さらに続く言葉は、「貧しい」という言葉。 なんで?と聴衆の注目を益々集める。皮肉を言っているわけではない。その次の言葉は、「霊的に」という言葉。霊的に貧しい、よく考えると、イエスさまがおっしゃりたいことは、「霊的にとても弱く、助けを必用としている人々」となってくると感じる。 それはすなわち、群集の多くは、病になっていて、医療ではとても直せず、霊的に満たされることがなにより大切だった。だから、幸せなのは、霊的な助けをいただける、私に従ってきているあなた方だ。そして、神の国を引き継ぐことになるからと話されているように聞こえる。 そのあとは、「悲しんでいる人」、「柔和な人」、となるが、群集の中には、赤ちゃんを失い悲しんで居る者もいただろうし、病人を連れてくる柔和な心を持った人々もいただろう。 さらに、日本語では「義に飢え渇く」となっているが、社会正義的には話しのあわない社会に住んだいた。さらにイエスは、「憐れみ深い人」「心の清い人」「平和を実現する人」「義のために迫害される人」となってくるが、イエスキリストご自身がそういう方であり、イエスキリストに従う者たちも、つまり目の前にいる群衆の一人一人も、キリスト者に変えられて、イエスキリストの祝福、神の国の中にある者とされていくことを述べているように思う。 このイエスの語った山上の説教は、2000年前にイエスに従った大群衆に語られているだけではなく、今、この礼拝堂の中で、あらたに神なる主イエスの言葉として、主が豊かに私たちに与えられている。 それは、さまざまな悩み、また病にみまわれている私たちに、「幸せなのは、今、霊の助けを必要として、この場にいる、あなた方だ。 なぜなら、あなた方が神の国を引き継ぐから。」 それは決して、肉体的、精神的な満足を与えられるものではないかもしれない。 正式な牧師になる前だったが、癌病棟でチャプレンとして奉仕していた。 3ヶ月だけだったが、その間に何人か患者さんが召された。看護士の方が、私のところによってきて、「ありがとう。患者さんたちにとって、また家族の人々にとって一番大切なのは霊的な癒しなのよ。」と言われたことがある。クリスチャンとして先端医療機器の開発、生産、販売する会社に25年間勤めた私も、実は同感だった。 私たち人間には、肉体的あるいは精神的にどんなピンチを迎えていようが、主イエスの信仰により、一番大切な霊的な欠乏が補われる。主イエスキリストが大きな希望、豊富な恵み、慈しみ溢れる癒しを与えてくださり、人は祝福の内に次のステップを歩み出すことができる。 アーメン Matthew 5:1-12 Pr. Hitoshi Adachi May the Grace and Peace of Jesus Christ be with you all! Please reflect upon your lives. I understand that many of you, your family members, or someone close to you are dealing with physical disease. Or not only physical disease but many of you are also taking care of your own children or grandchildren who are still growing physically and mentally. Or you or someone close to you might have some sort of mental illness. Like depression, eating disorders, or schizophrenia for example. One of my pastor friends has a son, who is in high school. A couple of years ago, he suddenly developed amnesia. Since then he does not remember his past life. He does not remember where he grew up or which elementary school he attended. However, after the incident, he is OK, because he at least remembers his life from two years ago. So the relationship between the son and parents was renewed and strengthened. Or you might have family members or close friends who are physically and emotionally OK, but do not accept or believe in any type spirituality, especially denying Jesus Christ, as their savior. Although it’s an exaggeration to say you are oppressed or persecuted by them; you may be mocked and shunned for your beliefs. Today, I read the first portion of Jesus’ Sermon on the Mount, which is a long sermon,…