Tweet 2016 03 03 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 使徒 6:1-7 ヨハネ 14:12-18 恵みと平安が会衆の心に豊かにそそがれますように! 1月に紹介されたように、復活ルーテル教会は、ステファノミニストリーの教会として登録され、Kathy McGriff と私は2月始めにリーダシップの研修会に参加してきた。その時学んだことをとくにこのメッセージの後半で述べたい。 始めて教会の門をくぐったときの経験覚えておられるだろうか? 親が教会に行っていたから、ついて行き、なんの抵抗もなく子供のときから教会に来ておられる方もいる。 しかし、みなさんの中には、たいへんな思いをして、なにかつらくてしょうがないことがあって、教会の門をくぐったという方は必ずいると思う。 この復活ルーテル教会においても、人生のさまざまな困難を経験しておられる方々のことを毎週祈っている。 それに加え、カール牧師と私は、はじめて教会に来られた方々をWelcomeし、なるべく話をするように心がけているが、重荷を負って、この教会にはじめて来られたという方々は決して少なくない。 さて、与えられた聖書の箇所に触れていきたい。 今日は、聖書日課の福音書ではなく、まず使徒言行録6章1節から7節に書かれた内容に触れたい。 キリストの初代教会において、苦情と言うものが出たという:)。 現代の教会とも似ている状況があるのかと思う。 私はもし、苦情が出ない教会があったら、それこそ教えていただきたい。 もっとも苦情という言葉はニュアンスがただしく伝わっていないかもしれない。 不満だけではなく、心の悩みや、意気消沈してしまうようなことも含まれていたのかと思う。 そのようなことを言い出したのは、未亡人の方々だった。 しかも、おそらくヘブライ語を話すユダヤ人中心の初代教会にあって、ギリシャ語を話す未亡人、つまり、とてつもない心の痛手をおった方々の悩みが聞こえてきたのだ。 それに対して、使徒たちは、真剣に対応しようとしている。 12人の使徒たちは、弟子たち全員あつめて、話あっている。 使徒たちは、御言葉の奉仕がまずは一番なので、それをおろそかにして、苦情対処にあたるわけにはいかないと考えたが、かといって愛と正義の奉仕をおろそかにもできなかった。 そして、食事の世話となっているが、食べ物の割りあてだけではなく、苦情以上のなにかがあったのだと思う。 悩みの解消、心の安定のために、愛と正義の奉仕にあたる、霊に満ちた弟子、ステファノを先頭に7人が選ばれた。 この7人は、ただ、食事の世話以上の、霊的なケア、癒し、を実現したのだと思う。 結果として、ただでさえ初代教会は、弟子の数が増えていたが、ますます弟子の数が増え、それまではユダヤ教の司祭だった聖職者たちも、悔い改めて、キリストの信仰に改宗する者もどんどん出てきた。 さて、初代教会で起こったことから、現代の教会は何を学んでいるのだろか。 実は、このようなステファン他の、働きに注目して、ルーテル教会の牧師だった、ケネスハーグ牧師という方が、信徒たちにSOSを求めた。 1970年代の半ば、ケネス牧師は、17名の方々のパストラルケアをする状況に見舞われていた。 17名の家なり病院なりを訪問するだけでもくたくたになる。 その上に、もちろん御言葉を告知する奉仕も、教壇から行なった。 しかし、その時のことを思うと、とても17名のかたがたに、自分が良いケアをできたとは思えなかったと振り返る。 そして、教会の信徒の方々で、霊に満ちた方々、9名にお願いして、パストラルケアの基礎について数日間教えたそうだ。 そして、彼等のことを、「ステファンミニスター」と呼んだ。 学びを終えた9名には、それぞれ、訪問してこころのケアを必要としている人々を指名した。 すると、ケネス牧師は、信徒の方々が、いかにすばらしケアをしてくるかに驚いた。 そればかりではなく、信徒がケアをするなかで、そこにイエスが働いてくださり、ケアを受ける方が癒され希望を持てるということがわかり、ケアをする側もたいへんな喜びをを実感できるということもわかった。 それから数年後には、ケネス牧師は、自分の教会だけではなく、近隣の教会にも、このステファンミニスターを育てるシステムを導入してはどうかと思い、他の教会では、ステファンミニスターを教える人を育て始ることにした。 これが、ステファンミニストリーの始りだった。 それが、今、全米、カナダ、中国も、合計で12000もの教会がステファンミニストリーを導入した。 だれがだれをケアしているかなどは一切、個人情報なので、公開はしないため、ステファンミニスターは、無言のヒーローとか、静かな聖人とさえ呼ばれることもある。 そのステファンミニスターの数は、過去40年に60万人にも増え、ケアを受けた方は、150万人以上もの方がケアを受けた。 我々の人生、突然、どうしようもない状況がやってくる。 真っ暗闇で先は見えない、トンネルを抜けたと思っても、やはり真っ暗闇ということだってあり、光が全く見えないことだってある。 そのような状況に置かれている人々に、イエスキリストの体である教会が対応するように、神が招いている。 それは、教会員のメンバーだけに対応するということではなく、普段は教会に来られていない方々に対しても、対応を迫られているのではないだろうか。 ステファンミニスターになるということは決して簡単なことではない。 まず50時間の授業を受ける。 そして、週一時間は、ケアを必要としている方に個別に会うようにする。 一月、4時間は実際のケアにあたる。 そしてまた、ステファンミニスター同志で5-7人で集まって、一回2.5時間程度の、月二回のケーススタディのようなことも行なう。ケアをされている方々の名前は出さずに行なわれる。 いいたいことは、50時間の訓練を受けたあとも、月10時間ちかくの時間を、さらに捧げて、ケアを必要とする方々に無償で奉仕をする。 とても、私はそのようなことはできないと思われるかもしれない。 しかし、みなさんのなかに、ステファンミニスターとしての賜物を持っている方は必ずいる。 あるいは、ステファンミニスターにならなくても、さまざまな形でミニストリーをささえるリーダになれる可能性だってある。決して、ワンマンショーではなく、ティームワークである。 大切なことは、神の招きに応じて、この復活ルーテル教会が、人々を通して、人々に、キリストのケアを届けること。 そして、そのケアのなかに、主イエスが必ず共に居てくださることを覚えて。 アーメン 安達均 The Effects of Stephen Acts 6:1-7 and John 14:12-18 May Grace and Peace of Jesus Christ be poured into the hearts of the people gathered in this sanctuary! As it was announced in the Temple Talk in January, our congregation is now registered as a Stephen Ministry Congregation affirmed by Church Council, Mission Endowment Fund Committee, and of course supported by Pastor Carl and I. A few weeks ago, Kathy McGriff and I attended the Stephen Ministry Leadership training. I would like to touch on that experience later in this message. Do you remember what caused you to come to church for the first time? Of course, whatever the reason, I believe that the Holy Spirit brought you to a sanctuary, but if you look back at the details, there must be many unique individual stories. For example, some kids are lead to come to church as part of the family and that naturally grows into a conscious decision to continue coming to church. But I know, without a doubt, that there are people who came to church for the first time with heavy burdens; They might have no idea what would come of tomorrow due to a financial crisis, sudden unemployment, divorce, his/her chronic disease, a death of a loved one, etc. Such stories also exist in the Bible, where people looked to Jesus Christ when…