Tweet 今日でやっと全ての後片付けが終了した。使用済みの飾り物や、展示に使った打ち掛けなどを丁寧に箱に詰めながら、今回もあっという間に終わってしまったジャパン・フェスティバルの全てを思い浮かべてみた。 LCR Friendship Task Force (F.T.F. 日本語では友好実行委員会)は、今年の始めから、7月30日に予定されたジャパン・フェスティバル目指して計画を立てた。 今年で第四回目とは言え、毎回同じ出し物では味気ないし、食事もお弁当ではなく、自分たちで何か作れないかどうか考えた。前回までは皆さんに買っていただくティケットはお弁当付きだったから、食べたくない人にもお弁当が配られたわけで、考えれば勿体なく思えた。そこで、今年は毎回お弁当をお願いしている武田社長にお会いして、カリフォルニアロール、太巻き、そして稲荷のバラ売りができないかお願いした所、快く引き受けて下さった。結果としてはカリフォルニアロールを30本、太巻きを20本、稲荷は100個注文する事になった。 その他に、民さんがチキンカレーを150人作ってくれることになった。大変な仕事である。武田さんに営業用のカレーを3袋譲ってもらえたのはありがたかった。稲荷が100個では足りないかも知れないと心配していたら、星さんが100個作って持って来てくれる事になった。スナックは、日本食を食べない子供達が来たらどうするか、という話しになり、前回同様、Chery lKleinの担当で、ホットドックもマカロニチーズも出す事になった。勿論グリーンティーアイスクリームや、ラムネは今年も必需販売品である。 さて、展示場の方は、前回大好評だった、スミスさんの折り紙と奥様のちぎり絵、松村さんの古代布アート、井上さんの紅型型染めの展示をお願いし、後は林さんの生け花、上原さんの墨絵がデモンストレーションの後展示される事になった。また、今年の着物着付けモデルは、去年広島旅行に参加したAshleyが名乗り出てくれた。礼拝堂での出し物は、毎回お願いしている「ゆうかりコーラス」の皆さんに今年も歌ってもらえる事になった。また大橋さんが日曜学校の子供達に簡単な日本舞踊を教えてはどうかというアイディアを出してくれたので、それはありがたいと直ぐにお願いし、日曜学校の生徒達で踊りたい子供達を募った。7月の初めから毎週日曜日に、大橋さんが何人かに日本舞踊を指導し、どうにかなるだろう、という所までこぎつけた。勿論フィナーレは今年も心太鼓会の皆さんにお願いした。今年で4回目になる心太鼓会の福原さんはもうお馴染みである。そして、今年は特別にラッフルティケットを売り、売り上げの全額を東日本災害義援金として、日本福音ルーテル教会の立野先生に送る事になった。 立野先生は3月11日の災害の後すぐに現地に駆けつけ、援助活動を始められた。今では「となりびと」というブログで紹介されているが、多くのボランティアを集めての大きな活動となっている。海を越えている私達には、一緒にボランティア活動はできないが、少なくとも自分たちにできることをしたいという願望は常にある。F.T.F.英語部メンバーのGailとCherylが、3月から集めた新聞の切り抜きを使って、Japan Disaster Displayを作成し、ティケット販売のテーブルに展示する事になった。ラッフルティケットとは宝くじのようなものだから、先ず賞品を集めなくてはならない。この呼びかけに日本語部全員、また友人家族の皆さんが快く応えて下さり、沢山の品物が集まった。ジャパン・フェスティバルに因み、日本風で、未使用な物に限らせていただいた。また、ローカルのレストランにもお願いした所、喜多山レストラン、古都レストラン、えびすラーメンの3件が快くギフト券を寄付して下さり、本当に感激だった。 7月25日、ジャパン・フェスティバルの週に突入した。必要な事柄を全てリストアップし、見落としが無いように毎日チェックしながら、着々と準備を進めて行った。金曜日に飾り付けも終わり、次の日の為に英気を養わなくてはならないとばかりに、F.T.F.のメンバー全員が早めに帰宅した。いよいよ明日だ。 土曜日の朝、7時からDennis を筆頭に、セットアップメンバーがテントを立ち上げ始めた。今年はLCRの男性グループにお願いした結果、沢山の男性群が集まり、あっという間にテントが2つ、3つ、4つと立ち上がった。問題は鯉のぼりだった。担当の深見さん(祥子さんのご主人)が、大切な部品が一つなくなっていると言う。松井さんや藤原さんが側に立って両腕を抱えながらどうしたもんかと考え込んでいる様子だ。そんな彼らの横を、各ブースの机や椅子がどんどん運ばれて行く。サインを掛け、スナックのテーブルや準備も始まった。祥子さんが興奮したようにやってきて、「部品が見つかりました。ちゃんとありました。」と報告してくれた。そして15分後には見事に鯉のぼりが南カリフォルニアの青空をバックに泳ぎ始めたのである。民さんが台所で作るカレーの匂いがし始め、提灯がぶら下がり、飲み物がクーラーで冷え始めると、そろそろブース担当の人たちが集まって来た。先ず台所と食堂のお手伝いに志垣さんと白井さんが駆けつけ、鉢巻き担当の愛子さんとご主人のペトロさん、日本語101の佳代子さん、吉成さん、樋口さん、墨絵のお手伝いをして下さる波多江先生、子供コーナーのさと子さんや、生け花ブースやショッピングブース担当の英語部のご夫人達がぞくぞくと集まってくる。着付けの粂さんがモデルのAshleyをつれて二階に上がり、大橋さんが子供たちを集め始める。浴衣をきた子供たちが走り回る姿に「祭りだ〜祭りだ〜」と叫びたくなって来た。安松さんの孫、Russell君が浴衣を着ておばあちゃんと一緒にやって来た。岸野先生のお子さん達、Andrew とKatieにも早速浴衣を着てもらう。見ているだけで楽しくなる。アメリカで生まれ育った2世の子供達にも、今日は日本文化にどっぷりと浸かってもらいたい。 4時開催だったが、3時過ぎから人が集まり、教会オフィス入り口のティケット売り場に列が出来ている。前売り券だけでも250売れているから、これは300人以上になるなあ、と思いながらプログラムを片手に4時から始まる墨絵のデモンストレーションへと走る。4時開催で、直ぐには人が集まらないかと思いきや、すでに何人もの人がTホールに設置したデモンストレーションの場所に集まっているではないか。上原さんの手際よい、アイリスと菊を描いた墨絵のデモンストレーションが終わり、次は林さんの生け花だ。お二人に前もって、一人15分ですよ、とお願いしてあったので、さすがプロである、ちゃんと15分内で終わるように準備されていた。続いてのデモンストレーションは、粂さんの着物着付けだった。手際よく着物が着せられ、帯に入った時には、しっかり起立していたAshleyの足が揺らぐ程、粂さんがきつく帯を締め、背中の帯の形も美しく決まった。着付けが終わったAshleyは、5時から始まる礼拝堂でのショーに出てもらう為に、出来るだけ早く、でも慣れない着物なのでしかたなくゆっくりと礼拝堂への向かってもらった。 5時からのショーは、日本語部牧師の岸野豊先生による歓迎のご挨拶から始まった。先生は日本で引き続き行われている援助活動の現状も話され、今回の収益が災害義援金として使われる事も説明された。その後DennisがMCを担当し、先ずはゆうかりコーラスから始まった。素晴らしい歌声が礼拝堂に響き渡り、英語と日本語の両語で歌われる歌に、人種の背景などまったく関係なく、皆が聞き入った。コーラスが終わった後で、93歳の英語部のご夫人が、どうにかこのCDを手に入れてくれるようにと頼みに来たほどである。ゆうかりコーラスの合唱の後は、着物をきれいに着こなしているAshleyと、モダンな上下の着物姿のConnieが二人で「扇子の会話」を演じた。これは出し物の合間に入れたちょっとしたジョークで、皆さんに笑っていただけたと思う。この後はいよいよ大橋さんが苦労して教えた英語部の子供達による日本舞踊のお披露目だ。どうなることかと思ったが、上手に踊ってくれた。子供達の踊りが終わると、大橋さんが堂々と「松の緑」を舞い、大喝采のうちに幕締めとなった。Dennisの閉会の挨拶に続き、観衆は前庭へと移動し、跆挙道の見学が始まる。その前に少しの時間を使ってラッフルの賞品当選者の発表をした。ラッフルの賞品は40以上も集まり、その中には盆栽あり、商品券ありで、時間を利用しないと当選者発表に長時間かかってしまう。何人か当選者を発表した後、Andrewによる跆 挙道のデモンストレーションが始まった。子供達だけでなく、大人も歓声を上げて楽しんだ。その後に始まる心太鼓の皆さんが、どうもまだ到着していない。この時とばかりに、また大橋さんに活躍してもらい、有志が輪になって教えられるとおりに炭坑節を踊りはじめた。子供も大人も、日本人もアメリカ人も、一つの輪になって踊る炭坑節が暫く続くうちに心太鼓の皆さんが到着。準備をしているあいだに、また時間を利用してくじの当選者を発表した。 そして6時半を過ぎた頃から、心太鼓会による和太鼓の演奏が始まった。ドンドンと心に響く音が海を越えて世界中にこだまして行くかのように、ドンドンドンドンと響き渡る。3年前に亡くなったF.T.F.の創立者Vi Minarさんを思い出しながら、「あなたが祈っていた通りに、この教会は神様の元で、今は日本語部も英語部も一つですよ」と今年も彼女に報告ができた。 ジャパン・フェスティバルを開催するにあたり、多くの皆さんが惜しみなくそれぞれのタレントを発揮して下さった。私達小さな日本語部の群れは、神様のみ力によって一つになり、大きな目的を達成する事ができた。上からのみ恵みと導きなしではできないことである。そして英語部の皆さんが私達日本語部をこれほどまでに助け、励まし、暖かく支えて下さっている事に、ただただ感謝である。 神様は目的を持って私達この日本語部をこの教会に於かれた。神様のご計画に応えるべく、全力を尽くしたこのジャパン・フェスティバル、最後は太鼓の音とともに、「良くがんばったね」と神様の声が聞こえてくるようで、嬉しくて疲れ等吹っ飛んでいった。 この場をお借りしまして、惜しみなくご協力下さった皆様に、心からお礼申し上げます。 Japan Festival Success Story A Rousing Success! These are the proper words to describe LCR’s Japan Festival IV which took place on Saturday, July 30th. Around 350 people attended the event that was co-sponsored by the Friendship Task Force (FTF) and the Japanese Ministry, under the leadership of Fumi Liang and Pastor Kishino respectively. Besides the members of those two committees, many people from the congregation pitched in to lend their hands-on help and support. From the crew of men who set-up and took down the canopies and tents, to the hardworking kitchen and dining group, and including those who staffed the booths and exhibits and put on the show, everyone pulled together to make the event the tremendous success it was. The various booths and demonstrations were busy all day and the show in the sanctuary was well attended. Raffle tickets sold at a brisk pace at the Japan Disaster Display booth. The 25 raffle prizes went to enthusiastic participants. As always the stirring sounds of the Taiko drums finished off the day in grand style. All ages of people attended the event and approximately $2,000 will be sent to Japan for disaster relief. As stated, it took many, many hours and lots of people to put on such a tremendous undertaking. FTF and the Japanese Ministry would like to thank everyone who helped before, during and after…
Tweet 2011年7月30日 HuntingtonBeachの空は飽くまでも青く晴れ渡りそこに海からの強風を孕んで3匹の鯉幟と吹流しが勢い良く泳いでいる。それは正に今日の成功を象徴しているかの様に思えた。今日7月30日は私達復活ルーテル教会日本語部とLCRのFTF(Friendship Task Force: 友好実行委員会)共同主催による第4回Japan Festivalの日である。この半年間FTFでは入念に計画を練り準備して今日の開催に至った。今回は東日本大震災の義援金募金の為、日頃新しいまま箪笥に仕舞ってあった日本的な品物を皆さんに供出して貰いRaffle Ticketの商品とした。又殆ど全ての教会員が心よりボランティアで協力し会員同士の連帯感、信頼関係を築くのに役立った。 和太鼓、生け花、墨絵、盆栽のデモや「やさしい日本語会話教室」、日舞、着物の着付け、コーラス等々数時間ではあったけれど日本文化に接する機会を分ち合う事が出来た事は大変有意義であった。ELCRで進めているMulticultur宣教もこのLCRの日本語部が率先して実行出来たことは多いに価値があると信じる。 愛子 Gordillo記 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 復活ルーテル教会・日本語部 2011年8月7日聖霊降臨後第8主日聖餐礼拝 週報No. 1176〔日本語) 2011 8 7W 週報No. 1176E ( 英語) Sunday English Bulletin 1176 E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
August 1st, 2011
2011年7月31日聖霊降臨後第7主日聖餐礼拝説教「祈りの時、それは神様と会話する時」”The Time to Talk with God.That’s the Prayer Time”岸野豊牧師
No Comments, 牧師説教, by admin1.Tweet マタイによる福音書14章13-21節 「祈りの時、それは神様と会話する時」“The Time to Talk with God. That’s the Prayer Time” 今日の福音書は、イエス様の話を聞きたいとイエス様に従ってきた多くの人たちに、5つのパンと2匹の魚を多くに人たちに分け与えた奇跡の話です。ところでこの話の中にどれくらいの人が集まっていたのでしょう。皆さん、もう一度今日の福音書の箇所、それはマタイの14章13節、ページは28ページです。時間を少し上げますから皆さんそのページを開けてください。なんいんとかいてありますか? 5千人でしょうか?本当ですか? では21節を見てください。何とかいてありますか? 「食べた人は、女と子供を別にして、男が5千人ほどであった」と書いてあります。と言うことは、当時のユダヤ人の生活の中で女性と子供は大人の男のような地位がなかったのです。男は家族のために仕事をし、給料を貰って家族を養う者。イエス様の時代には男と女は平等でなかったのです。私の想像ですが、イエス様の話を聞きたいとイエス様の元に来た人たちは女の人、子供も合わせて8千人、9千人位いたのではないでしょうか。そのような数の人たちが食べ物を買いに行ける処もあまりなかったと思います。「腹が減っては戦もできけない」と言う言葉を聴いたことがあります、このイエス様の元に来た人々、疲れて、お腹が空いたと推測します。この福音書には書いてありませんが、ヨハネによる福音書の同じ記事の中では5つのパンと2匹の魚、それはガリラヤ湖名産の燻製の魚を、一少年がイエス様に差し上げたのです。もしかしたらこの少年の両親が、イエス様の偉大なる奇跡の力でこのパンと魚を増やすことができるのではと、少年をイエス様に送ったのでないかと思うのです。さてイエス様はパンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちの渡したのです。弟子たちはそのパンを群集に与え、すべての人が食べて満腹した。ついでに福音書は、残ったパンの屑を集めると12の籠いっぱいになったと書いてあります。 この奇跡がどのように行われたのかといろいろ討論されていますが、ある人はこう言います。イエス様の話を聴きに来た人の中には何か食べ物を持っていた人はいただろう。旅をするのに食べ物を持っていない人があろうか。しかし実際食物を持っていなかった人もいただろう。そこでイエス様がお話になる前、5つのパンと2匹の魚を分け与えたのを見た群集は心を動かされて自分たちの持っていたお弁当をおたがいに分かち与えたのではないだろうか。目のまん前で、お父さん、お母さんと小さな息子が指をくわえて私のお弁当を見つめていたらどうしたでしょう。私、またわたし達の多くは、食べ物のない人の前でそれを分けてあげようと言う気持ちになるはずです。それが人間の思いやりの気持ちであったなら、お弁当を持っていた人達は、食べ物を持っていない人に少しでも分け与えたはずです。もっとも,イエス様は奇跡で5つのパンと2匹の魚を人々が受け取るにあたってそれが増えていったと考えてもいいのです。イエス様は5つの大きな瓶の中の水をワインに変えられた方ですから食べ物の奇跡もあって当然です。 これは少し脱線しての話ですが、私が子供のころ家族で、デパートに行き、お腹が空いたときによくデパートにあった食堂で、食券を買って丸い10ほどの席のあるテ-ブルで五目ラーメンとかトンカツ・カレーを食べたのを懐かしく思い出します。そのころは空いたそのテーブルの席に知らない他人の人も入ってきた。皆さんはそんなこと覚えているでしょうか? それが当たり前だったのです。アメリカの生活の中で他人と同じテーブルで食事をするのは少し抵抗がありますが、東洋人はわりにそのことを気にしません。しかしアメリカ人にしろ東洋人にしろ、お腹の空いている人を見て、その人たちに何かしてあげたいという気持ちになるはずです。 2年前にInterim Pastor として働いていたWhittierのSt. Andrew Lutheran Church で、夜教会の会議がある時はお昼を抜きにして4時半ごろSizzlerというレストランにサラダ、クラム・チャウダー、ウイングの食べ放題のところで1時間ほど食べ続けました。そこには常連の人たちがいて、山盛りのサラダとウイングを私と同じように時間をかけて食べていたのです。後でわかったのですが、この人たちの多くは失業者で、一日の一回の食事をこの食べ放題のレストランでお腹が一杯になるまで食べていたのです。それにしても、一人で食事をするのは切ないですね。私は一人でいることが嫌いです。誰かとともにいるということで元気が出てきます。しかしこの人たちはそこに毎日来ることで、ほかの同じ立場にある人たちと知り合いになるのです。 本当に一人ぼっちでいるのは悲しいことです。だからこそ私たち人間は一緒に話すことのできる仲間、お互いの喜びを悲しみを分かち合えることができる人を探しているのです。 こんなことを言って叱られるかもしれませんが、一年前に亡くなった豊子さん、そしてつい最近亡くなった美代子さん、この教会の会員でした。豊子さんは高塚先生の時にもいらしていました。オテロ美代子さんには残念ながら一度も会う機会がありませんでした。電話では何回か話したことはありましたが、「一度お伺いしたいのですが」と聞いたところ、「訪問はお断りします」と何回も言われてしまいました。ほかの人たちの付き合いもあまりなかったと聞いています。美代子さんの亡くなったニースを聞いて、同じ教会の会員の方を知ることができなかった寂しさと悲しみに包まれました。一人ぼっちで人生の最後を過ごすのは悲しいことです。それと反対に 静子 Genewich さんは日本からのお姉さん、妹さん、娘さん、息子さんの家族、そして毎日のように、そこで励ましの言葉も、讃美歌を歌うこともできた。そして人生の最後の呼吸の時まで、誰かに見届けられた静子さんは本当に幸福でした。それは、静子さんだけでなく、静子さんの家族、友だちである、私たちにとっても大切なことだったのです。 同じように、寂しい時、不安の時、心が落ち着かない時、神様に祈ります。そこで神様が私と共にいてくださっていることを信じます。私の祈りはいつも神様との会話です。そして私の神様との会話の中で、いろいろな質問が出てきます。神様はどうもすぐ答えを出してくださらないのですが、そこで神様に私の心の奥からの会話をする時、神様からの答えがすぐに聞けなくとも、何時か神様が答えをくださるだろうと信じます。 もっとも、その祈りの答えが自分の期待していたことでないことを人生の中でよく経験しました。何で神様、わたしに辛い思いをさせるんだろう、何で長い時間にわたっての心の安らぎ下さらないのか。しかし神様のなさることは私たちにとってわからないことが多くても、ひとつ忘れてはならないことは神様は私たちをいつも愛してくださっている方、その愛は真(まこと)であるということです。 私たちの毎日曜日に行う聖餐式はそこで神様と出会うところです。神様、イエス様に、心を謙虚にして、パンと言うイエス様の体、ワインと言うイエス様の血をいただくことによって、私たちの罪は許されているとの神様の約束の確信をいただくのです。もはや私たちは孤独で生きるものではありません。そこに神様、イエス様が私たちと共にいらっしゃるからです。イエス様を思い出して聖餐式を受けなさいとも言いますが、それ以上私たちから離れることのない神様が、人生の山と谷の中で罪に満ちた私たちを永遠に愛し共にいてくださっていることを知るのです。それは私たちの人生がこの世で終わるまで続き、神様はわたし達をその後、神様の国につれて行って下さるのです。 一人ぼっちでいることは人の間で生きる人間にとってとても難しい。この世でたった二人だけでいたとしても、それはアダムとイブの経験ですが、神様のしてはいけないということを破って禁断の実を食べたとき、自分が裸でいるという恥を始めて知ったのです。それは神様に自分の恥、罪を見破られてしまったということです。 しかし神様はイエス様の十字架の死、そこで私たち人類のすべての罪をしょってこの罪人である私たちすべてを許し、天国での永遠の命を約束されているのです。 多くの教会で修養会をどこか週末泊りがけで行うところがあります。この教会の英語部では年に2回、3泊におよぶ泊りがけの聖書を読む修養会で30人の人達たちはそれによって神様を信じる、愛することがわかってきた、と言う発言をよく聞きます。私はそれは大切なこと、泊りがけの修養会とは言わないでも、お互い、一緒に聖書を読むことによって神様の言葉が、私たちの心を開き、神様が私たちの目の前で見えるようになることがあるのです。聖書を読んでいるうちに神様の私たちへの愛が何と素晴らしいものかと感激して泣き出すこともあります。自分の家にいて聖書を読む時、祈る時を守ることは大切で、時には時間を作ってほかのことに気を使うことなく神様との心の交わりをするのは大切なことです。 新約聖書のなかにあるマルタとマリアと言う姉妹の話を皆さんは何回も聞いたことがあるでしょう。イエス様はエルサレムに来る度にこのマルタ、マリア、そしてこの二人の兄弟であるラザロの家を訪れたのです。この二人の姉妹は性格がとても違い、マルタはお客さんの接待で大変です、家を綺麗にし、料理を作る、そこで,イエス様と話をするどころではありません。「ああ、忙しい、忙しい、大変だ。それにしても妹のマリアは私に手伝いもしないでイエス様とお話をしている。私だけが忙しく働いている」との愚痴をこぼしたのです。これについてイエス様は言いました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアはよいほうを選んだのだ。それを取り上げてはならない。」良い方を選んだとは神様と共にいる時、神様と会話の時を持つと言うことです。神様の御心を聞く、そして神様と心を一つにすることです。毎日の生活の中で、忙しい生活を送っている私たちですが、必要なのは今私たちは神様に生かせれて生活をしている。それは自分だけの利益を見るのではなく、お互いを助け合って生きていくことです。その真ん中で神様、イエス様が私たちに下さった言葉、それは “Love one another as I have loved you”.「私があなたを愛したように、あなたもお互いを愛し合いなさい」。これ以上に大切な戒めはありません。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace