Tweet 5月の母の日に子供祝福式を行います。清々しい季節に是非教会にお出で下さい。 5月のカレンダー・聖書日課 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 復活祭が終わって、第三週目に入っている。今週は23編を読む。いつものように気になる言葉や節はなにか? 次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編23編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 復活節の第四主日(今年は5月11日)には毎年、ヨハネ福音書10章からイエスが羊飼いと羊の関係について話している箇所が読まれる。詩編23編を読み、ヨハネ10章を読むのもとても良い。 詩編 23編 1:【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 2:主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 3:魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。 4:死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。 5:わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。 6:命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。 気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、「主は羊飼い」という言葉。詩編23編はこれまでも何度も読む機会があったが、今日は、特に「主は羊飼い」という言葉が際立っており、そして、主イエスが「私は良い羊飼い」(ヨハネ10章11節)と語られていたことを思い出す。 詩編作者の立場を思って詩編23編を読む時、まず作者はだれなのだろうかと考える。「ダビデの詩」となっているので、ダビデが作者なのかとも思うが、後世の作詞者がダビデのことを思いつつ、この詩編を作ったようにも思える。いずれにしろ、詩編作者は、遊牧民のことを身近に見ていたのだろう。 そして、自分の置かれた状況を、羊にたとえ、この詩編23編を作ったのかと思う。 初めの一節は、いきなり、主なる神が羊飼いであり、その羊飼いのおかげで一切私には不足しているものは無いと詠う。 主は食べ物や飲み物のあるところに導いてくださり(2節)、たとえ疲労困憊のようなことになっていても、魂を生き返らせ、主と呼ばれる方の通り、主の正しい道を歩ませてくださる。(3節) 羊飼いが鞭や杖をもって導いてくださるおかげで羊たちが危険な道をも通っていける。それと同じように、主が共にいてくださるおかげで、私たちの歩む道が死に瀕するような危険を伴う道であろうが、私も力づけられ歩むことができる。(4節) 私を苦しめる状況があったとしても、食卓を整え、頭に香油を注ぎ、杯を満たしてくださる。(5節) この世の命のある限り、恵みと慈しみが伴ってくださり、さらにこの世の命が終わろうが主の家に戻り、永遠という単位で、私は主の恵みと慈しみの中にとどまることができる。(6節) この詩編を通して、主なる神は何を語りかけておられるのだろうか? 長年、復活ルーテル教会に奉仕され、また時々、教区事務所の庭の手入れもしてくださっていた兄弟がいる。 10数年前にがんをわずらったが回復し、新たな10年ほどの期間が与えられていた。 一年少し前から異なるがんをわずらい、治療をされていた。 しかし、もうこれ以上の治療をできない状態となり、自宅で安静にされていることを思いつつ、この「詩編を読もう」を書いている。 主は自ら “良い羊飼い” と話し、普通の羊飼いとは異なる。死にて葬られても復活なさる主なる神イエスキリストは、私たちにも復活の命をくださっていて、永遠という単位で、その兄弟を恵みと慈しみの中においてくださる。良い羊飼いなる主イエスが永遠にあなたと共にいてくださる。アーメン 安達 均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 5月11日は母の日です。この日に子供祝福式を行います。参加する子供達と一緒に、多くの方が「幼子のごとく」神の祝福に与りますように。 子供祝福式のフライヤー2014 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 「神が現れる時」 ルカによる福音書24章13節−35節 説教者:インターン Becca Ajer 5月4日の説教日本語訳 ”When God Shows Up” sermon by LCR intern, Becca Ajer Sermon by Becca 5:4:14 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2014年5月4日LCR日本語週報通算第1305号 2014年5月4日の週報 May 4, 2014 Third Sunday of Easter, LCR Japanese Ministry English Bulletin Sunday English Bulletin 1305E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 復活祭が終わって、第二週目に入っている。今週は134編を読む。3節しかないので、すぐ読めてしまう。 何度も読んで、いつものように気になる言葉や節はなにか? 詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編134編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 詩編/ 134編 1:【都に上る歌。】主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ 2:聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。 3:天地を造られた主が/シオンからあなたを祝福してくださるように。 気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、「聖所に向かって手を上げ」という言葉。イスラム教の方々が、一日5回お祈りをして、そのたびごとに、メッカに向かって手を上げ、ひれ伏し祈る様子を思い浮かべている。 詩編作者の立場を思い、この詩編を読む時、134編は120編からずっと続いていた「都に上る歌」の詩編集の最後になっていることに気づかされた。エルサレム(シオン)に向かう巡礼の旅を続ける人々に、1節で、夜ごとにも集まって、主をたたえるようにと呼びかける。 2節では、言葉通り、聖なる所に向かって、手を上げて、主をたたえるように。3節では天地を創造された主は、(遠く離れたシオンから、また、旅の途中でどこにいても、祈りに答えて)祝福してくださるように、という祈りの言葉で、詩編134編が、また「都に上る歌」の詩編集が終わる。 この詩編を通して、天地を創造された主が、私たちに何を語りかけておられるのだろうか? 私は今週火曜から4日の日曜まで、パシフィカ教区の総会があって、ハワイのホノルルに来ている。パシフィカ教区はオレンジ郡からメキシコとの国境までと、ハワイ州が教区に含まれる。総会は一年に一回行われるが、7年に一回は、ハワイで総会が行われることが決まっている。2014年は、たまたまその年にあたり、牧師たちと各教会の信徒の代表者たちが集まって、礼拝の時、バイブルスタディの時、財務報告や来年度予算の承認などもある。ハワイ滞在中に「都に上る歌」の詩編集の最後を読んでいることで、いろいろなことを考えさせられる。以下に記しておきたい。 普段生活をしている場所から遠く離れて、特に太平洋の真ん中のようなところにいようが、聖所に向かって真剣に祈るようにと呼びかけられているように思う。聖所とは、決して地理的にどこどこに向かうということではなく、心を、すべてを造られた、つまりこの地球も、太平洋も、ハワイの島々をも創造された主に向けること。 そして、全知全能の主をたたえることの大切さを、主ご自身がよびかけてくださっているように感じる。 わたしは、たしかに自宅を離れて旅行中だが、考えてみると、この地球という場所に、すべての人々が生まれ、旅をしており、この地球に生まれた全員が、いつかはその旅を終えて、天の家に戻るという時がくるということも、主が語られているように思う。 復活ルーテル教会では、英語部の方で先週金曜に天に召された方がおり、10日にメモリアルサービスが予定されている。そして、日本語部の皆さんの中にも、体がとても弱ってきておられる方々が何人かいる。しかし、体が弱っていようが、すべてを造られた主なる神が、祝福を下さり、この地球上での旅をおえようが、復活節にあって、永遠という単位で、復活の主、救い主イエスとの関係が続くことを覚える。アーメン 安達 均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace