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Tweet LCR日本語部四旬節第一主日聖餐礼拝週報通算第1416号 2017年3月5日の週報 3-5-2017 Bulletin 1416E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 主のみ心がおひとりおひとりにやどりますように。 2月26日(日) マタイ17:1-9 主の変容の様子をいまいちど読んでいかがだろうか? 最初に「六日の後」と書いてあるが、六日前になにがおこったのか? マタイ16章の最後を読んでいただくとわかるが、イエスがご自分の死と復活を予告された。 そして与えられた福音書箇所の最後でも「人の子が死者の中から復活するまで今見たことを話さないように」とイエスは言われている。 主の変容、光輝かしき姿の前後が、受難・死そして復活の予告でサンドイッチされていることを興味深く思うのは、私だけだろうか? とくにこの四旬節(受難節)のはじまりにこの箇所を読む意味は深いと感じる。 3月1日(水) マタイ6:1-6, 16-21 灰の水曜日の福音書箇所を読んでおきたい。先週の土曜の家庭集会では、第二次世界大戦中にユダヤ人に命のビザを発行した杉原千畝さんのことを学んだ。 杉原氏は生前には「自分のしたことは新聞などで報道されるようなことではない。」と言われていたようだ。 杉原氏が洗礼を受けた東京復活大聖堂(ニコライ堂)の司祭はマタイ6章3節の言葉を引用して、杉原氏の信仰者としての生き様を語っていた。 杉原氏の行動を、あえて報道するとしたら、次のように報道すれば、杉原氏にも喜んでいただけたのではないだろうか。 「洗礼を受けた杉原氏に、三位一体の神が宿り、その神がユダヤ人への命のビザを発行した。」そして、その報道を知った人々が杉原氏ではなく神を褒め称える。 3月5日(日) マタイ4:1-11 四旬節の第一主日は、例年、イエスの荒れ野での出来事について読まれる。 「悪魔から誘惑を受けるために、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」とあるが、少々というか、かなり理解に苦しむ表現かもしれない。 しかし、比喩であり、私たち、神の創造された存在としてこの四旬節をどう過ごすかの大きな指針が示唆されていると思う。「悪魔からの誘惑」というのは、自分を神の思いとは逆の方向に仕向けるようなこと。 「”霊”に導かれて荒れ野に行く」という行為は、洗礼を受けたキリスト者として、キリストの思いが自分の心に宿ってくださっていることを確信し、自分自身を誘惑の中においても、神の思いに従った行動・言動をとれるように訓練する。 3月2日(木) ヨナ3:1-10 ヨナが神の思いから離れて自分勝手な行動をとっていた人々の都、ニネベに遣わされ、「四十日で都が滅びる。」という預言を語る。 すると、ニネベの人々は、断食して、悔い改め、神との関係を回復する。 断食という行為は、イスラム教でも、ユダヤ教でも、あるいは「物忌み」という言葉が日本語ではあるが、宗教の種類を問わず、神との関係を回復するための一方法なのだと思う。 極端な断食をすることは勧めないが、なんらかの断食・我慢などをする中で、神との関係を深め、また周囲の人々とも、良き関係を築くことができますように 困難を覚えている方々に、主の癒し、励み、愛が届きますように。日曜の礼拝に集う機会が与えられますように。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2月5日説教2017 02 05 LCR Jpn 2月19日説教2017 02 19 LCR Jpn and Eng to Post 2月26日説教 2017 02 26 LCR Jpn by Brad Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet み言葉を読み観想するなかで主の豊かな愛が注がれ、皆様の心に宿りますように。 2月19日(日) マタイ5:38-48 「あなたがたも完全な者となりなさい。」とイエスは言われる。どういうことだろう。 アメリカは新大統領に反対する人々と、大統領支持者で人種差別主義者であることを公言するような人々まで出てきている。このような時代にあって、イエスの言葉は意味が深い。天の神は、どちらの考えの方々であろうが、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださっている。イエスさまは、互いのために祈りあいなさいとおっっしゃっているように聞こえてくる。 2月20日(月) ローマ 12:9-21 この聖書箇所、19日の福音書箇所にこだまするような内容だと感じる。現在のような社会状況にあって「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」という言葉、この世の中に鳴り響きますように。 2月26日(日) マタイ17:1-9 今年は3月1日が灰の水曜日となる。その前の日曜日は「主の変容主日」とも言われる。福音書箇所は主の変容の箇所。 ここで、イエスは12弟子の中でも、なぜペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて山に登られたのだろう? 結局、この3人は怖い体験をすることになる。光輝く雲が顕われたということは、風も吹いたのだろう、そして「これに聞け」という天の声を聞いている。 この三人の弟子たちに、決して自分がうぬぼれることなく、主イエス、聖霊、天の神なる存在を畏れ、その三位一体なる神を輝かせるような弟子になるように、そんな神の思いがあるように感じる。 2月24日(金) 出エジプト 19:9-21 週後半の旧約聖書は、木曜、金曜は出エジプトから。また聖日の日課も出エジプトから。どれも神がモーセに語りかけている。とくに19章で神が語りかけている内容は、雲に覆われたような怖いなかで、神が煙につつまれた山に降りてこられる。 その光景は、イエスの変容の際に、イエスが弟子たちと山に登り、光輝く雲に覆われる様子にも、つながっているように思う。。。怖いというと、2年半前の夏、御岳さんの噴火で煙・灰につつまれて大勢の方々が亡くなった痛ましい災害を思い出す。どんなにか怖い思いをされたことだろうか。。でも主がそこにいてくださったのではないかとも思いたい。いまも悲しんでおられる遺族、友人の方々も覚え祈りつつ。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace