February 27th, 2012

2012年3月の予定

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2012年3月の予定

3/1、8、22、29   聖書を読む会                10:30AM Joyce’s Library

3/1、15          事務打ち合わせ              1:00PM 日本語部オフィス

3/3                                     Special Piano Concert                         6: 00PM   LCR

3/4、11、18、25     キリスト教101          10:00AM  Bercaw  Hall

3/5           和太鼓                                      1:00PM     中庭

3/5、26        英会話教室              2:00PM  Joyce’s Library

3/7          スープサパー、礼拝           6:00PM  King of Glory

3/8          CCN 健康講座・ランチ            11:30AM        Bercaw Hall

3/11         日本語部信徒会        1:00PM   T.ホール

3/13、27      アーバイン家庭集会       10:30AM  愛子G.宅

3/14        スープサパー、礼拝       6:00PM  Newport Harbor

3/21                              スープサパー、礼拝          6:00PM  LCR

3/24        Youth Group Yard Sale           7:00AM  LCR

3/28        スープサパー、礼拝         6:00PM  King of Glory

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創世記9章8-17節「虹の行くて」     “The end of Rainbow”

 私たちの父なる神、主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。

今日の説教をはじめるにあたって、私が小さい時よく歌った童謡があります。たぶん皆さんも知っていると思います。「雨雨降れ降れ母さんが・・」と言う歌です。どうぞ私と一緒に歌ってみてください。

「雨、雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、ピチピチ、ジャブジャブ、ランラララン」。雨が降ると外で遊べないけれど、水たまりに足ふみをして遊ぶのも面白かったわけです。でもお母さんに叱られました。「ゆうちゃんだめよ、どろんこになっちゃって」と。

雨と言うと、もう15年前ですが、家内とハワイのカワイ島にバケーションで行ったときの雨の思い出があります。世界のうち一番雨の降る量の多い所はカワイ島で、それも島全体にというよりは、島の一番高いところで、そこでは殆ど毎日にわか雨のような激しい雨が降るのです。Internet で調べたところカワイ島では一年に平均1200460 inches 雨量があるのです。

ヘリコプターに乗り、島の全体を空から見ることにしました。カワイ島はJurassic Park と言う怪獣の映画の撮影場で知られたところで、素晴らしい滝がいたるところにあると聞いていました。ヘリコプターに乗った時には、晴天の素晴らしい日でしたのでそれは見られないで残念と思っていた矢先、黒い雲に包まれて風も激しくなって、ヘリコプターもがたがた震えだしたのです。ヘリコプターのパイロットは今度はぐっと高度を上げて雲の上に出ました。パイロットは言いました。ここでしばらく待ちましょう。雨はすぐやみますから。初めてのヘリコプターでこんな怖い思いをしてはらはらしていたところ、雨は急にやみあがり真っ青の空が出てきました。それと同時に島のいたるところで滝が水しぶきと共に見られるようになり、一番素晴らしい光景は、滝の上にかかった大きな虹の姿で、それもいたるところに同時に出たのです。

今日、受難節の第一日曜日の旧約聖書の日課はノアの箱舟の話です。この話は、アメリカでは小さい子供も知っています。子供たちもイエス様の誕生の物語の次によく知られている聖書の話と聞きます。ノアの箱舟は神様に従うよき人々、それはノアの家族、そして神様の創造されたすべての動物のペアを箱舟に入れて洪水から救おうと言う物語の反面、神様に従わない人間たちをすべて滅ぼすという恐ろしい背景のある物語であり、そのところを強調するならば、子供たちに向かない物語なのです。40日間に亘った洪水で地上がすべて水に囲まれ、ノアの箱舟に入っていたノアの家族、そこにいた動物だけが洪水が終わって救われたのです。勿論ノアが箱舟を作り始めた時、人々は彼をあざけって「ノア、お前は馬鹿なやつ、洪水で人間が滅ぶなんてそんなことはありえない」と言ったはずです。

さて教会によっては聖書を文字通り読み、地球の表面すべてが、ノアの箱舟の話のように水で覆われたと信じる人もいます。私がテキサスで何人かの牧師さんたちと聖書の物語をどのように解釈するかと言う討論会に出た時、勿論地球は、神様の裁きによってすべて水に覆われたと信じる牧師さんたちが多いのを思い出します。つまり、ノアとその家族だけが、正しい人たちで、箱舟で救われたが、ほかのすべての者は皆神様を信じなかった悪人だったというのです。

ノアの箱舟の話は、わたしは善人、あるいは、悪人という定義を話すのではなく、神様はこの話を使って神様に従ったノアとその子孫、それはユダヤ人だけでなくすべての人を救う方であるとはっきり言いたいのです。

今日、このノアの箱舟の舞台になったであろう今のチグリス川、また、ユーフラテス川はペルシャ湾に行き着く古代の文明の発祥地です。特にこの二つの川はペルシャ湾に到着するころ並行して流れています。これらの川の川上で大きな嵐があったのは歴史的にも知られています。考古学の学者は大きな嵐があった時に川下、今のイラクのペルシャ湾に注ぐ地域、それはチグリス、ユーフラテスの間にある地域がすべて川の洪水に飲まれた時がありました。聖書にこの箱舟の話の後、出てくるの話はアブラハムが今まで住んでいたウルというまさに洪水を何回も何回も経験している地からカナン、つまり今のユダヤの国に行きなさいとの啓示を受けた話です。

さてノアの話に戻り、彼は神様から言われたことをすべて行ったのです。近所の人たちからからかわれたでしょう。フットボールのコートのような大きさの船を作り始めた時ノアは、いったい神様の言われる洪水が本当に来るのだろうかと疑問をもったと思います。しかし大切なことは、彼が疑問を持ったにしろ、神様の命令に従ったと言うことです。それは神様を信じる信仰です。これは私たちにも言える、大切な信仰の概念ですので、もう一度言います。

私たちは神様に対していつも疑問を持っています。神様に、何故、どうして、何で神様、そんなことがありえましょうかとの疑問です。しかしながら、信仰とはそれ以上に神様を信頼して神様に従う。それが信仰の態度なのです。

ノアについて言うならば、「ノア、お前はこれから起こる洪水でお前とお前の家族そして地上のすべての動物、鳥、を救うために箱舟を作りなさい」 という神様の命令に従ったのです。

40日間に及ぶ洪水が終わり、箱船の中の生き物がすべて救われたその時、神様は虹を作ったのです。虹を見ると素晴らしい、綺麗だ、どうしてこんな美しいものが、まだ太陽が輝きながら、しかし雨上がりの時に出るのだろうかと不思議に思います。ハワイでは、毎日見ることができる虹ですが、普通私たちが虹を見ることができるのは一年のうち5,6回でしょう。しかし、この虹を見る時、神様が「これは私とあなた方の間に結ぶ契約である」 と言われたその神様の言葉と私たちを愛してくださっている、また、神様は私たちを見捨てないという約束を思い出してほしいのです。

私たちの教会では毎日曜、イエス様の聖餐を受け取ります。これはイエス様の体を現すパンとイエス様の流された血を顕わすぶどう酒、あるいはぶどうのジュースを私たちの5感、目で見ること、手で触ること、口の中で、味わうこと、においを鼻で感じることによりそこにイエス様がいるんですよと経験するのです。私たちはこの5感を持ってそこにイエス様がいらっしゃることを知るのです。

虹が神様の私たちへの救いのシンボルであるように、聖餐はイエス様こそ我らの父なる神と信仰告白する私たちに与えらた、喜びの行事です。またこの神様が私たちと共にいらっしゃる喜びは、私たちの信仰生活の中でイエス様に従う弟子として生きる力を与えてくださるのです。

ああ、虹について一つ言い忘れたことがあります。と言うのは皆さんのうちに、晴れた、晴天の日に出る虹を見たことのある人、いらっしゃいますか?もちろん、答えは 「NO」で晴れている日に虹は出てこないのです。空に大きく虹が出てくる時は大雨、嵐の後です。雷の大きなゴロゴロとの大きな音と稲妻のピカットと光る嵐の後です。

同じように、私たちの人生も嵐に襲われることがあります。しかしイエス様に従う信仰を持った者に、神様は嵐の後に素晴らしい虹を与えてくださるのです。わたしたちが、思い悩むその人生の難しい時を過ごさなければならない時もあるのです。その後に神様の大きな、私たちに対しての思いやり、神様の恵みが下ってくるのです。人生が自分の思うままに暮らされている時、虹は私たちの目の前には出てきません。

難しい人生をとうして、信仰が揺さぶられた時、そこに神様の恵み、哀れみ、神様の愛が心の奥底まで私たちに賜物として与えられるのです。

最後に皆さんに質問したいことは、虹の行き着く所には何があると思いますか?アメリカ人はそこに “ Pot of Gold”、金貨のたくさん入った壺があると言います。 私はそこに神様の恩恵 Graceが見出されると信じます。

いつかまた虹を見た際には、どうかそこで、神様の愛があなたに何時も与えられていることを心の中に感じてください。アーメン。

February 23rd, 2012

2012年3月Calendar

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2012年Calendar

March Calendar 2012C 

予定が変更される事もありますので

週報と合わせてご覧下さい。

週報通算第1201号(日本語)

2012 2 26W

週報通算第1201号(英語)

2012 2 26WE

Piano Concert Mar 3、2012

3月3日(土曜日)午後6時よりLCR・復活ルーテル教会礼拝堂で平原誠之のピアノ・

コンサート(チャリティ)があります。 Flyerを掲載しますので、ご覧の上是非お出で下

さい。

マルコによる福音書1章40-45節「イエス様、清めてください」 “Jesus, Make Me Clean”

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたの上にありますように。アーメン。

ここにいるお母さんたちに質問します。子供たちがまだ小さかった時、「お母さん、私を抱いて」あるいは「ママ、抱っこしてよ」と言われた時、なんて答えましたか?答えは「おいで、だっこしてあげるわよ」ではなかったでしょうか?

ところで、同じ息子、娘が公園の砂場で砂と泥んこのお団子を作っている。そのお団子をもってきた汚れたままの手で、「ママ、抱っこして」と言われたらどうしますか?「触らないで、お手手洗いなさい、きれいになったら抱っこしてあげるから」ではなかったでしょうか?小さい子供はどうも好んで泥んこの中で遊ぶのが大好です。それは私も同じでした。私の通った幼稚園は毎日男の子でも、女の子でもエプロンを着て、幼稚園に行ったのです。

泥んこの子供を抱き上げるのは少し抵抗あると感じるお母さんも、転んで、怪我をした、ひざから血が出ている、そのような娘、息子が、泣きながら「ママ、抱っこ」と走って来た時自分の服が汚れるなんて思わずに、すぐに、息子さん、娘さんを抱きしめたのではないでしょうか?また、「お母さん、私ころんで怪我したの、血が出てる。痛いの。この痛い、痛いを治してちょうだい」。そして、お母さんの腕の中で抱かれると、いやなこと、痛いこと、悲しいこともすべて取り去られるよう感じなんです。オキシフルとマーキロを塗ってもらってもう良くなる、大丈夫だと子供心に安心したのです。

今日与えられた福音書の記事を読んで、ハンセン病で心も体も傷ついているこの男と怪我をしてお母さんと呼んで助けを求めた子供、そこに共通点があるのです。あなたの慈しみによって私を治して下さいという願いです。

最近は人を差別すような病気を口に出したらいけないと言われているので、この話に出てくる男の病気を英語では “Hansen’s disease” と言います。この男、イエス様に、「私の病気を治してください」とは言わず、「私を清めてください」と言ったことに気がついた人もいると思います。それは同じことと言われるかもしれませんが、この男がそう言った理由は、ハンセン病」はこの人に肉体が朽ちてゆくという問題を与えていたわけですが、彼の「清くない」状態は神様からも見放されていると言う意味があったのです。

このハンセン病は4千年前にそれに似たような病気として記録されています。症状はと言うとはじめに目頭と手に白い斑点が出てきてそれが体中に広がるのです。髪の毛は色素を失い、白くなる、そして鱗のような物ができてそこから膿が出てくるのです。しかしそれは皮膚の表に関したことであって皮膚の下では、神経が侵されるようになり、次第に痛みも、かゆみも感じなくなるのです。石につまずいて、足の親指を怪我したにもかかわらず、痛みを感じない、かなずちで釘を打っていた時、間違えて親指を打ってしまった。それなのに痛みを感じられないのです。

インドのハンセン病人の隔離された施設には手の指、足の指のない人が多い、その理由はと言うと、神経を侵された手と足の指は彼らが夜寝ているうちに、ねずみに食いちぎられたからだと言われています。耳も、鼻も腐った果物のようになり、最後には目も犯されてしまうのです。

実際には、ハンセン病に罹ったものは、皆から村八分にされたと同じです。人に近寄ってはいけないし、同じ家には住めません。洞窟のようなところで他のハンセン病の人と共同生活をしていた訳ですが、その仲間らも、一人ひとりこの病気に呪われるように死んで行くのです。食べ物はと言っても畑仕事をするところもなく、道端で物乞いをし、時々投げ出された食べ物によって一日、一日を夢も希望もなく心の悲しみから抜けきれない毎日を送ったのです。

きっと、家族の元に返りたい、一緒に食事をしたい、一緒に安息日に会堂に行きたい、そこで神様に感謝したい、友達と抱き合って喜びの思いを分かち合いたいと思っていたに違いありません。この病気の初期には両親もある距離を保ってこの病気の男を時々訪ねたでしょう。しかし病気が進んで行くと、家族の人たちも来くなる。お母さんだけが月に一回ほど何か食べるものを持って来てくれた。しかし今ではだれも尋ねてくれない。

そんな希望もなくなっていたある日、福音書の中に描かれているハンセン病の男はイエス様が街に来ていると聞いたのです。このイエス様は自分を神の一人子と呼んでいる。イエス様は病気の者を癒し、歩けなくなっていた者を歩くことができるようにし、目の見えなかった者の目を見えるようにした。

マルコによる福音書の140節に、こう書いています。一人のらい病人がイエス様のところに願いに来てひざまずいて言った。「御心でしたら、清めていただけるのですが」。私が思うに、彼は「私は神様を礼拝したい、賛美したい」。「私は神様の人々の一人になりたい」「私は会堂に行ってみんなと共に神様に賛美の歌を歌いたい」。「私は私の手でほかの人たちに触れてみたい」。「イエス様どうか私を清めてください」。イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われたのです。私は思うのですが、神様は悲しみに浸っている人、希望のない人、家族も友達もない人、泣いている人の中で、神様と密接な関係をもてるようにと、私たちに呼びかけているのです。

ハンセン病、また同じようにAIDS と言う病気にかかっている人、精神的に苦しんでいる人、handicap を持っている人、家族と別れて、老人ホームで寂しい思いをしている人、世間から見放されて生きていると思っている人たちを私たちの祈りの中に覚えるのです。それは神様が私たちに下さった思いやりの精神です。私たちは、一人ひとりが福音を宣べつたえる者として世に送られていることを覚えてお互いを大切にして生きていかなければなりません。

今週の水曜日から1週間日本に帰り、母と共にいる時を持ちます。老人ホームから手をつないで、ゆっくり歩いて、駅前のお店で、おしるこを食べながら、昔のことを話すことになるでしょう。今のことが良く分からない母ですが、昔のことは良く話します。私の小さい時、母の家族が疎開した富山の魚津と言う漁港町に毎年の夏休みに行きました。蒸気機関車の時代です。汽車とプラット・ホームに大きな隙間があり、汽車から降りる時、6歳の私はそこに落ちてしまったのです。今でもそのことは私の怖かった思いとして時々思い出します。母の叫びも忘れられません。「助けて、助けて、息子がプラット。ホームから落ちました。助けてください」と。プラット・ホームに引き上げられた時、母が興奮して泣いていたのも覚えています。そんなことお母さん、今でも覚えているかな。父が亡くなって一年半たちましたが、今でも「お父さんこの頃見ないよ」どこにいっちゃったのかしらと言うその母に少しでもいっしょにいて親奉公をしてあげたいのです。ホームの人たちからは「お宅のお母さん、いつも礼拝にいらっしゃいますよ。讃美歌を歌うのがとてもお上手です」。と言われています。本当だ、お母さんと讃美歌歌おう。

最後に、ここで言いたかったことは私たちも一人で孤独にならないよう心がけましょうということです。人と人の触れ合いを大切にしましょう。それは今教会の中で、一緒に聖書を読むこと、一緒に祈ること、一緒に食べること、笑うこと、一緒に悲しい時も祈りで過ごすこと、そして、イエス様は本当に大切な私たちの仲間をここでくださっているのです。ですから、お互いに喜びと苦しみ、悲しみを、共に分ち合うことのできる私たちになれますよう導いて下さい。あなたが私たちに下さった家族、友達、信仰の仲間を大切にして生きていけますように。アーメン。