Tweet LCR日本語部週報通算#1290号 (日本語) 2014年1月12日の週報 LCR日本語部週報通算#1290E号(英語) Sunday English Bulletin 1290E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 今週の詩編は29編。12日の日曜日は主の洗礼主日となり、マタイによる福音書3章13節から17節を読む。そのような関係の中で、この29編をまず読まれたらどうだろう。 また、ご自分の置かれている環境のなかで、29編を通して、神は何を語られているか、思いを巡らせよう。 詩編29編 1:【賛歌。ダビデの詩。】神の子らよ、主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ 2:御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。 3:主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。 4:主の御声は力をもって響き/主の御声は輝きをもって響く。 5:主の御声は杉の木を砕き/主はレバノンの杉の木を砕き 6:レバノンを子牛のように/シルヨンを野牛の子のように躍らせる。 7:主の御声は炎を裂いて走らせる。 8:主の御声は荒れ野をもだえさせ/主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。 9:主の御声は雌鹿をもだえさせ/月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える/「栄光あれ」と。 10:主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。 11:どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。 1節2節には、「主に帰せよ」という言葉が3回詠われ、さらに「主にひれ伏せ」という言葉が2節の最後に出てきている。 激しい命令形の言葉が使われている。 3節から9節前半までは、「主の御声は。。。」という表現が続き、その中に表現されている内容は、激しい嵐のようでもある。そして9節後半から11節後半では、そのような嵐の中でも、人々が「栄光あれ」ととなえ、主の祝福が祈られる。 この詩編は、主の洗礼の時に起こった様子が重ねあわさってくるような面がある。 マタイ3:16-17によると、「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。」となっている。 さらに、この箇所は、ペンテコステの出来事(ルカ2章)とも深い関係がある。 強風、雷鳴、地震などは、本当に怖くなるが、主の洗礼もペンテコステの出来事もそのような状況の中にあったことを覚えたい。そして、詩編29編が昔から詠われていたように、主なる神はご自分の創造されたものに深い愛を持ち、育てられ、民は「主に栄光あれ、民の平和を与えたまえ」と民は祈る。 現在、復活ルーテル教会日本語部の置かれている状況を書いておきたい。昨年後半から、洗礼を受ける者が相次いで現れた。集まる者の多くが病との闘いの中にあることも覚えたい。 また、昨年後半から毎週復活ルーテルに来られるようになった福元忠一さんが突然の事故で、大晦日から元旦にかけての未明、逝去された。深い悲しみの中にあり、今週土曜日にはお葬式がある。その翌日には、吉田柳子さんの洗礼式となる。ある意味、嵐がふきあれる日々の中で、洗礼式が行なわれるようでもある。すべての出来事に主の時があり、そして、その中で、聖霊が働き、大きな愛をもって、復活ルーテル教会の一人一人をも、慰め、癒し、力づけてくださる。 栄光を主に帰せよ。神に栄光あれ。 主が民を祝福してくださるように。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
January 5th, 2014
2014年1月5日顕現主日聖餐礼拝説教「恵みの上に更に恵み」“Grace upon Grace” 牧師 安達 均
No Comments, 牧師説教, by admin1.Tweet 「恵みの上に更に恵み」 ヨハネ1:10-18 主の年、2014年、あけましておめでとうございます。日本では1月のはじめは初詣真っ盛りで、いろいろな神社やお寺に、多くの参拝客が訪れ、お賽銭をいれ、それぞれ健康や財政良好などを祈願する。 さらに、神社でもお寺でもおみくじが売られている。復活ルーテル教会でも、このお正月におみくじを引いたとしたら、どうなるか思い浮かべた。別に各個人におみくじを引いてもらうのではなく、復活ルーテル日本語部全体にいただくおみくじです。 そして、こんなおみくじが当たったように思う。「大福大吉」。というのは、2013年の間に、こんなに洗礼準備クラスを行なうとは思ってもみなかった。そして、10月以降、来週までの受洗者4名の最初の文字を並べると大、福、大、そして吉で、大福大吉となる。 10月末からわずか3ヶ月の間に4人の大人の洗礼があるのは、たぶん25年の日本語部の歴史の中で初めてだと思うので、ただの大吉ではなく、大福のついた大吉なのだと思う。 本日与えられている聖書は、ヨハネ1章10節から読んだ。 ちょっと質問。 ヨハネ1章1節はなんだっただろうか? 「はじめに言葉があった。 言葉は神と共にあった。 言葉は神であった。」 2014年の初めの礼拝にあたり、聖書の中で「はじめ」とは何だったのかということを考えるように神は私たちを導いておられるように思う。2014年と数えているが、イエス・キリストが生まれた年の翌年を紀元元年としている。 今日読んだヨハネ福音書の箇所は、1節の「言葉は神であった。」という内容からして、言(ことば)を神におきかえても良い。すると14節の「言は肉となって私たちの間に宿られた。」という箇所は、「神は肉となって私たちの間に宿られた。」となる。 神が肉体となって私たちの中に存在したということは、イエス・キリストがこの世に現れたということ、つまりイエス・キリストの顕現をヨハネ流に著している。 そこには、馬小屋もなければ、羊飼いたちもいなくし、また博士たちも登場して来ないが、ヨハネの深遠なる顕現そして信仰とも言える表現がある。 ヨハネ福音書は顕現だけで終わっていない。 わたしたちは、「神の独り子としての栄光を、イエスに見て、その方が恵みと真理に満ちていた。」と続く。洗礼者ヨハネも「わたしの後に来る方が私よりすぐれている、と言ったのは、このイエスのことだ。」と声を張り上げたとも書かれている。 さらに、16節の言葉は、そのイエス・キリストが、満ち溢れる豊かさから、恵みの上に更なる恵みを受けた。とヨハネは伝えている。 この恵みの上に恵みを受けるということの内容はどういうことなのか? 12節と13節には、言(ことば)つまり神なるイエスを信じるものに、神の子となる資格与えたとあり、また、その神なるイエスを信じる人になるというのは、決して、自分の欲求、自分がクリスチャンになりたいという欲によって生まれるのではなく、神によって信じるものになったということが書かれている。 今日の聖書の箇所を通して、神は私たちに何を語っているのだろうか。 とくに洗礼を受けキリストの信仰者としての歩みを続けていく者が、毎月のように与えられている中、とても、神は重要なことを教えてくださっているように思う。 洗礼を受ける者が誕生しているのは、決して洗礼を受ける者や、教会員たちのエゴとか欲求によって生まれているのではなく、実は全部、神によって、神の意志による洗礼によって信仰者誕生が起こっているということではないだろうか。 つまり、復活ルーテルでこの3ヶ月に4人の洗礼者が生まれたからといって、復活ルーテルにいる仲間たちがすごいとか、人間的な欲求の成果では全然ないということを肝に命じたいと思う。 つまり、復活ルーテル教会にいる私たち、とくに、リーダがうぬぼれてはいけない。 すべては、はじめから存在してくださっている神が源となって、恵みの上に更なる恵みをくださり、洗礼を受ける者が連続的に現れている。教会でさまざまな活動をしていることは、その究極的なリーダは牧師や教会のリーダではなく、イエスキリストだ。そのイエ・スキリストというお方から、事実、恵みの上に更なる恵みをいただいていることに畏れ敬い、信仰の歩みを続けてまいりたい。 主の年2014年の最初の礼拝で与えられた御言葉、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」は今年のテーマ聖句として、毎週の週報等に登場する。そこに目が止まったら、その意味を吟味しよう。世の中で遭遇するさまざまな出来事に対し、洗礼を受けた方が、礼拝に出て御言葉に触れ、聖餐に与る生活をしていると、さまざまな出来事に対する感じ方が変わって来る。 主なる神、イエス・キリストは、主の御意志によって、礼拝で与えられる御言葉、洗礼、聖餐を通して、恵みの上に更なる恵みをくださる。 アーメン。 “Grace upon Grace” John 1:10-18 Pr. H. Adachi May the Lord’s Grace and Peace be with you in the name of the Father, Son, and the Holy Spirit! Anno Domini 2014, Happy New Year! In Japan, probably many people are still visiting shrines and temples during the beginning of this new year. It is a very popular custom that people put some coins into offertory boxes and pray for things like prosperity or good health. They also buy written fortunes. These fortunes are sold at shrines and are similar to fortune cookie fortunes. These fortunes can range from “middle of the road” fortunes to “lucky” and “very lucky” fortunes. I just thought that if Resurrection Lutheran Church bought a fortune, what would it be? I think as a congregation we received “Great Fortune and Great Luck.” During 2013, I did not think that I would hold as many Baptism Preparation Classes as I did. In the beginning, I started one for Yoko Ono, then I invited Ken Fukuyama to join in early summer. In fall, I started one for Satoyo Oi, and in late fall, I started one for Ryuko Yoshida. Ms. Yoshida will be baptized next week, but if we take the first letters of the students’ last names in Kanji, it means Great-Fortune-Great-Luck. From the end of October until the middle of January, during these three months, three adults are baptized. This is…
Tweet LCR日本語部週報通算#1289号 (日本語 2014年1月5日の週報 LCR日本語部週報通算#1289E号 (英語) Sunday English Bulletin 1289E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 主の年2014年の到来を心から歓迎します。 あけましておめでとうございます。 今年、最初に読む詩編は72編。この詩編の1節から7節と18・19節は先月、待降節の最初、12月5日に読んだばかり。今回は、20編まである全編を通して読み、さらに前回は取り上げなかった8節から17節を集中的に2回なり3回読まれたら良いかと思う。そして年の初めにあたり、神は何を私たちに語りかけておられるのか黙想してみたい。 詩編72編 1: 【ソロモンの詩。】神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。 2:王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。 3:山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。 4:王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。 5:王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。 6:王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。 7:生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように。 8:王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように。 9:砂漠に住む者が彼の前に身を屈め/敵が塵をなめますように。 10:タルシシュや島々の王が献げ物を/シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。 11:すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。 12:王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を/助けるものもない貧しい人を救いますように。 13:弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い 14:不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。 15:王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り/絶え間なく彼を祝福しますように。 16:この地には、一面に麦が育ち/山々の頂にまで波打ち/その実りはレバノンのように豊かで/町には人が地の青草ほどにも茂りますように。 17:王の名がとこしえに続き/太陽のある限り、その名が栄えますように。国々の民は皆、彼によって祝福を受け/彼を幸いな人と呼びますように。 18:主なる神をたたえよ/イスラエルの神/ただひとり驚くべき御業を行う方を。 19:栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ/栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。 20:エッサイの子ダビデの祈りの終り。 年は明けたが、クリスマスはまだ終わっていない。キリスト教の暦では12月25日の降誕日から1月6日の顕現日までが降誕節。 なので、救い主イエスの降誕との関係の中で10節から17節を見ていきたい。 気になる言葉は、10節にある「シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。」や15節にある「彼にシェバの黄金がささげられますように。」との言葉。 15節の言葉は、実際に、この詩編が「ソロモンの詩」として詠われ祈られた通りに、シェバの女王がソロモンを訪ね、多くの金が捧げられたという事実が起こった。(列王記上10章1節以下) また、10節に関しては、イエス降誕後に占星術の学者たち(異邦人のリーダたち)が、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた(マタイ2章1-12節)ことによって、紀元前1000年ごろのダビデの祈りが実現したように思える。 21世紀の現代にあって、私は昨年夏に岩手県の被災地を訪問する機会があり、いまだにたいへんな思いをしておられる被災者たちのことを思う。12節-14節の祈りは、身にしみてくる思いがある。天皇陛下も年頭の言葉として、「年頭に当たり被災者のことが改めて深く案じられます。」と著されたようだが、同感だ。 日本では、初詣真っ盛りなのだと思う。明治神宮だけで参拝者は300万人を越えるらしい。そのほとんどが、特に神官や住職の方々の説教などを聞くこともなく参拝者が賽銭箱に献金をしてくださるのは、素晴らしい気もする:)。日本にあるキリスト教会がいくつあるかわからないが、仮に5000あったとしても、クリスマス礼拝、12月29日の礼拝、元旦礼拝さらに1月5日の礼拝で、その全部のキリスト教会の礼拝に参加される方の合計でも300万人には到達しないのが現状ではないだろうか。しかし、10節の「すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。」あるいは、年末の最後に読んだ97編7節「神々はすべて、主に向かってひれ伏す。」という言葉をかみしめたい。 2014年の元々の初めは、主イエスの降誕。改めて、主の年2014年の到来、あけましておめでとうございます。今年も主に在って恵み深い年となりますように。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace