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December 3rd, 2011

2011年12月の予定

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Tweet                                             2011年12月の予定 12/1、22 事務打ち合わせ                   1:00 PM     日本語オフィス 12/1、8、22 聖書を読む会              10:30 AM Joyce’s Library 12/2 コロナ家庭集会                         10:30 AM 今井宅 12/4 日本語部信徒会                           1:00 PM 12/4、18 キリスト教101                  10:00 AM Bercaw Hall  12/5 英会話教室 1:00 PM             Joyce’s Library 12/11 合同礼拝・クリスマスコンサート 10:00 AM                                                               ホリデイ・ポットラック 礼拝後  Bercaw Hall 12/13、27 アーバイン家庭集会      10:30 AM 愛子G.宅 12/18 日本語部クリスマス祝会 礼拝後 古都レストラン 12/24 バイリンガル・燭火礼拝         4:00 PM  LCR 12/25 クリスマス合同礼拝             10:00 AM  LCR Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 「嘆きから希望に」   “Desperation to Hope” イザヤ書64章1-9節 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなた方にますます豊かに与えられるように。アーメン。 今日から教会は4週間にわたってアドベントのシーズンに入ります。今日の説教は3つの話でアドベントのシーズンとはどういうものかを皆さんに話したいと思います。 まず最初に、ソーレン・キルケゴールと言うデンマークの牧師さんで、神学者である人の書いた話を紹介しましょう。 あるヨーロッパの国の王子様は、年頃になり、自分の后、将来のQueenになる人を探し始めました。ある日、父であるKing から頼まれた田舎、それも貧しい町を訪れていた途中に 美しい小作人の娘を見つけ、一目惚れしたのです。しかし、ここに問題があります。どのようにこの娘さんをPrincessとして迎え入れるかと言うことです。もちろん、この娘さんに無理やり奥さんになってくださいと言うことも出来るかもしれませんが、それはよろしくない。王子様の勲章のついた正装でこの娘さんのところに言ってこの娘さんの両親と娘さん自身に跪づいて結婚して下さいと言っては、娘さんは慌てふためくでしょう。ではどうしたらいいか。そこで考えた結果、王子様は、自分の服を脱ぎ捨てて、小作人の服をまとい、この村に入り、そこに住んで、まったく小作人となって娘さんと知り合いになる。そして自然と同じ村の人間となってはじめて、むすめさんに自分の愛を打ち明けるという形をとったのです。時間をとってお互いに信頼できる関係になって始めて王子様はこの娘さんに、求婚したのです。 これと同じように、イエス様は神様によって一人の人間としてこの世に送られました。お母さんのマリアさんは普通の人間です。成人になったイエス様も普通の人間として生活してきたのですが、時が来て、神様の御心がイエス様を通して語られたのです。  二つ目の話は、二人の子供、それは6歳の男の子と4歳の女の子がある土曜の夜に両親に連れられておじいちゃんとおばあちゃんの家にやってきた話です。夕食が終って子供たちはベットに寝かされ、お母さんがそうっと子供たちに言いました。「お母さんとお父はこれから、スーパー・マーケットに行ってきます。ちゃんとねんねしてちょうだいね」と。 子供たちはお母さんとお父さんにキスしてお休みなさいと言って目をつむったわけですが、両親の車のドアが閉まる音と車の走り出す音をはっきり聞いたのです。子供たちが次にお父さん、お母さんとの連絡があったのは、それから11年たってのことでした。二人の子供に宛てた手紙の中に、両親はこう書いたのです。「ごめんなさい、お母さんとお父さんはこの11年にいろいろ苦労をしました。職もな、貯金もない、パートの支払いもできないで、行くところもなく、あなたたちのめんどうをみることができなくなってしまったのです。夜は公園のベンチで寝て、食べ物は、ごみ籠の中をあさったのです。わびしくて、自殺しようかと何回も思いました。でもね、その度に、あなたたちの顔が目の前に現れたのです。いつか人生の生き方を取り戻してあなたたちを迎え入れることを信じています。こんな悪いお父さんとお母さんを赦してはもられないだろうけれど、また一家、一緒に住めるその時が来ることを祈ります」と。 さて皆さんから「岸野先生、今日から待ちに待った待降節、アドベントのシーズンに入る、そしてクリスマスと続くのに、そんな時に、どうしてこんな悲しい話をするんですか?」と言われてしまうでしょう。しかし、この話をした理由は同じような歴史をユダヤ人はイエス様の到来する紀元前7百年も前に経験してきたからです。 それは何かというと、イスラエルの国がユダとイスラエルと言う二つの国に分かれた後、アッシリアと言う国によってユダヤ人は外国に捕虜として連れられていかれたのです。ユダヤ人が自分たちの土地、財産、将来の夢もすべて奪われて奴隷として自分の住み慣れた土地から追い出されたわけです。この後バビロンと言う国もユダヤの地を治めるようになり、続いてローマ帝国がイエス様の時代にはイスラエルの人たちの土地を占領したのです。 皆さんは旧約聖書の中で出てくる預言者といわれる人たちの事を聞いたことがあると思います。17人もの預言者がユダヤ人はいつも神様に忠実でありなさい、神様の戒めを守りなさい、同じユダヤ人同士の戦い、分裂をなしてはいけないととの忠告をしていたにもかかわらず、神様の御心に反する行動に走っていった時、預言者たちはユダヤ人に、暗闇の時代が長い、長い時間続く、しかし哀れみ深い神様はいつの日にか、ユダヤ人だけでない、すべての人類を救う救い主を送ってくださるとの予言をしてきたのです。預言者イザヤは聖書の中で出てくる17人の預言者たちの中で、救い主は苦難の僕の形で到来し、すべてこの救い主に従うものは、ユダヤ人を超えた、すべての人類に神様の愛を示すと述べ伝えたのです。 今日の第一の旧約聖書の日課イザヤ書64章は捕虜として捕らわれていたユダヤ人たちが何世代の後、先祖のユダヤの土地に戻ってきた時に見たこと、感じたことを預言者イザヤによって書かれた言葉です。その一部をもう一度聞いてください。 「喜んで正しいことを行い、あなたの道に従って、あなたを心に留める者を、あなたは迎えてくださいます。あなたは憤られました。私たちが罪を犯したからです.しかし、あなたの御業よって私たちはとこしえに救われます。主よ、あなたは我らの父。私たちは粘土、あなたは陶工。私たちは皆、あなたの御手の技。どうか主が、激しく怒られることなく、いつまでも悪に心を留められることなく、あなたの民である私たちすべてに目を留めてくださるように」。 ユダヤ人が、外国での捕虜、奴隷の生活から開放されて、イスラエルの地に戻ってきたのですが、すべてのこと、すべてのものが混乱状態です。エルサレムは荒れ果て、神殿も破壊され、彼らの住むところもない。捕虜を逃れてこの地に残った少数のユダヤ人は、外国人と結婚して、その子供たちは誰が本当の神様であるかも知りません。イザヤの話す言葉は捕虜から帰ってきた者の大きな泣きごと、また神様に私たちを見捨てないでくださいと言う願いです。 これは最も捕虜として暮らしていたユダヤ人に限ってのことではありません。心の嘆き、心の苦しみは、今現在、私たち一人ひとりも経験しているはずです。そこに神様の私たちへの愛を感じたいのです。神様に抱かれたいのです。それなのに、神様が近くにいてくださって、私たちを見守ってくれていると言う思いになれないのです。 はっきり言ってそれは紀元前7世紀に書かれた預言者イザヤの時代だけでなく、現在今、私たちの経験していることではないでしょうか?経済の問題で、多くの人たちが解雇通知を受け、失業によるある程度のお金は約束されていると言っても、それにも限りがあります。クリスマスはプレゼントの交換の時などと言いますが、そんなお金を使う余裕もないと感じている人達は今時沢山いるはずです。さて、ここで今日の3回目の話を聞いてください。 Maryland州のBaltimore の新聞、Baltimore Sunが何年か前に次の話を載せました。それを紹介しましょう。フィリップは無職の松葉杖に頼って歩く40歳の男で、住んでいた家の家賃が払えなくなり、今では、ボルチモアの市が建てた仮の宿に寝泊りしています。彼には奥さんと4人の子供たちがいたのです。彼は新聞のリポーターとしてこの貧民街をクリスマスに訪れていた人にこう言いました。「クリスマスの朝、子供たちが、順番に、サンタから贈られたプレゼントを目を丸くしてサンタさんありがとうと、はしゃいでいた姿を思い出すと、それがなんと幸福の時であったか思い出すのです。その幸福な思いをこの世から離れる前に、もう一度感じることができたら、どんなに素晴らしい事だろう」と。一人ぼっちで生活するのは淋しいことです。切ないことです。涙が出てきて止まらないほど悲しいことです。 私もこのクリスマスの時に母と一緒にいてあげたい気持ちでいっぱいです。私の母は、東京老人ホームと言うルーテル教会の経営している処に入ってもう4年過ぎます。一年ほど前までは自分の部屋に電話があったので、週に何回か電話で話をしました。しかしこのごろは電話の使い方もわからなくなってこちらから電話をしてももう電話に出ないようになったのです。ですから母が昼ご飯を食べるような時を見計らってホームの事務所に電話をし、その携帯電話を母のところまで持っていってもらってやっと話ができるのです。 「お母さん、豊ですよ。元気にしてますか?」「誰ですか?」「息子の豊ですよ。ゆうちゃんですよ」。「ええ、ゆうちゃんなの?今どこにいるの?」「アメリカからですよ」「あんたに会いたい。お父さんね、どこかに行っちゃったよ。どこにいるんだろうね。」私の父は去年の6月に亡くなったのですが、母は父のお葬式にも出ていたのにその覚えがないんです、これがこのごろの電話の会話でそれ以上長く続きません。「また電話するからね、元気でいてね。 私は日本から離れ、アメリカで生活するようになって今年で37年目です。その間両親は私と私の家族をフィラデルフィア、ダラス、そしてリバーサイドにも3年に一回訪れてくれたのですが、母はもう飛行機の旅はできません。ですから私が年に1,2回母を訪ねるのです。私の日本の家族は、毎年クリスマス・イブの礼拝を心待ちにしていました。その日にはお赤飯もありました。宣教師の家族は大きなケーキを焼いて持ってきたのです。礼拝の時も、食事の後も何曲ものクリスマス・キャロルを歌ったのは最高でした。 私の家族は毎年、クリスマスの後の一週間、ペンシルベニアの家内ナンシーの実家で過ごします。ナンシーの兄弟、姉妹の7人とその奥さん、旦那さん、孫たちもアメリカ中から集合するので全部で24人の集まりです。それは楽しい時でありますが、義父がこの6月に亡くなったのです。ナンシーは今年はなんだか物悲しい時になるのではと言ってます。私たち一人ひとり、アドベント、クリスマスに関する思い出、それは素晴らしい、あるいはその反対に物悲しいものかもしれません。憶えて欲しいことは、神様、イエス様が、私たちと共にいてくださることです。一緒に祝う時も、悲しみに沈むときも神様がいつも私たちと共にいることです。私たちを励まし、私たちに希望を与えてくださるのです。 そのことを覚えて、これからのアドベント、神様に祝福されたクリスマス・シーズンを迎えましょう。どうか、主イエス様があなたの毎日に恵みを与えてくださるよう祈ります。アーメン。       Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2011年12月のCalendarを掲載致します。 Calendar 12, 2011C Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1189W (日本語) 2011 11 20W 週報通算#1189WE (英語) 2011 11 20WE     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 11月20日はLCR日本語部の宣教開始第23周年記念特別礼拝を 日本福音ルーテル教会事務局長の立野泰博牧師を迎えて 行います。ここにFlyerを掲載いたしますので、是非ご覧の上 先生よりこの度の東日本大震災のボランティアの目で見た実情を 聞こうではありませんか。 特伝チラシ2011 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1188 (日本語) 2011 10 30W   週報通算#1188 (英語)   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet  「福音の復興」  “Restoration of the Gospel” ローマの信徒への手紙 3章19-28節 私たちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。 一昔、それも20年ぐらい前のこと、何か知りたいものがあったとたら、それを皆さんはどこで見つけましたか? それはたぶん百科辞典だったと思います。ブルタニカという百科辞典は宿題の手助けに欠かせないものでした。それが今ではComputerで何でもすぐ見つかります。 そこで、「世界の歴史の中で、誰が一番貢献した人」とcomputer で捜索してみると、マルチン・ルターの名前が出てきます。皆さんの中にはマルチン・ルターと聞いて、あの黒人の人民の平等を唱え、ノーベル平和賞を受けた人と思いがちですが、このルターさんは15世紀にドイツで宗教改革を起こしたカトリックの司祭であり、聖書学の教授でした。ルターはカトリック教会のなかで、堕落していた教会の姿を悲しみ、また神学的にも、良いおこないをすることにより神様から愛されるというより、神様から愛されるべきでない罪人の私たちが、私たちの罪をイエス様自身が十字架にかかり、そこで私たちに永遠の命を与えるために自分が、人類に代わって罪を贖ったという信仰です。一般に世界の宗教は、一人ひとりがよき行いをすることで神様から愛される、救われると言いますが、キリスト教でいう救いは私たち一人ひとりが自分の努力で出来るものではありません。キリスト教の教えの中に、善行による救いという考え方はありません。神様、それはイエス様が、私たちに代わって私たちの罪を背負い、私たちの代わりに十字架に架かって死んでくださったのです。そのイエス様を信じることのみにより私たちは神様からの救いをギフトとして受け取ることができるのです。 今日私たちが聞いたローマ人への手紙3章19-28節は、ルターがカトリックの司祭のとき何回も何回も読んで疑問に思っていた聖書の箇所です。私たちが義とされるのは律法の行いによるのではなく、神様を信じる信仰によってのみです。実は、神様自身が、私たちの心の中に信仰を植えつけてくださったのです。神様に忠実に従う信仰も神様からいただいたギフト、賜物なのです。  さて、岸野先生は何か難しいことを言っていると思われている方がここにいると思います。そこでもう一度神様の愛を母親の赤ちゃんに対する愛と比較して考えて見ましょう。赤ちゃんは生まれてきた時、お母さんなしでは生きていけません。おなかがすいた赤ちゃんは、ギャーギャー泣き出してママ、おなかすいた、おっぱいのましてと泣くんです。お母さん、私今疲れているから、泣かしっぱなしで赤ちゃんをほ放打って置きおきたいと思うかもしれない。でも私なしに赤ちゃんは育てられない。私なしに赤ちゃんは泣き止まない。私なしに赤ちゃんは何の心配事なく、ぐっすり眠ることもできない。まったく、赤ちゃんという子供を良く考えてみると、その自分の子に与える母親の愛情は天の父なる神様がわたしたち一人ひとりに示してくださった愛情と同じではないでしょうか。ここでお母さんはイエス様であり、赤ん坊は私たち一人ひとりです。お母さんの腕中にしっかり抱きしめられて、私たちは不安もなく、幸福な時を過ごせるのです。そこで愛が感じられるからです。 聖書の中にいろいろな人たちが登場します。イエス様の12弟子、名前が出てこない、病気の者たち、歩くことができない、目の見えない、しゃべることができない,これらの人達はほかの誰かから親の罪の祟りで、こんな惨めな生活をしているものと言われていたかもしれない。我儘な赤ちゃんも、体の不自由な者も、律法学者といわれていたお偉方も、あなたも、私も、神様から見れば、同じ罪人です。駄々をこねる、言い訳の多い人間です。すべての人類はそれ故に、神様の救いが必要なのです。神様がその一人子であるイエス・キリストを私たちの中に送り込み、罪人である私たちを十字架にかかって死んでくださった、その愛により私たちのすべては贖われたのです。救われたのです。 皆さんがお馴染みの放蕩息子を思い出してください。お父さんの半分の財産を抱えて、遠くの地に行き、そこですべての財産を無駄使いしてしまったこの息子、どうしたことか、急にお父さんの元に帰りたくなった。お父さんのところへ帰ろう。しかしこの息子、お父さんがどのように彼を受け取ってくれるかわからなかった。ドアをたたいて、「私です。あなたに背いた私です、あなたから愛される資格もない私です。私がお父さんの家に入ることは赦されないと言われてもわかります。ただ私は、お父さんに自分の罪を告白したいのです。しかし彼がお父さんの家からまだ遠くに歩いてきたとき、お父さんはそこで彼を待っていたのです。毎日待っていたのでしょう。いつか息子が帰ってきてくれこことを信じて、その日を待ちどうしく首を長くして待っていたのです。毎日毎日彼の息子が帰って来るではないかと首を長くして待ち続けたのです。そしてある日、お父さん、まだ遠くの方にいた息子を見出した時、「ああ、私の息子だ、私の息子だ、帰ってきてくれたんだ。こんなに嬉しいことはないと泣きながら息子のの息子だ、私の息子だ、帰ってきてくれたんだ。こんなに嬉しいことはないと泣きながら息子のところまで走っていって、彼を抱きしめて言葉に出ない喜びを感じたはずです。もし皆さんが、このお父さんの立場にあったならきっと同じことをしたに違いありません。 旧約聖書の時代、ある人が神様と悪い関係を持ったとき、彼は生贄のささげ物を持って神様の元に来ることを命じられていました。その生贄により人は神様との元の関係に戻れたのですが、イエス様は、生贄とか、ささげ物を受け取りません。私たちの努力、力、行いによって神様から愛され、愛する関係に戻ることはできません。しかし唯一つの方法、それはイエス様が私たちの罪をしょって十字架にかかり死んで下さったことにより私たちの罪を取り除けて下さったことによるのみです。何か同じことを何回も何回もいっているような感じがしますが、はっきり言って十字架のイエス様以外に私たちを救ってくださった唯一の救い主はいません。それを信じる信仰も神様から私たちはギフトとして受け取っているのです。マルチン・ルターの伝統を持つ私たちの教会は、1517年10月31日にルター自身がイエス様の私たちを救う正しい信仰をすべたの人に宣べ伝えたことを覚える日です。しかし、ここでも主人公はマルチン・ルターでありません。私たちの信仰の主人公は、父と子と聖霊の3つの姿で現れる神様です。 今日の説教は難しいと思われた方もいるでしょう。牧師としての私の役目は第一にイエス様の愛を皆さんにわかっていただくよう勤めることです。どうか質問でも、お祈りでも、悩み事があるときには私に電話をください。誰かがイエス様のことを知りたい、そういう人がいますなら、私にその人を紹介してください。私の役目は皆さんが少しでも神様の愛を感じることができるようになる、その為に神様は私を牧師という働きに導いてくださったのです。一人でも多くの方が、神様の福音を聞き、心を開いて、イエス様を受け入れることができますよう私たちは共に祈るのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書22章34節―40節 「人生で一番大切な戒律」“The Most Important Law in Our Life”  或るまだ神学校を出て間もない牧師は教会の皆さんたちから何時も「あの先生の説教は長すぎて眠くなってしまう」と言われていました。そこで教会の役員会で、「先生の説教はとてもいいのですが、少し長すぎるのでは」という発言が出たのです。それに対して新米の牧師さん、「いや、私は皆さんに神様の言葉、聖書で言う神様の言葉のミルクを沢山差し上げたいのです。」と答えました。一人の役員さんは牧師さんの言葉尻を取り、「それでは神様の言葉もコンデンス・ミルク」でお願いしますと。コンデンスとは短縮したという意味です。 これは牧師さんに限らず、私の大学で専攻した、キリスト教と哲学のクラスも、その先生の講義が長々と単調な声で、子守唄を歌われているような感じの時もありました。立教大学の中沢先生は旧約聖書のヨブ記の研究で有名な方ですが、先生は聖書をへブル語で読むのです。いくらへブル語の授業を受けたといっても、先生がどこで何を読んでいるのかもわからない、よくそんな経験をしたのです。言葉というものは面白いことに、長いセンテンスで話されるとはじめに何を言われていたか忘れてしまうのです。言葉も文章も短い方が頭、また,心の中に受け入れ易いのです。 カール・バルトという有名なドイツ人の神学者がアメリカを訪れていた時、ある神学生はバルト先生に、「先生、あなたが40年にわたって教壇から教えた神様の教えを一言で言うならばどうお答えしますか?」バルト先生は英語でこう答えたのです。 “Jesus loves me this I know, for the Bible tells me so, little one to him belong, we are weak but He is strong.”日本語では、「主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」です。これはイエス様に従う私たちの素晴らしい信仰告白です。 今日の福音書は、パリサイ派の人々、ユダヤ教の宗教団体のリーダーが、イエス様に、「一番大切な神様の戒めとはなんでしょうか?」という質問した話です。イエス様はそれに対してこのように答えました。 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように、重要である。隣人を自分のように愛しなさい。」英語では、“Love the Lord God all your passion and prayer and intelligence.” This is the most important;the first on any list, The second most important commandment is like it: Love your neighbor as you love yourself.”これは、神様、イエス様に対しての私たちの愛、そしてまた、隣人に対しての私たちの愛です。それがイエス様が私たちに命じられた掟なのです。 ところで ユダヤ人はモーセがシナイ山で十戎を神様からいただいたのを皆さんご存知と思います。。それは神様が私たちに下さった掟です。それは10の律法とも言われています。この律法はそれを守ることで、神様の祝福を受ける。しかし、破ることによって裁かれるというのです。ユダヤ人たちは、長い歴史の中で、神様からいただいた十戒の他に613の細かい掟を作りそれを人々に守るように強制したのです。それは248条の「あなたはこれをしなければならない」という律法、例えばそれらの律法のうちには、作物を集めるとき、全部ではなく少しは落穂ひろいのできるように貧しい者にそれを残しなさい。 そして365条に亘る「あなたはこれをしてはいけない」という律法とです。たとえば、鱗のない魚を食べてはいけない、安息日には医者は病気の者を癒してはならないなどの私たちから見れば、これが戒めなんですかと言うものが沢山あります。しかし戒めを完全に守ることによってユダヤ人は神様の救いを頂けると信じていたのです。そこで律法学者はイエス様に、613の律法のうち一番大切なものは何でしょうかと質問したのです。イエス様はそれに対して二つの律法、この二つの律法がすべての律法を要約した律法であると答えたのです。その一つは、申命記という旧約聖書の中にあるシェマー(Shema)という祈りの言葉です。それを読んで見ましょう。きっと皆さんもこれを何回も聴いたことがあると思います。「聞け、イスラエルよ.我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4-5)イエス様はこれが一番大切な戒めだと教えたのです。 そして2番目に大切な戒めは「前の一番の戒めと同じように、あなたは自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という戒めです。この二つの戒め以上に大切な戒めはないというのです。英語では心を尽くしては、with all your heart, 魂を尽くしては、with all your soul, 力を尽くしては、with all your mind です。私たちのすべてを用いて神様と、隣人を愛することが、私たちに義務であり、喜びに繋がれるのです。 つい最近ここの教会員の方と恵比寿マーケットの近くにあるエルビスというカラオケ店で、何人かの方々とカラオケの楽しい時を持ちました。誰かがそれをカラオケ伝道だなんて言いましたが、自分の好きな懐メロ、思い出の曲、それが讃美歌ではなくても心の中で感じられる思いをこめて歌うのは楽しいものです。わたしのすきな日本人の歌手は広田三枝子とクールファイブですが、英語で最高なのはフランク・シナトラです。彼の歌う“All the Way”という歌は私の大好きな歌です。家内ナンシーに聞いてください。私が幸福と感じるときは、自然とその時の心を表現する歌が、口から出るようになるのです。 “When somebody loves you, it’s no good unless he loves you, all the way.Through the good and lean years and through all the in between years—come what may.” ここで言いたいのは、 “All the way”100% の私たちが、神様を慕う、愛する思いです。神様より100%愛され、神様を100%愛することができるなら、それ以上に人生で幸福のことはありません。それは、親が自分の子供を100%愛し、子供が親を100%愛することと同じです。もちろん、何か悪いことをして両親から怒られた。そんな時愛されていると感じないかもしれません。同じように、神様に逆らって何か悪いことをした時、神様から愛されていないと思うかもしれません。しかし私たち人間は神様のイメージを持って生まれてきたと聖書は教えています。私たちはお互いに神様からいただいた美徳があるのです。その美しい徳が自分の中で感じられる時があるのです。この神様よりいただいた自分、自分のギフトを人と人との付き合いの中でいかに使っていくか、そして、それを認識することができる時も一人ひとりに与えられるのです。 話はすこし変わりますが、何ヶ月も前に、自分で自分の牧師としての仕事に今まであった活気が体から抜けていくような気持ちになったのです。何か気持ちがすっきりしない。体力もない。やる気がない。普段は陽気な性格の私が、心の中に何かもやもやとしたものを持っている自分に気がつきました。これが鬱病ではと自分で感じていたので、お医者さんにかかり、それが本当に鬱病の初期だとわかりました。家内もうすうすそのことに気ずいていましたから、お医者さんの診断を聞いて、びっくりというより、ああそうだったのか、でもそれがわかってよかったとい良い意味で受け取ってくれたのです。なぜならこれは治療の方法があるからです。しかし一般には鬱病、それは大変だ、と言われるようですが、次第にもとの自分に戻りつつあります。ここで皆さんに知って欲しいことは私の為に心配していた人たちが祈っていてくださっていたということです。神様はその方々の祈りも聞いてくださっていたのです。 聖書の中に「一人のものが苦しむ時、みんなが共にに苦しむ。一人の人が喜ぶ時、みんながともに喜ぶ」という言葉があります。本当にその通りです。それができるところ、それが教会です。お互いを助け合う、お互いのために祈る、そしてお互いを支えてゆくところに神様はいらっしゃるのです。ですから教会は私たちの家族です。そこにイエス様が何時もいらっしゃる所、愛と、癒しと、励ましと、祈りがある処です。 同じように、先週、松井誠史さんと昭子さんの金婚式を教会で祝うことができた私たちの群れは神様に恵まれた教会です。私たち一人ひとりの名前を口に出して、祈ってくださっている会員もこの教会にいるのです。 神様は私たちの心が神様の福音を心に留め、実際にそれを私たちの間で分ち合うところに恵みと平安を与えて下さいます。 アーメン。          Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   週報通算#1186(日本語) 2011 10 23W 週報通算#1186WE (英語) Sunday English Bulletin 1186E         Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet     結婚50周年記念日によせて                                                                私の生い立ちから紹介します。 私は、父母が1925年に祖父の呼び寄せで渡米し、ロサンゼルス近郊の北ハリウッドで野菜を主とする農業を営んでいる時に第六児として生まれました。6歳の時、祖父の死去の知らせを受けた父は、大家族を連れて日本に引き上げました。その年に第二次世界大戦が勃発し、貯えた預金もインフレの為に失い、父は苦労の連続でした。10人の子供達の教育から、生活環境の相違の調節や反米感情による苦しめ等、小学校時代は日本人並みに生活する事は大変でした。同年代で同じような経験をされた方達には理解できると思います。  終戦後、民主主義が唱えられ、中学校、工業高校に学びました。その後、父の友人で国会議員だった方の紹介で、大阪にある中小企業の会社に入社し、日本での経営方法、人と人との関係を学び、大変良い体験でした。(1953-1954年)1955年、21歳の時に米国に将来の夢を託し、父の友人に保証人を頼み、400ドルの借金をして帰米しました。日本を離れる二日前、父母から米国で生活する為の心得を聞きました。「アメリカでは生きる力を失っては駄目です。金銭は天から降って来ない、まじめに働けば必ず結果が出る。多民族の集団だから宗教心がなければ生きて行けない。困った時には牧師さんに話をして相談しなさい。」父母からの言葉は今でも遺言として頭に残っています。父母は佛教信者でありながら、どの宗教を信じなさいと指示はしませんでした。  年後、弟が永住を決意して帰米して来ました。当時は不況で仕事が見つからず、町の工場で働きました。ある時、仕事で宣教師と出会い、アメリカの宗教であるキリスト教を勧められました。日系の佛教会に通っていましたが、弟が言うにはあまり感動がないということで、試しに二人で行ってみようと、日系のキリスト教会、センテナリーメソジスト教会に行きました(1960年)。当時、日本語部120人、英語部800人、合計920人の、全米第一の教会でした。人種差別は無く、日本いる思いがしました。私自身、キリスト教についての知識は全くのゼロであり、何から始めればいいのか解りませんでした。出席回数を増やすごとに、信者達、また牧師先生との交わりが出来るようになり、日本で言われている「神」とキリスト教で信じている「神」との違い、また「救い」の説明や、様々な事を教わりました。全てが神様から示されたという思いで、悔い改め神にすがり、信じるようになりました。1961年、神様の導きだったのではないでしょうか、それまでは、信者から2-3回洗礼を勧められていましたが、キリスト教を良く理解してからにしますと断っていましたのですが、M牧師から「イースターに洗礼を受けてはどうか、キリスト教については、また信仰については洗礼を受けてから聖霊が働きます。これは信仰の始まりであり、永遠のもので、卒業ではないのです、神は祝福してくれるのです」と言われ、洗礼を受ける決心をしました。そしてその年のイースターに10人の兄弟姉妹とともに洗礼を受けました。感謝でした。 その年の8月に、3ヶ月の予定で日本に行き、1961年10月18日に 両親の世話により家内の昭子と結婚しました。家内を連れてアメリカに帰って来た時、教会ではまるで10年来の友達を迎えるかのように家内を歓迎してくれました。青年会で特別集会を開き、歓迎会をしてくれたときは、感謝と祝福で一杯でした。1962年、M牧師が礼拝後にアパートに訪問され、家内にも洗礼を受けるように勧めました。家内もキリスト教の事は殆ど何も知らなかったのですが、これからの人生を神様に委ねると決意し、その年のイースターに洗礼を受けました。家内は日系人の教会で、日本語にも不自由しなかったので、同じ立場の人達と一緒に淋しくなかったと思います。主が働いていたのでしょう。 1968年、兄弟共同で植木業を始めようと思い、庭園業の経験を基盤に、オレンジ郡に移り、6エーカーの借地をし、準備にかなり時間がかかりましたが、2年位かけて商品になる植木ができるようになりました。忙しくて教会は休みがちになりました。その時働いていた教会の方が、「松井さん、神様があなた達を呼んでいますよ、教会の家庭集会に来ませんか?」と誘ってくれ、出席しました。その時、神様のみ言葉に感動しました。当教会の牧師先生は私達のことを覚えて、週に一度、午前中仕事場にお祈りに来てくださり、感謝でした。子供達がイエス様の愛を学ぶ為にと、サンデースクールに行く事にしました。それと同時に礼拝に出席し、日本語部は16名でしたが、良く祈り、愛に満たされた教会だと思いました。弟の家族と一緒に、アナハイムフリーメソジスト教会に転会し、主の為に奉仕できることに感謝しました。  植木業経営も20年位経ち、気候と時代の景気に左右されて浮き沈みが激しく、心の落ち着く事はなく、ただ平安を得る事が出来る場所は教会以外にないと思いました。三人の娘達も成長し、キリスト教の教えを土台に人生を歩み始めました。仕事が出来るようにしっかりと教育を受け、社会の為に役立つようにと育てました。結婚しても主が第一であり、神の恵みに感謝できる、そのような家庭を築く事を願いました。  1992年、我が家族にも肉体的試練が与えられました。昭子が突然ストロークになり、言語障害を起こしたのです。不思議にも、教友の祈りに支えられ、三日間入院しただけで退院し、三ヶ月で直りました。その年に、T牧師の愛の言葉によって、復活ルーテル教会に転会しました。  1999年11月11日夜7時、私はストロークで半身がしびれ、その上医師の診断によってハイコレステロールが原因で前立腺癌であることがわかりました。2ヶ月休暇を取り手術をしました。当時、余命5年と言われましたが、教友の祈りにより、現在丸11年生かされて、感謝です。  2008年、昭子は自動車事故に遭い、それによって直径3㎝位の脳腫瘍が発見されました。頭にドリルで穴を開け、膿を出しました。教友の熱い祈りによって、癒され、言語障害もなく元気になりました。神様のなさる事は人知では計り知れないと思い、感謝で一杯でありました。 2011年12月6日現在、結婚50周年記念日を迎え、3人の娘も結婚し、家庭を築き、それぞれの娘達から一人ずつ孫が与えられました。この孫達が主に守られながらキリストの教えを身につけ、健康で成長して行く事を祈るばかりです。このような的外れの私達夫婦にも、苦難のときも喜びのときも、三位一体の神様はいつも私達の側に居てくださいました。復活のキリストを信じるこのルーテル教会の牧師先生達を始め、教友達の励ましのお祈り、今日まで生かされている恵みと喜びに感謝します。皆様の上に主の祝福が豊かにありますように祈って止みません。先ずはお礼まで。 2011年12月7日  松井誠史                 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace