Archive for the ‘Uncategorized’ Category

Tweet 以下、聖書観想になりますが、お配りしたカレンダー・聖書日課やウェブに載せた聖書日課・カレンダーでは、21日(金)の聖書箇所が間違って記載されていました。21日(金)は正しくは、イザヤ44:9-17とヘブラ6:13-20です。申し訳けありません。 2017年7月16 日 マタイ13:1-9, 18-23 「種を蒔く人」のたとえを今一度読んでいかがだろうか。あらためて読んでみて、私は、同じ福音の種、同じ聖書の御言葉であっても、実にさまざまな形で世の人々は御言葉をとらえる、つまり一時的に異常なまでの関心をもってしまう、あるいはほとんど関心を示さないという色々な現実がある事とおおいに関係のあるたとえ話であると思う。御言葉が、真に人の心に浸透して信仰的な成長を帯びていくには、単に文字を読む(あるいは聞く)という関係だけにとどまらず、神の働き、聖霊の後押しなしにはありえない。   2017年7月17日(月) 第一テサロニケ4:1-8 テサロニケの信徒への手紙の一は、聖書に記載されたパウロの書簡の中でも、最初のもの、紀元後50年代はじめに書かれた。テサロニケの人々の信仰を喜びながらも、間違った教えが紛れこんでいることを心配しているような面はいなめない。そこで、与えられたような箇所にあるような、やや律法的というか、聖なるものにならないとだめですよ、みないな文面になっている。聖日の聖書、第二日課において、今年の聖霊降臨後の主日ではローマの信徒への手紙が読まれることが多い。 パウロの書いた書簡の中で、最後の書簡とも思われるローマ信徒への手紙と、最初に書かれた第一テサロニケとのパウロの書き方や内容の違いというか、深みの違い、読んだ後の余韻の差を覚える。  2017年7月21日(金)、22日(土) イザヤ44:9-17, 18-20 偶像礼拝を問題としている預言者イザヤの言葉。キリスト教の歴史を振り返りながら、この箇所を読むとき、偶像とはなんなのかということを考えさせてくれると思う。 とくに今年宗教改革500年だが、500年前からさらにさかのぼること数百年、ローマ教会が歩んでしまった教えの中に、偶像礼拝に相当するものがあったのだろうと思う。そして、ローマ教会内では、「わたしの右の手にあるのは偽りではないか」とすら言わなかった(20節のイザヤの言葉)。しかし、ローマ教会の一司祭であった、マルティンルターは、神の導きにより「私たちが信じてきたものは偽りではないか」と気がつき、宗教改革、プロテスタントの運動が起こっていったともいえる。そして、時間はかかったが、ローマ教会も変わっていくように神が導いてきてくださったといえるのだろう。そして、皮肉なことに、現在三万ものプロテスタント教会の宗派が存在しているが、中には偶像礼拝に相当する教えがはびこってしまっていると感じている。 2017年7月23日(日) マタイ13:24-30, 36-43 良い麦と毒麦のたとえ。じっくり読んでいかがだろうか。先週のたとえも、今週のたとえも、拝読箇所の後半は、前半で語られたたとえ話の説明がされているが、後半の説明はあまり気にせずに、前半だけをしっかり読むのが良いように思っている。 私は前半で、僕たちが「毒麦を抜きましょうか?」と質問しているのに対し、「育つままにしておきなさい。」と主人が言われていることに感銘を受けてしまう。毒麦自身が、神の愛の中で、変わりうるということを暗示されているように思う。ローマ教会の歩みと重なるような気がする。また三万のプロテスタントの宗派にも、神の愛が働いていることを祈り覚えて。 そして私たち自身の、過ちや失敗をする生活に対しても。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

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Tweet 2017年7月9日 (日) マタイ11:16-19,25-30 28節の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」は日本人がもっとも好む聖書の一節だと聞いた。その前の箇所をよく読むと、イエスがこの言葉を語った対象は当時の宗教指導者たちだったように思う。必死に律法を学び、それを守ることこそ一番大切なこととして信じて生きていこうという当時の指導者に対して、この恵み溢れる愛の言葉が語られたことを覚える。 そして、その言葉を聞く現代を生きる日本人にも、実は当時の宗教指導者たちと同じバックグラウンドがあるのではないだろうか。 2017年7月10日(月) ローマ1:18-25 創造者なるお方をあがめうやまうことの大切さを痛感する。とくに25節まで読んで。「てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがふべし。ただし、ここにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず。西洋のことばにてごっど(GOD)といひ、にほんのことばにほんやくすれば、ぞうぶつしゃ(造物者)というものなり。」 という言葉をもって、自分の子供たちに教えた福沢諭吉のことを思い出した。 2017年7月15日(土) イザヤ52:1-6 やはり創造者にちなんだ箇所といえるだろう。6節の言葉に、イザヤに下った主の言葉として「わたしはここにある。」という言葉に大きな意味を感じている。 モーセが神に向かって、名前を聞いた場面があったと思うが、神の返答は「わたしはある、という者だと述べていた。 2017年7月16 日 マタイ13:1-9, 18-23 有名な「種を蒔く人」のたとえ。今回この箇所を読む中で、聖書日課では飛ばされている10節の言葉が気になった。弟子たちがイエスに近寄って、なぜ、あの人たち(律法を重んじる宗教指導者たち)にはたとえを用いて話すのか。という質問をしている。だから最初にイエスが「種を蒔く人」のたとえを話している相手は、やはりイエスに反対する宗教指導者に対してであることがわかる。このたとえには、どんな劣悪な環境にあろうが、主の福音伝道の力づよさ、すばらしさ、が語られているように思えてくる。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ここをクリックーー> 2017 07 02 Jpn Sermon for Web Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

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Tweet LCR日本語部週報通算第1417号 2017年3月19日の週報     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2017年3月12日メッセージ 日本語訳 ここをクリックー> 2017 03 12 Message Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

March 18th, 2017

3月15日聖書観想

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Tweet 3月12日(日) ヨハネ3:1-17 ニコデモの質問に「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」と答えられたイエス。ニコデモという教師が単刀直入に質問をしていてくれたことに感謝したい。 また、イエスのこの答えが聖書に描写された中に、とにかく洗礼を受けていただくことを勧めるしっかりした根拠を覚える。 3月14日(火) 第一コリント10:1-4 この短い箇所に、出エジプトに書かれていた、放浪していたともいえるイスラエルの民に、霊なる水や食べ物が与えられていた神の愛の導きが凝縮して表現されているように思う。 この世がどんなところかわからずにオギャーと生まれてきた者に、自分で先がわからなくなってしまっても、しっかり頼れるものがある。洗礼であり、御言葉を聴くこと、そして聖餐に預かること。世に言う幸福とはことなるのかと思うが、喜びに満ちた人生の旅路につくことができる。  3月19日(日) ヨハネ4章5-42 一日にちょこっと読む聖書箇所にしては、長い。しかし一連の出来事、物語といっても良いかと思うが、生きた水を注いでくださるのは神の子イエスであることが描写されている。その霊的な水は、さまざまな人生の壁(人種の壁、男女の壁、村民社会にある壁)をかかえていたサマリア人女性に注がれ、彼女の周りの壁が壊されてゆく様子を伺える。  3月16日(木) 出エジプト16:1-8 エジプトを出て、イスラエルに戻るたびについたユダヤ人の集団は、その旅の苦しさ、食事の無い苦しさに文句を述べる箇所が描かれている。 週の後半は、出エジプト16章の残りの箇所が読まれ、神は辛抱づよく、天から食べ物をふらせ、人々を満腹させる。そこに神の愛を覚える。 現代において、さまざまな人生の体験から、神に不満をはっきり言う者、あるいは、なんらかの理由から教会をきらいだという者もいる。 しかし、神の愛は、そのような方々にも注がれていることを覚えたい。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

March 10th, 2017

3月8日聖書観想

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Tweet 聖書日課の拝読のちょっとした手助けになればと思い掲載しています。 週の半ばに、聖書日課の中から(1)週の初めに与えられた福音書箇所、(2)週前半の一つの新約箇所、(3)次週聖日の福音書箇所、(4)週後半の旧約箇所から一箇所について、牧師が思い巡らせたことを載せています。  3月5日(日) マタイ4:1-11 イエスが誘惑を受けた40日間の聖書箇所、今一度読み、なにか迫ってくるものがあるのではないだろうか? 私にはイエスが「神の口から出るひとつひとつの言葉で生きる」と語られたことがせまってきている。 然りと感じ、聖書に記述された神の口から出た言葉のパワーを感じる。 ところで三つの誘惑に対してイエスが答えている権威ある言葉は、すべて、申命記からの引用だ。 「なんだ、イエスはよく旧約聖書を勉強して、適宜、引用しているだけだ」と思うこともできてしまう。 しかし、イエスはもともと、創世記の前からおられた父なる神と一体の御方であり、申命記の中につづられた、神の口からモーセに語られ、伝承・記述された言葉は、もともとイエスが語っておられたと、三位一体を信じるキリスト者は考えられる。  3月7日(火) ヘブラ4:14-5:10 「わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから」という言葉には、共感するものがありまた励まされる。 この地球上に生まれてこられたイエスという一人の人間だが、その御方は「天を通過された」と語られているのは、上述したように、もともと天の父なる神と一体であった方。 そして、そのお方は、聖霊としていまもわたしたちの近くに、またわたしたちの中にまで宿っている。 その方とともに人生の旅路を歩めることの喜び、はげみが湧いてくる。 3月12日(日) ヨハネ3:1-17 アメリカではヨハネ3:16が一番愛されている聖句だとよく言われる。しかし、イエスがどういう話の脈略のなかで、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を受けるためである。」という言葉を語られたかを知る人がどれだけいるのだろうか。 1-15節の中で、ニコデモがしつこいくらいに質問し、イエスが答えている内容は、キリスト教信仰の核と関連していると思う。洗礼のときになにが起こっているか。  3月10日(金) ミカ7:18-20 「これほどまでに咎を除き罪を赦される神がほかにあろうか、」と神の言葉を預かったミカは訴える。「主は再びわれらを憐れむ、」とミカが伝える神はどういう方なのだろうか。 四旬節にあって、十字架にまで架かって民の罪を赦される、繰り返し憐れんでくださる主なる方を覚える。私の卒業した浅野学園という中学高校は、校訓に二つの言葉があり、ひとつは「愛」、もうひとつが「九転十起」。 「愛」はキリストの教えから来ていると思っていたが、九回転ぼうが十回起き上がれるという九転十起の源には、神の憐れみ、赦しがあって、そんなことがおこるということに気づかされた。映画「沈黙」をご覧になった方には、キチジロウの生き様に、九転十起を可能にする主の憐れみを見ることができるように思う。 水曜の夜の礼拝においても、主の愛、憐れみが豊かに顕れますように! Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace