今日でやっと全ての後片付けが終了した。使用済みの飾り物や、展示に使った打ち掛けなどを丁寧に箱に詰めながら、今回もあっという間に終わってしまったジャパン・フェスティバルの全てを思い浮かべてみた。

 LCR Friendship Task Force (F.T.F. 日本語では友好実行委員会)は、今年の始めから、7月30日に予定されたジャパン・フェスティバル目指して計画を立てた。

今年で第四回目とは言え、毎回同じ出し物では味気ないし、食事もお弁当ではなく、自分たちで何か作れないかどうか考えた。前回までは皆さんに買っていただくティケットはお弁当付きだったから、食べたくない人にもお弁当が配られたわけで、考えれば勿体なく思えた。そこで、今年は毎回お弁当をお願いしている武田社長にお会いして、カリフォルニアロール、太巻き、そして稲荷のバラ売りができないかお願いした所、快く引き受けて下さった。結果としてはカリフォルニアロールを30本、太巻きを20本、稲荷は100個注文する事になった。

その他に、民さんがチキンカレーを150人作ってくれることになった。大変な仕事である。武田さんに営業用のカレーを3袋譲ってもらえたのはありがたかった。稲荷が100個では足りないかも知れないと心配していたら、星さんが100個作って持って来てくれる事になった。スナックは、日本食を食べない子供達が来たらどうするか、という話しになり、前回同様、Chery lKleinの担当で、ホットドックもマカロニチーズも出す事になった。勿論グリーンティーアイスクリームや、ラムネは今年も必需販売品である。

 さて、展示場の方は、前回大好評だった、スミスさんの折り紙と奥様のちぎり絵、松村さんの古代布アート、井上さんの紅型型染めの展示をお願いし、後は林さんの生け花、上原さんの墨絵がデモンストレーションの後展示される事になった。また、今年の着物着付けモデルは、去年広島旅行に参加したAshleyが名乗り出てくれた。礼拝堂での出し物は、毎回お願いしている「ゆうかりコーラス」の皆さんに今年も歌ってもらえる事になった。また大橋さんが日曜学校の子供達に簡単な日本舞踊を教えてはどうかというアイディアを出してくれたので、それはありがたいと直ぐにお願いし、日曜学校の生徒達で踊りたい子供達を募った。7月の初めから毎週日曜日に、大橋さんが何人かに日本舞踊を指導し、どうにかなるだろう、という所までこぎつけた。勿論フィナーレは今年も心太鼓会の皆さんにお願いした。今年で4回目になる心太鼓会の福原さんはもうお馴染みである。そして、今年は特別にラッフルティケットを売り、売り上げの全額を東日本災害義援金として、日本福音ルーテル教会の立野先生に送る事になった。

 立野先生は3月11日の災害の後すぐに現地に駆けつけ、援助活動を始められた。今では「となりびと」というブログで紹介されているが、多くのボランティアを集めての大きな活動となっている。海を越えている私達には、一緒にボランティア活動はできないが、少なくとも自分たちにできることをしたいという願望は常にある。F.T.F.英語部メンバーのGailとCherylが、3月から集めた新聞の切り抜きを使って、Japan Disaster Displayを作成し、ティケット販売のテーブルに展示する事になった。ラッフルティケットとは宝くじのようなものだから、先ず賞品を集めなくてはならない。この呼びかけに日本語部全員、また友人家族の皆さんが快く応えて下さり、沢山の品物が集まった。ジャパン・フェスティバルに因み、日本風で、未使用な物に限らせていただいた。また、ローカルのレストランにもお願いした所、喜多山レストラン、古都レストラン、えびすラーメンの3件が快くギフト券を寄付して下さり、本当に感激だった。

 7月25日、ジャパン・フェスティバルの週に突入した。必要な事柄を全てリストアップし、見落としが無いように毎日チェックしながら、着々と準備を進めて行った。金曜日に飾り付けも終わり、次の日の為に英気を養わなくてはならないとばかりに、F.T.F.のメンバー全員が早めに帰宅した。いよいよ明日だ。

 土曜日の朝、7時からDennis を筆頭に、セットアップメンバーがテントを立ち上げ始めた。今年はLCRの男性グループにお願いした結果、沢山の男性群が集まり、あっという間にテントが2つ、3つ、4つと立ち上がった。問題は鯉のぼりだった。担当の深見さん(祥子さんのご主人)が、大切な部品が一つなくなっていると言う。松井さんや藤原さんが側に立って両腕を抱えながらどうしたもんかと考え込んでいる様子だ。そんな彼らの横を、各ブースの机や椅子がどんどん運ばれて行く。サインを掛け、スナックのテーブルや準備も始まった。祥子さんが興奮したようにやってきて、「部品が見つかりました。ちゃんとありました。」と報告してくれた。そして15分後には見事に鯉のぼりが南カリフォルニアの青空をバックに泳ぎ始めたのである。民さんが台所で作るカレーの匂いがし始め、提灯がぶら下がり、飲み物がクーラーで冷え始めると、そろそろブース担当の人たちが集まって来た。先ず台所と食堂のお手伝いに志垣さんと白井さんが駆けつけ、鉢巻き担当の愛子さんとご主人のペトロさん、日本語101の佳代子さん、吉成さん、樋口さん、墨絵のお手伝いをして下さる波多江先生、子供コーナーのさと子さんや、生け花ブースやショッピングブース担当の英語部のご夫人達がぞくぞくと集まってくる。着付けの粂さんがモデルのAshleyをつれて二階に上がり、大橋さんが子供たちを集め始める。浴衣をきた子供たちが走り回る姿に「祭りだ〜祭りだ〜」と叫びたくなって来た。安松さんの孫、Russell君が浴衣を着ておばあちゃんと一緒にやって来た。岸野先生のお子さん達、Andrew とKatieにも早速浴衣を着てもらう。見ているだけで楽しくなる。アメリカで生まれ育った2世の子供達にも、今日は日本文化にどっぷりと浸かってもらいたい。

4時開催だったが、3時過ぎから人が集まり、教会オフィス入り口のティケット売り場に列が出来ている。前売り券だけでも250売れているから、これは300人以上になるなあ、と思いながらプログラムを片手に4時から始まる墨絵のデモンストレーションへと走る。4時開催で、直ぐには人が集まらないかと思いきや、すでに何人もの人がTホールに設置したデモンストレーションの場所に集まっているではないか。上原さんの手際よい、アイリスと菊を描いた墨絵のデモンストレーションが終わり、次は林さんの生け花だ。お二人に前もって、一人15分ですよ、とお願いしてあったので、さすがプロである、ちゃんと15分内で終わるように準備されていた。続いてのデモンストレーションは、粂さんの着物着付けだった。手際よく着物が着せられ、帯に入った時には、しっかり起立していたAshleyの足が揺らぐ程、粂さんがきつく帯を締め、背中の帯の形も美しく決まった。着付けが終わったAshleyは、5時から始まる礼拝堂でのショーに出てもらう為に、出来るだけ早く、でも慣れない着物なのでしかたなくゆっくりと礼拝堂への向かってもらった。

 5時からのショーは、日本語部牧師の岸野豊先生による歓迎のご挨拶から始まった。先生は日本で引き続き行われている援助活動の現状も話され、今回の収益が災害義援金として使われる事も説明された。その後DennisがMCを担当し、先ずはゆうかりコーラスから始まった。素晴らしい歌声が礼拝堂に響き渡り、英語と日本語の両語で歌われる歌に、人種の背景などまったく関係なく、皆が聞き入った。コーラスが終わった後で、93歳の英語部のご夫人が、どうにかこのCDを手に入れてくれるようにと頼みに来たほどである。ゆうかりコーラスの合唱の後は、着物をきれいに着こなしているAshleyと、モダンな上下の着物姿のConnieが二人で「扇子の会話」を演じた。これは出し物の合間に入れたちょっとしたジョークで、皆さんに笑っていただけたと思う。この後はいよいよ大橋さんが苦労して教えた英語部の子供達による日本舞踊のお披露目だ。どうなることかと思ったが、上手に踊ってくれた。子供達の踊りが終わると、大橋さんが堂々と「松の緑」を舞い、大喝采のうちに幕締めとなった。Dennisの閉会の挨拶に続き、観衆は前庭へと移動し、跆挙道の見学が始まる。その前に少しの時間を使ってラッフルの賞品当選者の発表をした。ラッフルの賞品は40以上も集まり、その中には盆栽あり、商品券ありで、時間を利用しないと当選者発表に長時間かかってしまう。何人か当選者を発表した後、Andrewによる跆 挙道のデモンストレーションが始まった。子供達だけでなく、大人も歓声を上げて楽しんだ。その後に始まる心太鼓の皆さんが、どうもまだ到着していない。この時とばかりに、また大橋さんに活躍してもらい、有志が輪になって教えられるとおりに炭坑節を踊りはじめた。子供も大人も、日本人もアメリカ人も、一つの輪になって踊る炭坑節が暫く続くうちに心太鼓の皆さんが到着。準備をしているあいだに、また時間を利用してくじの当選者を発表した。

 そして6時半を過ぎた頃から、心太鼓会による和太鼓の演奏が始まった。ドンドンと心に響く音が海を越えて世界中にこだまして行くかのように、ドンドンドンドンと響き渡る。3年前に亡くなったF.T.F.の創立者Vi Minarさんを思い出しながら、「あなたが祈っていた通りに、この教会は神様の元で、今は日本語部も英語部も一つですよ」と今年も彼女に報告ができた。 

 ジャパン・フェスティバルを開催するにあたり、多くの皆さんが惜しみなくそれぞれのタレントを発揮して下さった。私達小さな日本語部の群れは、神様のみ力によって一つになり、大きな目的を達成する事ができた。上からのみ恵みと導きなしではできないことである。そして英語部の皆さんが私達日本語部をこれほどまでに助け、励まし、暖かく支えて下さっている事に、ただただ感謝である。

神様は目的を持って私達この日本語部をこの教会に於かれた。神様のご計画に応えるべく、全力を尽くしたこのジャパン・フェスティバル、最後は太鼓の音とともに、「良くがんばったね」と神様の声が聞こえてくるようで、嬉しくて疲れ等吹っ飛んでいった。

 この場をお借りしまして、惜しみなくご協力下さった皆様に、心からお礼申し上げます。
Japan Festival Success Story

A Rousing Success! These are  the proper words to describe
LCR’s Japan Festival IV which took place on Saturday, July 30th. Around 350
people attended the event that was co-sponsored by the Friendship Task Force
(FTF) and the Japanese Ministry, under the leadership of Fumi Liang and Pastor
Kishino respectively. Besides the members of those two committees, many people
from the congregation pitched in to lend their hands-on help and support.

From the crew of men who set-up and took down the canopies and
tents, to the hardworking kitchen and dining group, and including those who
staffed the booths and exhibits and put on the show, everyone pulled together
to make the event the tremendous success it was. The various booths and
demonstrations were busy all day and the show in the sanctuary was well
attended. Raffle tickets sold at a brisk pace at the Japan Disaster Display
booth. The 25 raffle prizes  went to enthusiastic participants. As always
the stirring sounds of the Taiko drums finished off the day in grand style. All
ages of people attended the event and approximately $2,000 will be sent to
Japan for disaster relief.

As stated, it took many, many hours and lots of people to put on
such a tremendous undertaking. FTF and the Japanese Ministry would like to
thank everyone who helped before, during and after the festival. The only
reason we are not listing names is because we are afraid of mistakenly leaving
someone out. But please know, all of you who worked so tirelessly and
willingly, that your efforts were much appreciated by the committees, by your
fellow congregants, by all who attended and by your God.

 

Gail Perkins for FTF

 

 

2011年7月30日

HuntingtonBeachの空は飽くまでも青く晴れ渡りそこに海からの強風を孕んで3匹の鯉幟と吹流しが勢い良く泳いでいる。それは正に今日の成功を象徴しているかの様に思えた。今日7月30日は私達復活ルーテル教会日本語部とLCRのFTF(Friendship Task Force: 友好実行委員会)共同主催による第4回Japan
Festivalの日である。この半年間FTFでは入念に計画を練り準備して今日の開催に至った。今回は東日本大震災の義援金募金の為、日頃新しいまま箪笥に仕舞ってあった日本的な品物を皆さんに供出して貰いRaffle Ticketの商品とした。又殆ど全ての教会員が心よりボランティアで協力し会員同士の連帯感、信頼関係を築くのに役立った。

和太鼓、生け花、墨絵、盆栽のデモや「やさしい日本語会話教室」、日舞、着物の着付け、コーラス等々数時間ではあったけれど日本文化に接する機会を分ち合う事が出来た事は大変有意義であった。ELCRで進めているMulticultur宣教もこのLCRの日本語部が率先して実行出来たことは多いに価値があると信じる。     愛子 Gordillo記

 

復活ルーテル教会・日本語部

2011年8月7日聖霊降臨後第8主日聖餐礼拝

週報No. 1176〔日本語)

2011 8 7W

週報No. 1176E  ( 英語)

Sunday English Bulletin 1176 E

 

マタイによる福音書14章13-21節

「祈りの時、それは神様と会話する時」“The Time to Talk with God.  That’s the Prayer Time”

今日の福音書は、イエス様の話を聞きたいとイエス様に従ってきた多くの人たちに、5つのパンと2匹の魚を多くに人たちに分け与えた奇跡の話です。ところでこの話の中にどれくらいの人が集まっていたのでしょう。皆さん、もう一度今日の福音書の箇所、それはマタイの14章13節、ページは28ページです。時間を少し上げますから皆さんそのページを開けてください。なんいんとかいてありますか? 5千人でしょうか?本当ですか? では21節を見てください。何とかいてありますか? 「食べた人は、女と子供を別にして、男が5千人ほどであった」と書いてあります。と言うことは、当時のユダヤ人の生活の中で女性と子供は大人の男のような地位がなかったのです。男は家族のために仕事をし、給料を貰って家族を養う者。イエス様の時代には男と女は平等でなかったのです。私の想像ですが、イエス様の話を聞きたいとイエス様の元に来た人たちは女の人、子供も合わせて8千人、9千人位いたのではないでしょうか。そのような数の人たちが食べ物を買いに行ける処もあまりなかったと思います。「腹が減っては戦もできけない」と言う言葉を聴いたことがあります、このイエス様の元に来た人々、疲れて、お腹が空いたと推測します。この福音書には書いてありませんが、ヨハネによる福音書の同じ記事の中では5つのパンと2匹の魚、それはガリラヤ湖名産の燻製の魚を、一少年がイエス様に差し上げたのです。もしかしたらこの少年の両親が、イエス様の偉大なる奇跡の力でこのパンと魚を増やすことができるのではと、少年をイエス様に送ったのでないかと思うのです。さてイエス様はパンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちの渡したのです。弟子たちはそのパンを群集に与え、すべての人が食べて満腹した。ついでに福音書は、残ったパンの屑を集めると12の籠いっぱいになったと書いてあります。

この奇跡がどのように行われたのかといろいろ討論されていますが、ある人はこう言います。イエス様の話を聴きに来た人の中には何か食べ物を持っていた人はいただろう。旅をするのに食べ物を持っていない人があろうか。しかし実際食物を持っていなかった人もいただろう。そこでイエス様がお話になる前、5つのパンと2匹の魚を分け与えたのを見た群集は心を動かされて自分たちの持っていたお弁当をおたがいに分かち与えたのではないだろうか。目のまん前で、お父さん、お母さんと小さな息子が指をくわえて私のお弁当を見つめていたらどうしたでしょう。私、またわたし達の多くは、食べ物のない人の前でそれを分けてあげようと言う気持ちになるはずです。それが人間の思いやりの気持ちであったなら、お弁当を持っていた人達は、食べ物を持っていない人に少しでも分け与えたはずです。もっとも,イエス様は奇跡で5つのパンと2匹の魚を人々が受け取るにあたってそれが増えていったと考えてもいいのです。イエス様は5つの大きな瓶の中の水をワインに変えられた方ですから食べ物の奇跡もあって当然です。

これは少し脱線しての話ですが、私が子供のころ家族で、デパートに行き、お腹が空いたときによくデパートにあった食堂で、食券を買って丸い10ほどの席のあるテ-ブルで五目ラーメンとかトンカツ・カレーを食べたのを懐かしく思い出します。そのころは空いたそのテーブルの席に知らない他人の人も入ってきた。皆さんはそんなこと覚えているでしょうか? それが当たり前だったのです。アメリカの生活の中で他人と同じテーブルで食事をするのは少し抵抗がありますが、東洋人はわりにそのことを気にしません。しかしアメリカ人にしろ東洋人にしろ、お腹の空いている人を見て、その人たちに何かしてあげたいという気持ちになるはずです。

2年前にInterim Pastor として働いていたWhittierのSt. Andrew Lutheran Church で、夜教会の会議がある時はお昼を抜きにして4時半ごろSizzlerというレストランにサラダ、クラム・チャウダー、ウイングの食べ放題のところで1時間ほど食べ続けました。そこには常連の人たちがいて、山盛りのサラダとウイングを私と同じように時間をかけて食べていたのです。後でわかったのですが、この人たちの多くは失業者で、一日の一回の食事をこの食べ放題のレストランでお腹が一杯になるまで食べていたのです。それにしても、一人で食事をするのは切ないですね。私は一人でいることが嫌いです。誰かとともにいるということで元気が出てきます。しかしこの人たちはそこに毎日来ることで、ほかの同じ立場にある人たちと知り合いになるのです。

本当に一人ぼっちでいるのは悲しいことです。だからこそ私たち人間は一緒に話すことのできる仲間、お互いの喜びを悲しみを分かち合えることができる人を探しているのです。

こんなことを言って叱られるかもしれませんが、一年前に亡くなった豊子さん、そしてつい最近亡くなった美代子さん、この教会の会員でした。豊子さんは高塚先生の時にもいらしていました。オテロ美代子さんには残念ながら一度も会う機会がありませんでした。電話では何回か話したことはありましたが、「一度お伺いしたいのですが」と聞いたところ、「訪問はお断りします」と何回も言われてしまいました。ほかの人たちの付き合いもあまりなかったと聞いています。美代子さんの亡くなったニースを聞いて、同じ教会の会員の方を知ることができなかった寂しさと悲しみに包まれました。一人ぼっちで人生の最後を過ごすのは悲しいことです。それと反対に 静子 Genewich さんは日本からのお姉さん、妹さん、娘さん、息子さんの家族、そして毎日のように、そこで励ましの言葉も、讃美歌を歌うこともできた。そして人生の最後の呼吸の時まで、誰かに見届けられた静子さんは本当に幸福でした。それは、静子さんだけでなく、静子さんの家族、友だちである、私たちにとっても大切なことだったのです。

同じように、寂しい時、不安の時、心が落ち着かない時、神様に祈ります。そこで神様が私と共にいてくださっていることを信じます。私の祈りはいつも神様との会話です。そして私の神様との会話の中で、いろいろな質問が出てきます。神様はどうもすぐ答えを出してくださらないのですが、そこで神様に私の心の奥からの会話をする時、神様からの答えがすぐに聞けなくとも、何時か神様が答えをくださるだろうと信じます。

もっとも、その祈りの答えが自分の期待していたことでないことを人生の中でよく経験しました。何で神様、わたしに辛い思いをさせるんだろう、何で長い時間にわたっての心の安らぎ下さらないのか。しかし神様のなさることは私たちにとってわからないことが多くても、ひとつ忘れてはならないことは神様は私たちをいつも愛してくださっている方、その愛は真(まこと)であるということです。

私たちの毎日曜日に行う聖餐式はそこで神様と出会うところです。神様、イエス様に、心を謙虚にして、パンと言うイエス様の体、ワインと言うイエス様の血をいただくことによって、私たちの罪は許されているとの神様の約束の確信をいただくのです。もはや私たちは孤独で生きるものではありません。そこに神様、イエス様が私たちと共にいらっしゃるからです。イエス様を思い出して聖餐式を受けなさいとも言いますが、それ以上私たちから離れることのない神様が、人生の山と谷の中で罪に満ちた私たちを永遠に愛し共にいてくださっていることを知るのです。それは私たちの人生がこの世で終わるまで続き、神様はわたし達をその後、神様の国につれて行って下さるのです。

一人ぼっちでいることは人の間で生きる人間にとってとても難しい。この世でたった二人だけでいたとしても、それはアダムとイブの経験ですが、神様のしてはいけないということを破って禁断の実を食べたとき、自分が裸でいるという恥を始めて知ったのです。それは神様に自分の恥、罪を見破られてしまったということです。

しかし神様はイエス様の十字架の死、そこで私たち人類のすべての罪をしょってこの罪人である私たちすべてを許し、天国での永遠の命を約束されているのです。

多くの教会で修養会をどこか週末泊りがけで行うところがあります。この教会の英語部では年に2回、3泊におよぶ泊りがけの聖書を読む修養会で30人の人達たちはそれによって神様を信じる、愛することがわかってきた、と言う発言をよく聞きます。私はそれは大切なこと、泊りがけの修養会とは言わないでも、お互い、一緒に聖書を読むことによって神様の言葉が、私たちの心を開き、神様が私たちの目の前で見えるようになることがあるのです。聖書を読んでいるうちに神様の私たちへの愛が何と素晴らしいものかと感激して泣き出すこともあります。自分の家にいて聖書を読む時、祈る時を守ることは大切で、時には時間を作ってほかのことに気を使うことなく神様との心の交わりをするのは大切なことです。

新約聖書のなかにあるマルタとマリアと言う姉妹の話を皆さんは何回も聞いたことがあるでしょう。イエス様はエルサレムに来る度にこのマルタ、マリア、そしてこの二人の兄弟であるラザロの家を訪れたのです。この二人の姉妹は性格がとても違い、マルタはお客さんの接待で大変です、家を綺麗にし、料理を作る、そこで,イエス様と話をするどころではありません。「ああ、忙しい、忙しい、大変だ。それにしても妹のマリアは私に手伝いもしないでイエス様とお話をしている。私だけが忙しく働いている」との愚痴をこぼしたのです。これについてイエス様は言いました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアはよいほうを選んだのだ。それを取り上げてはならない。」良い方を選んだとは神様と共にいる時、神様と会話の時を持つと言うことです。神様の御心を聞く、そして神様と心を一つにすることです。毎日の生活の中で、忙しい生活を送っている私たちですが、必要なのは今私たちは神様に生かせれて生活をしている。それは自分だけの利益を見るのではなく、お互いを助け合って生きていくことです。その真ん中で神様、イエス様が私たちに下さった言葉、それは
“Love one another as I have loved you”.「私があなたを愛したように、あなたもお互いを愛し合いなさい」。これ以上に大切な戒めはありません。アーメン。

July 26th, 2011

2011年8月の予定

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                                 2011年8月の予定    

 

8/1~5        Vacation Bible School     LCR

8/418       事務打ち合わせ           100PM   JMオフィス

8/71421                キリスト教101                            1000AM        T.   Hall  

8/9         アーバイン家庭集会          1030 AM    愛子 G.宅 

8/1118            聖書を読む会            10:30 AM   Joyce’s Library

8/14              長崎ツアー説明会          1:30 PM      T. Hall

8/28             カール先生の説教        

              持ち寄りランチ         礼拝後         T. Hall


  

ローマの信徒への手紙8章26-39

「神様の特別な愛」 
“God’s Special Love”

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。

神様はあなたにとって何でしょう、色々な答えがその質問に対して出てくると思いますが、多くの方は神様は愛であると答えるのではないでしょうか? 神様の愛とは私たちにとって計りがたい素晴らしいものです。そこで、今日与えられたローマの信徒への手紙をもとに神様の愛とはどのようなものであるかを4つの話の中で聞いてください。

その前にもう一度今日のローマの信徒への手紙8章の35節から39節を読んでみましょう。だれが、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう? 艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。私たちたちは、あなたのために一日中死にさらされ,屠られる羊のように見られている」と書いてある通りです。しかし、これら全てのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリス・イエスのよって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。

では一番目の話:これは夢の中での話です。皆さん、あなたが神様の裁判所に被告、accusedとして連れてこられたのです。神様はJudge, 裁判長です。そして、サタン、つまり悪魔はあなたの検察官、accuserで, あなたが実際したか、またはしなかったかの罪について裁判を受けているのです。サタンはあなたの罪を目撃した証人を呼んであなたの罪を摘発しました。それを聞いてあなたの心は沈みます。その通り、自分は悪いことをしたと心の中で認めているからです。それは誰かに暴力の手を出したと言うより、誰かの悪口を言った、誰かを仲間はずれにした。親切にしなかった。口もきかなかった。そんなことですが、神様から見ればこれらはすべては罪です。

またそれ以上に検察官はみんなの前で誰かのとったビデオを見せたのです。そのビデオの中でこのあなたが生活に困っている人に出会った時、どうしようかというシーンが出てきました。そして、そのビデオはどうしてか、あなたが心の中で思っていたことが声として出てしまい裁判長にも陪審員にも聞こえてしまったのです。「困っている人はそれは怠慢な人、他人に頼って生きている乞食当然。私にはぜんぜん関係のない、赤の他人」ああ、どうしよう、恥ずかしい、穴があったらそこに入りたいと思っていたその矢先、裁判長は言いました。「これは本当ですか、あなたは隣人を省みなかったと認めますか?」「はい、そのとうりです。何も返答することはありません。私の罪をお許しください」と頭を深く下げたのです。その時、イエス様が夢で現れて宣言なさったのです。「あなたは私を信頼する者。私はあなたの罪の刑を私の十字架の死によってすでに取り去りました」と。先生、これは変な話ですねと言われてしまうかもしれませんが、ポイントは「神様は私たちを愛するが故にイエス様をこの世に送り、私たちの罪を背負って死んでくださったということです。私たちの罪を自分の上に負って死んでくださったイエス様、それはキリスト教の信仰を持たない人には難しい神様の愛の形です。しかしこの愛があってこそ私たちは今ここにイエス様を慕って生きていけるのです。

二番目の話は、ご主人がアル中の奥さんの話です。この奥さん本当にご主人のことで今迄つらい人生を送ってきたのです。しかしある時ご主人、自分の問題に気が付いて奥さんに今までのことを許してくれ、もうこれからはお酒は飲まない、だからセカンド・チャンスをくださいと泣いて語ったのです。奥さん、どうしたらいいのかわからず,牧師さんを訪ねたのです。「先生、私の家族、私の友達は私が主人をそのまま受け入れるなんて、そんなことだめですよと言っているので牧師さんは答えました。「あなたは、まだご主人を愛していますか?」と。「はい、私は主人を愛しています」と奥さんは大きな声で答えました。

その後、牧師さん、こういうガイダンスを奥さんに与えたのです。「奥さん、あなたに覚えておいてほしい事があります。あなたはご主人のjudge裁判官ではありません。ご主人のJury陪審人でもありません。あなたはあくまでもご主人をを愛する奥さんだと言うことを肝に命じてください」と。「そして奥さん、もうひとつ」と牧師さん続けて言いました。「あなたの広い心と愛ですべてを許すという、あなたの寛大さにあなたのご主人は、今までの自分の惨めさで心を痛めるでしょう。ご主人の心の回復はあなたのUnconditional,無条件の愛によってのみ起こるのです」と。

三つ目の話はBetty
Van Dyke さんという人が書いた目の見えない女の子が始めてピエロに出会った時の話です。生まれた時から目が見えなかったこの女の子はピエロと言う人がどんな人か分かるには唯一つのことをしなければならなかったのです。それはピエロに触ることです。

この女の子は両手でピエロの頭を触れ始めたのです。「大きな耳、ボールのような鼻、髪の毛はちょこっとだけ、そしてなんか変な洋服を着ているこの人、なんて変な人なんでしょう」と笑いなら言いました。「なんだか私笑いたくなる、だってピエロさんってとっても変わっているし,声だって普通の人とより子供みたい。ピエロさん、あなたHugしていい?私あなたのお友達になりたいわ」と。この女の子、目でピエロを見えなくても、ピエロさんは子供たちを嬉しくしてくれる人とわかったのです。ピエロさんにHug
して “I love you funny person” と言いました。

この話は私たちが受ける神様の愛を語っているのです。私たちは神様の愛というものが100%はっきりわかりません。しかしイエス様との祈りの中、信頼関係の中に時間が経つ内にそれが分かるようになるのです。コリントの信徒への手紙第一の13章12節の言葉を聞いてください。

「私たちは、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには.そのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は、一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」

本当です。イエス様という神様を通しての愛を今は私たちは完全に分かることが出来ないでしょう。しかしそれが出きるような時がいつか来るのです。今は神様の愛というものを聖書の福音の中、聖餐式と洗礼式、また他の人からの思いやりの中に見出すことができます。ある意味で、私たちは目の見えない女の子がピエロを手で触って「私の前でここにいる人はイエス様です」と言えるかもしれない。しかしそれ以上に、心の中でイエス様と出会う、信仰によってイエス様と顔と顔を合わせて出会う時が来るのです。その時私たちを愛してくださっている神様に愛を持って仕えることが出来るようになるのです。

最後、4っ目の神様の愛とはどのようなものであるかの話はPastor
Valbaracht という人による第二次世界大戦後に経験した話です。

私が兵隊としてアジアに送られた時、娘はまだ生まれて3ヶ月目の赤ちゃんでした。戦場で時々送られた写真で娘の大きくなってゆく様子はわかっていたのですが、娘にとってお父さんの私は箪笥の上にあった写真に過ぎなかったのです。もっとも、これがあなたを愛してるパパなのよと家内は娘にいつも言っていたのですが。しかしお父さんは実際そこにはいないのです。3歳の娘さんがどうしてお父さんの愛を感じることができるでしょうか? 何千マイルも離れて生きている私がどのように娘の愛の対象になるでしょうか? わたしのお父さんは私の家から近くわたしの娘をいつも訪ねていたので、娘はおじいちゃんが大好きでした。お爺ちゃんが、お爺ちゃんとお父さんの二人の役目をしていたのです。しかしそのお爺ちゃんも戦争中に病気で亡くなったのです。

戦争が終わり、3年目に私が家に帰ってきた時、どのように私を受け入れてくれるかの不安がありましたが、娘が、私の顔を見て、「パパ?」と言って私の腕の中に飛び込んでくれた時、私は嬉しくて涙が出てとまらなかったのです。パパとママと娘と一緒に長い間抱き合って泣いてしまいました。嬉し泣きです。

同じようにイエス様は両腕を広げて、彼の胸の中に飛び込んできなさい。私はあなたのお父さんです。そこで私の愛をイエス様の子供である私たちに示しましょう、と言われているのです。

今日の説教は神様の特別な愛を4つの話を持って聞いていただきました。神様の愛は私たちに色々な形でも現れるということを知ってください。そして、どうか皆さん、神様と会話の時、祈りの時を持って毎日を過ごしてください。神様は必ず私たちの中に来てくださるのです。アーメン。

 

マタイによる福音書13章24-30、36-40節

「雑草と麦」“Weed and Wheat”                                                                                                

 私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。

今日の福音書は先週の種蒔きと刈り入れ時の話の続きです。お百姓さんが良い種を畑に蒔きました。しかしその人が眠っている間に、敵が来て麦の中に毒麦の種を蒔いたのです。しばらくすると、麦と毒麦が揃って芽を出しました。毒麦、それは雑草ですが、よく麦と似ている、そこで、畑の仕事を任されていた男は、その毒麦の芽を抜こうとご主人様に申し出たのですが、ご主人は言いました。「一緒に麦と毒麦を収穫の時まで、その儘にしておきなさい。そうしないと、毒麦を取ったつもりで、麦を引き抜いてしまうかもしれない。最後の収穫の時にそれを分けてとりなさい」と。

もし私達が今日の福音書の話しの中にいたとしたら、腐ったりんごはまだ新鮮なりんごから取り除くというように雑草抜きに励んだはずです。しかし、誰か教会に来ている人の中で、この人は教会にくる資格がない、だからその人を追い出そうという動きが出たら、それは教会の中での一番の悲劇です。しかし実際、アメリカのほとんどの教会は50年ほど前まで  “Excommunication” という規定がありました。これは教会員として悪い行為をした人、恥ずかしい行為をした人たちをメンバーの席からはずすという規定です。それはどういうことかと言うと、不道徳な行為をした人、警察に捕まるような悪事を起こした人たちに教会から破門状が出されたのです。5年ほど前、あるアジア人の教会では役員会の会長が、6ヶ月の間教会に出席してはいけないという知らせを受けました。なぜかというと、この人の16歳の娘さんがボーイ・フレンドとの間で赤ちゃんを産んでしまった。それは遺憾であると役員会は会長さんと彼の家族に6ヶ月、教会の行事に参加してはいけないとの通告を出したのです。 これはアメリカの植民地時代によくあったことで、教会はモラルに反したことをする人たちを差別、村八分にする、そういう時代があったのです。モラルを守ろうということは教会としてはっきり言っていいのですが、それを守ることのできなかった人にこそ、神様の赦しと助けをあたえるべきと断言します。人間はみな罪人で、神様の赦しを必要としているのです。クリスチャンと呼ばれる私たちは罪を嫌うのですが、所詮、私たちはみな罪人。ですから、神様の許しと愛を必要なのです。

皆さんの中でアミッシュ、あるいは、メノナイトという昔からの習慣を守って今でも17世紀のような農業生活をしているクリスチャンの人たちのことをご存知ですか? 家内のナンシーの実家はペンシルベニアのこの人たちの住んでいる地域から近いところで、本当にこの人たちの生活を観察してみると昔の世界に戻ったような気がします。まず電気が使えません。家の中で夜の生活はろうそくのみです。自動車も使えません。洗濯機も、冷蔵庫も、電気で動かすものは使えません。畑を耕すのも、動物が鋤を引っ張って行われます。男は成人になると髭を生やさなければなりません。女の人は頭の上にボンネットをいつもかぶり、いつも長いスカートで、ズボンをはくことは禁止されています。彼らはPennsylvania Dutchという特別な言葉を話し子供たちは公立の学校には行きません。自分たちだけの学校があり、読み書き、簡単な算数はそこで習いますが、主な教育は聖書を学ぶことです。

ところで、メノナイトというクリスチャンもPennsylvania Dutch の人たちですが、この人たちは、もう少し文明を取り受けて生活をしているクリスチャンの人たちです。家の中では電気は使えない保守的なメノナイトと普通のアメリカ人のように文明を受け止めて生活する進歩的なメノナイトの人たちもいますがアミッシュとメノナイトはもともと同じ血のつながりのある人たちです。しかしこの二つのグループ、アミッシュとメノナイトがあるひとつの決まりのことで分かれていったという、その背景のうらにShunning という習慣があります。これは英語で、 “Social avoidance” と言い、その意味は自分たちのこの非文化的な生き方を出てアメリカの一般の生活の中に入っていく人たちは、一度外の世界に出たら、もう両親、親戚、つまりアミッシュと言うCommunityにもどることができないと言う決まりです。

つい最近、テレビで、若いアミッシュの青年が、大学にいきたいと言うことで自分の家を出た。そしてGEDの資格を取るために勉強している。しかしやはり自分の家族に会いたいと家の門のところまでいった。そこに家族はいるのはわかっているんですが、彼の家族は出てこないのです。家族にとってこの息子は親も兄弟も捨てたものとみなされているのです。なんと切ない気持ちでなきたくなりましたが、この青年は彼の育った社会を捨てたのです。

アミッシュとメノナイトの一番の違いは一度、家族の者が自分たちの社会から出たらアミッシュは、でた人を戻ってきたいと言っても受け取りません。Forever good bye なのです。メノナイトは自分の子供が家の農業を継いでくれることを望みますが、もし子供が、「私は家を出て都会に言って学校、大学にいきたい。」と言ったとしたら、親は悲しむかもしれませんが、その息子を村八分にすることはしないのです。

なぜこの話を紹介したかと言うと、それは教会と言う私たちの信仰の集まりの中でも長い間、あの人は私たちの仲間、でもほかの人は私たちが付き合うべきではない人たち、と言ってイエス様の元でみんながお互いに一つになって愛し、助け合ってゆくべき教会の中で、私たち、あの人たちと言う、イエス様の今日の話にあるWheatWeed と言う関係を作ってしまうことがあるからです。

聖書の中で、私たちは驚くほど多くの麦と雑草に似た話を読みます。と言うのは、ユダヤ人の位の高い人たちはいつも自分たちは神様から愛されている、神様の戒めを厳重に守っている麦だと信じているのです。その反対に、体の不自由な人、貧乏人、徴税人、のような者たちは、神様から遠い人たち、神様の恵みから離れている雑草だと言うのです.

そのひとつの例をルカによる福音書の18章9節に書かれているもので紹介しましょう。 

「自分は正し人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。「神様、私は他の人たちのように、奪い取るも者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪びとの私を憐れんでください。」言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

私たちは誰でも神様に愛され、よい実を結ぶ者になりたいのですが、時には反対のこと、人を裁くこと、いや、裁くと言うより、私はほかの人よりもっと神様に愛される人になりたいと思うことがあります。それは意識的ではないかもしれない。しかし、自分のことが一番大切と思う私たちは神様に誰よりも愛されたいと思うことがあるのです。

ところで、キリストに従う私たちは、裁かれると言うことをあまり気にしないでいいのです。「イエス様私を許してください」と心の中でいえる私たちはすでにイエス様に愛されているのです。ですから、大切なのは私たちがよく口にする、お互いを愛すると言うこと、お互いを大切にすること、思いやりを持って人間関係を結ぶことです。

私たちの教会の群れは小さいものですが、小さいながらお互いを助けながらイエス様にすがりついて生きているのです。

最後に言いますが、私たちは神様から雑草とは呼ばれていません。私たちは神様の愛を栄養に、神様の御心を行う事のできるようなものとなる麦の実であるのです。私たちの神様からいただいている役目は、すべての人に神様の愛を分ち合うことです。私たち人間は愛し、愛されるために生まれてきたのですよと皆さんにその福音を言葉と行いによって示すことです。アーメン。