2012過ぎ越しの礼拝

LCR日本語部主催の「過越しの礼拝」を伊藤先生がなされてから今年で4年目。伊藤先生が去られても続けてくださいと言うことで英語部も招待してCarl Zimmermann牧師と共同で式を持つこと3年目。昨年Carl牧師が式文を作られてLCR特有の登録済みの式文では2年目。今年は日本部の大黒柱の芙美Liangさんが日本、台湾と旅行されて、アメリカ帰国は過越しの3日前の4月2日でしたが昨年と同じにしましょうと言うことで『ぶっつけ本番』に近いような私たち準備者でしたが、FTFの方二人は必ず補助しますと約束してくださって、それに日本部からも三人助けの手をくださる人が決まっていて、お願いした時間以前に来られて12時に始まる式ですが11時半にはすでに準備は出来ました。

12時にCarl牧師の言葉で始まり、岸野牧師、芙美さん、私とで式を終わり、聖餐式に移り、その後食事になりました。

昨年とほとんど同じ食事

Matzo Ball Soup

肉 チキン

添え物 野菜(チキンと一緒にBakeしたApple, Apricot, Parsnip)

Salad パセリサラダ、ロメインレタス

Dessert Hungarian Walnut Chocolate Torte(小麦粉ソーダなしのケーキ)

昨年Horse Radishを作るのに加えるParsnipの余分をチキンとBakeしたのがよろこばれたのでParsnipをチキンのBakeに加えました。又お米はよく使われるとのことなのでライスピラフを加えました。Dillの香りを一種、カレーの香りと2種類のピラフでした。

参加者の中には始めて「過越しの礼拝 食事」の方がおられて「とても感激した」といっておられた。又中には「50ドルも払ってユダヤ人の過越礼拝食事に出たけれど、食事は少しもおいしくなかったが、この食事はおいしい」と驚いて1回だけではなく数回私の座席に来られて感激に堪えられないような人も居ました。大きい過越しの礼拝はユダヤ人でもケータリングを使ったりするそうです。簡単で美味しいはずですがおいしくないというのは理解しかねますが、3年目、3回の食事を作らせて頂いて「マッツァボールスープを食べたことがあるがおいしいと思ったのはここが始めて」と多くの人が言いに来られました。日本の味噌汁でも旨いのとうまくないのとあるようにマッツァボールスープも人によっておいしく作れない人もいるのでしょうね。

パセリサラダを作るのも3年目ですがその売れ行きが良いことも面白いことです。皆様喜んで食べておられました。Japan Festivalのカレーもそうでしたが,私の料理の腕ではなくイエス様が来られて手でかき回されて味を良くして下さるような気がするのです。

 来年はCarl牧師はKing of Glory(隣の市Fountain Valley にあるルーテル教会)を招待してMaunday Thursdayの夕礼拝を過越しの式にしましょうと云われました。それが過去3年と同じにFull Course MealとなるのかSeder Plate を使っての式だけなのか現在はまだ決定してはいません。でも私たちクリスチャンが受ける聖餐式がここから始まった、歴史をさかのぼり多くの人がイエスの最後の食事を体験することが出来るのはすばらしいことではないでしょうか。

2012411~14日 第11Assembly of the Association of Asians,

and Pacific Islander, ELCAアジア、太平洋各島 米国福音ルーテル教会

総会に参加して!                民 Day

 

初めにこの総会はどういうものかを和訳しましょう。

「二年置きにアジア、太平洋各島出身者のELCA福音ルーテル教会のミニストリーが集合して重要なことを決定するので是非参加されることを期待します。」目的は以下の通りです。

1.    アメリカ在住アジア、太平洋各島 福音ルーテル教会会員として信仰を証す。

2.    私たちが持つ民族特有のギフトをキリストの証人として賞賛する。

3.    神の民として、アメリカ福音ルーテル教会の会員としてユニークな文化を役に 

4.    アメリカ福音ルーテル教会の中のアジア、太平洋各島民会員のコミュニテイーとして全国内の目標,計画を実行し、モニターする。

       アメリカ福音ルーテル教会の会員としてアジア、太平洋各島のコミュニテイーを強化する。


The Assembly

The biennial assembly of Asians and Pacific Islander Ministries is the highest decision making body for Asians and Pacific Islanders in the ELCA.  Thus, your participation in this event is requested.  The purposes of the AAPI-ELCA as stated in its bylaw are:

 

1.      To express the Christian faith from Asian Pacific American perspectives.

2.     To encourage the special gifts brought by the Asian Pacific American community to the witness of Jesus Christ.

3.     To facilitate the full participation of Asian Pacific American members of the ELCA and to the fullness of the inclusiveness and diversity of the 

         people of God.

4.     To facilitate, and monitor the implementation of the National Strategic Plan of Ministries among the Asian and Pacific Islander community in the 

         ELCA.

5.     To strengthen the unity of the Asian and Pacific Islander community in the ELCA.

 

私は2年前にシカゴで行われた時に参加させて頂いたのが初めてです。

シカゴで随分多くの方たちと知り合いになり、今回はMs.Gladys Chowの教会(Christ Lutheran Church, Monterey Park, CA)であることから、彼女に会うことを楽しみに行きました。案の定、彼女はすでに台所でコーヒーやお茶を準備して、また夕食のために忙しく働いていました。彼女はシカゴでも台所に居て全員の食事の準備をしていた人です。私より1才若いだけですが、皺もしみもない赤ちゃんのような綺麗な肌はまさに神様が彼女の働きを知ってのご褒美のように私には見えます。

 

第一日目の水曜日は午後からですが礼拝堂ではすでにピアノやバンドがプレイズ ソングを弾いて大きな声で歌っていました。「讃美歌は常に大きな声で歌いなさい」と言い続けられた藤田先生を思い出します。AAPIのデイレクターのポンサク牧師(これはファーストネームですが苗字は長くて覚えられなくて、誰もがポンサクと呼ぶようです)も藤田先生のように大きな声で何時もプレイズソングをリードしています。その内の一つはポンサク自作の「Jesus the Word」と言うのがあります。

 タイの集まりは体は中位の髪が背中まで伸びている若い牧師が先に立ってバンドをリードしています。彼らのコミュニテイーはぐんぐん伸びて広がっていてミニストリーの数も増えているので『その秘密はなんですか?貴方の長い髪ですか?』と冗談を言われた位です。兎角この牧師の周りにはエネルギーが満ちていて『そばに寄って行きたい』と思わせられるのは本当に神の御手が伸びていると思わせられます。お話では彼は日曜の午後早くから準備をして、7時の礼拝に備えて、礼拝では数多くの歌を歌い、その後礼拝が終わっても歌は続けられて誰も帰りたくなくてやっと夜中の1時に(仕方なく?)全員帰途に向かうのだそうです。多くの人が随分遠い所から来て、着いたら、楽しくて誰も帰りたくないような所に聞こえました。わたしの予想では午後7時に礼拝をすると言うのは多分多くの人が仕事をしていて、その後で教会に来るのでしょう。私もそうでしたが他国からの有色人は他の人が避けるような仕事やらスケジュールやらをして(またはさせられて)生活を保っていきます。多分私と同じように休みも無く週に7日も8日も働いている人もあるのではないでしょうか、でも教会に来るのを楽しみに1週間を過ごしているのではないでしょうか。そして、そこでは悩みや問題を話し、聞いてもらい、歌を歌い、新しい力を得て又次の週の仕事に向かうのではないでしょうか。若い夫婦または母子家庭もいたようでした。子供たちは遊び用のテントの中で朗らかに遊んでいました。教会はその子達には生活の一部のようで何の違和感も無いような様子で遊んでいました。私たちLCRの日本語部は23年前の最初から教会を与えられて、日本の福音ルーテル教会、シカゴの本部から資金が来て幸運なミニストリーだと聞きました。多くのAsians and Pacific Islanders(アジア、パシフィックアイランダー)の会員の多くのミニストリーは全く無から始めてまだまだ経済的には随分苦労が多いと聞きました。でもそういう所の会員たちの顔は喜びに溢れていて、神を褒め称える気持ちを歌にして大声で歌うのです。ある母子家庭の母はテキサスから来ていて、このアセンブリーに参加するのが楽しみで一生懸命貯金をするのだそうです。ほかにもそういう人は多くいるとの事でした。

 話はGladysに戻りましょう。彼女と私は殆ど同じ年、でも彼女は身も体も神への讃美で溢れていて皺ひとつ無い顔は煌々と輝き、証をさせるなら若い人に負けないエネルギーで喜びを語ります。彼女の感謝に溢れた心は彼女をどこのカンファレンスにも出かけさせて、そこで参加者全員(百人、または百人以上?)の食事の世話をするのです。

 こういう人達は聖書を衣と着てイエス様を顔につけて日々を過ごしている人達です。 なんとすばらしい証でしょう。言葉でなく行動で証をしている人達に囲まれた3日間でした。 私たちもこの貧しいグループが二年かけてアセンブリーに参加するために貯金をする態度を学ばなくてはいけないとつくづく思わされました。

 .もう一つ嬉しい事は、78年前に日本語部が無くなるのではないか、と危ぶまれた頃に立ち上がり愛子G. さん、数年前に亡くなられた中内さんを中心に牧師のいない日本語ミニストリーを保ち続けてきた芙美 Liangさんですがそれだけではなく、いろいろな事に奉仕するだけで無く数え切れない大切な仕事, 例えば日本語部と英語部を近づけたFriendship Task Force「友好実行委員会」、Care Connection Net Work、シカゴのELCA, AAPI, または地元の教区との結びつき、日本の福音ルーテル教会との関係保持、述べれば尽きない彼女の働きが認められてアセンブリーの2日目の夜の式で表彰額を授けられたことです。これは故意に額を受け取る人達の名は隠してあったようで芙美さんは名を呼ばれるまで知らないでいましたが、私は少し前に芙美さんの働きを述べる役を頼まれていました。芙美さんの過去8年の貢献した仕事を全部述べようとメモを持っていましたが、ステージに立つとライトはまぶしくて多分あがっていたのでしょう、言いたかったことの半分も言わないでしまいました。(芙美さんゴメン)

 

                       Children’s Blessing Service

                         子供祝福礼拝

 

Lutheran Church of the Resurrection and its Japanese Ministry cordially invite you, family and friends to join us for a special Blessing of the Children worship service on Sunday, May 6 at 11:15 AM.  Just as our Lord readily welcomed small children to his side, this service will remind us that children hold a special place in the heart of God.

 

This service will also recognize and celebrate the role of parents and caregivers in their child’s development and will lift up the need for our children to be nurtured and affirmed.

 

The service, for Christians and non-Christians, will be conducted in both English and Japanese and Pastor Kishino’s  message will be delivered in conversational English.

 

We also hope that you will join us for lunch immediately after the service.

 

For more information please call the church at 714-964-1912 or Pastor Kishino at

714-401-9457.

 

We look forward to welcoming you and your entire family on May 6 at 11:15 AM as we bless our children with the love and compassion of God.

 

春らしい季節となりました。草花がすくすくと伸びるこの季節に、復活ルーテル教会日本語部では、「子供祝福礼拝」を行います。是非ご家族、お友達もお誘いの上「子供祝福礼拝」にお出で下さるようご案内いたします。

礼拝は、5月6日日曜日の午前11時15分から始まります。私達の主が幼子を快く身元に招いたように、全ての子供達が神様にとって特別な存在であることを、礼拝を通して覚えたいと願います。また、子供達の為に日夜全力を尽くしているご両親並び保護者の皆様を覚え、子供達が、神様の守りと愛の中でしっかりと成長して行くようにご一緒にお祈りいたします。

 

クリスチャンでない方もこの特別な礼拝にご出席下さるようお待ちしています。当日の説教は岸野牧師の簡単な英語によるメッセージです。又、礼拝後の昼食会にも是非お残り下さい。

 

詳細は、下記の復活ルーテル教会日本語部、又は岸野牧師までご連絡下さい。

 

復活ルーテル教会・日本語部

9812 Hamilton Avenue

Huntington Beach, CA  92646

日本語部直通電話:714-964-1912

email: jministry@lcrhb.org

主任牧師:E. Carl Zimmermann

日本語部牧師: 岸野豊

岸野牧師携帯:714-401-9457

牧師・教区長補佐:安達均

website: california.lcrjm.com

May 2012 Calendar

 

 

2012年5月のCalendarを掲載いたします。

家庭集会は未だ未定ですが予定として記しました。

週報通算#1207号 (日本語)

2012 4 8W Easter

週報通算#1207号 (英語)

Easter Sunday Bulletin 1207E

 

マルコによる福音書 16章1-8節「全てを変えた出来事」“That Changed Everything”

私たちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。アーメン。

人間の歴史の中で、あの出来事は全てを変えたと言われたものが沢山ありました。例ば、火、それはFireです。その火が稲妻から出てきたものか、あるいは火打石のような物から出てきたか分かりませんが、人間はすべての生き物の中で最初に火を起こす事を発見したのです。何万年、何千年も前、洞窟で寒い夜を過ごしていたのですが、火を起こすとによって暖かく過ごせる、また料理の仕方も変わったわけです。火の発見と使い方は私たちの生活の全てを変えたのです。時がすぎ、人間が発明した道具の一つは丸い木で出来た車輪です。車輪は、物を動かす時に便利な道具であり、それが馬車、自転車、自動車のタイヤと発展していったのです。車輪の発明は私たちの生活を変えました。仕事が楽にできるようになったからです。15世紀にはグーテンブルグという人が初めて印刷機を発明したのです。それまでは文章を出版するのは紙に手書きで書いていたのです。マルチン・ルターは宗教改革を始めた人でしたが、聖書は数が少なく、それらは皆手書きだったのです。ルターはこのグーテンブルグの印刷機を使って、初めてのドイツ語の聖書を出版したのです。それ以来、印刷機は私たちの生活の中で欠かせないものですが、世界の中で印刷機ほどCommunicationを広めたものはなかったでしょう。

私は日曜の夜から木曜日にかけて次の日曜日の説教を準備します。牧師さんの中には一晩で説教を書き上げることのできる人、また休暇をとって1ヶ月、2か月分の説教を書くことのできる牧師さんがいることを知ってますが、今私がこの説教を書いているのは4月6日の夜、9時です。これも一昔前のことですが、説教を書くにあたって初めのころは紙に書いていたのです。しかしそれを何度も読み直してみて、これは良くないと言うところがあれば、消しゴムでそれを消してその上に書き直した文章を入れたのです。

英語で文章を書く時は、タイプライターを使いましたが、日本語ではそれもなかった時代が1984年まで続きました。では1984年に何が出てきたのかと言えば、Personal Computer です。それは、Steve Jobs が Apple と言う出来立てほやほやのコンピュターの会社で発売したLisaというpersonal computer でした。IBMも負けずにPCと言う名前でPersonal Computer を出し、それ以来、私たちは今、computerなしで生活をしていくことが出来ません。

同じように、エジソンの初めて作った電球、ヘンリー・フォードの初めての自動車、ライト・ブラザーによる初めての飛行機と、世界を変えた発見、発明が私たちの生活を変えてきました。前置きが長くなりましたが、世界の中で一番、影響を与えた出来事とは何であったかと言うと、これは私の、そしてクリスチャンとしての発言ですが、それはイエス・キリストの誕生と十字架にかかって死んだ歴史的な事件です。イエス様の何が私たちの人生の歴史の中で重要なことかと言えば、十字架にかかって死んだイエス様が、甦えられたことです。

その前の金曜日にユダヤの宗教、政治家によって十字架にかかって死んだ、いや、殺されたイエス様の死体に、油と香料を塗るために婦人たちは、イエスの墓に行って見ると墓の石はすでに転がされていたのです。福音書のこの記事によると、墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いたと書いてあります。そして、そこにいた若者は言ったのです。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。もし皆さんが、その場にいたとしたらどう思ったでしょう。

「イエス様は復活された」。その言葉と出来事ほど 私たちの世界の中で大きな影響を及ぼしたものは他にないでしょう。2千年以上前に「イエス・キリスト」は死人のうちよりよみがえられたと叫ばれたその言葉は今ここでも言い継がれているのです。それは過去に起こったと言うだけではなく、今現在私たちが聖霊に導かれて宣言のできる信仰の告白です。キリスト教の信仰を一言で言うなら、「イエス様は死んで、3日目によみがえり、今生きておられるということです。今生きていらっしゃるイエス様と共に歩むことのできるわたちたちにとってこれほど勇気と希望を与えてくださるものはありません。イエス様の復活は私たちに神様は愛の神様、平和の神様、哀れみと許しをおあたえになる神様、そして、私たちを決して離れることも見捨てることもしないと約束された神様です。

この神様、イエス様はどこに住んでいるか皆さんご存知です。そうです、神様は私たちの中に住んでいらっしゃるのです。神様はどこか遠くにいる方ではなく、私たちの中、私たちの心と精神の中に住んでいるのです。また二人、三人と集まるところに、神様は私たちと共にいてくださるのです。ですから、神様は決して遠くにいる方ではなく、わたしたちのみじかなところにおられるのです。

イエス様の復活の出来事ほど世界を変えたものはありません。それは御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。しかし、私はイエス様を信じる者のみが神様のもとにいくことができると言う言い方に抵抗を感じます。まだイエス様の愛、イエス様の愛を経験したことがないと言うひとはたくさんいます。 日本ではキリスト教を受け入れた方は人口の10%もいないのです。かといって日本人は神道か仏教かと言われても、果たしてこれらの宗教の教えをはっきり把握しているでしょうか?神様とはどんな方、神様を信じるとは、私にとってどんな利益があるのでしょうか?

過去10年、わたしは毎年日本に1週間から10日にかけて帰えります。母の様子を見に行くのが第一の目的ですが、小学校時代の友達、高校生時代の友達、大学時代の友達とも会う機会を持ちます。そこでカラオケにも行きますが、このごろはお互いの人生について語り合う、将来への希望、不安なども話し合うのです。まず、毎年最初に聞くことは80歳半ばの友達の両親の健康状態、これからどのようにして両親を見守ってゆくか、ということです。また私の友達の中には、60歳を迎えて退職し、年金で暮らしている同級生も沢山いるんです。そして前には考えられなかったことですが、話のなかに出て来ることは、お互いの残された生涯をどのように生きていったらいいだろうかと心の奥底にしまってある思いをさらけ出して語るのです。友達の一人からこう聞かれました。「おい、岸野、お前さん、牧師だろ、人の命ってどんなものか教えてくれよ。俺、若い時、会社の仲間と毎晩酒を飲んでた。肝臓を壊して、その上、糖尿病でこの頃は食事の制限までされている。3年待って退職するべきか、それとも今会社を辞めて体に楽なような生活をしようと思ってるんだけど、どう思う? かみさんと子供たちからも、「お父さん、自分の体は自分の心の持ち方から始まるんだと言われているんだ」。彼は今度は涙を流して、私の手をとり、言いました、「俺のこと、馬鹿と思われてもしょうがない。でも祈ってくれよ」。彼は今からでもいい。もう一度人生のやり直しをしたいと真剣の思っているのです。誰か神様と言う人を信じたいのです。残された人生を今までの生活からUターンしたいのです。そこで、神様と言う人生の助け、人生のガイド、喜びも、悲しみも、つらい思いを聞いてくださる方が必要になのです。

さてこのキリスト教の一番大切なイースターの日を迎えて、イエス様とはどのような方であるか、もう一度考えてみたいと思います。イエス様は偉大な教師、預言者、そして私を含めキリストに従うものにとって救い主、主なる神様です。聖書によれば、イエスは処女から生まれ、罪のない一生を送り、3年間ユダヤの民の中で暮らし、教え、ユダヤの宗教家、またローマの植民地の監督であったポンテオ・ピラトの下で十字架につけさせられ、陰府に下り、3日目に甦り、天に昇り、全能の神の右に座した方です。

聖書にはイエス様の誕生の何百年も前に、預言者たちは彼が現れることを予言していました。千五百年という長い年月にわたり、多くの著者によって書かれた旧約聖書には、3百箇所以上、イエス様に関係する預言が含まれています。奇跡的な誕生、罪のない生涯、多くの奇跡、死とその死からの開放です。それらすべての預言が真実となりました。イエス様は、自ら、罪を赦す権威があること、悪魔を追い出すことができると主張しました。さらに、自分と神は同一であると公言したのです。神であると宣言したことは、当時の宗教家や、政治指導者を激怒させるに十分でした。そして、彼らはイエス様を、十字架にはりつけにしたのです。イエスは墓に葬られ、その3日後、死から甦ったのです。

キリスト教はイエス様の復活なしには存在しません。もし死からの復活が起こらなかったのなら、キリスト教信者の信仰は嘘に基づくものとなってしまいます。永遠の命への希望は、根拠のないものとなってしまいます。しかし、復活が事実でならば、私たちはイエス様を救い主、そして神として受け入れることが出来るのです。

何世紀にもわたって、イエス様の復活の証拠を研究してきた偉大な学者のほとんどが、今でもイエス様が生きていると信じています。地上での人生と、死後永遠に続く人生は、『あなたにとってイエス・キリストとは?』と言うこの問いに、どのように答えるかによって変わってきます。どうかイエス様があなたに与えようとしている人生が何であるか、それを見出し、その中で永遠に続く神様からの祝福をください。アーメン。

 

 

マルコによる福音書15章1-37節

「パッション・ウイーク」とはなんですか?

 

私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。

今日は教会の暦で枝の日、または英語からの直訳で、棕櫚の日曜日と呼ばれています。今日から来週の復活祭にかけてクリスチャンにとっては一番大切なHoly week、あるいは、Passion week とも呼ばれています。

しかしイエス様と共に神の国の伝道に携わってきた12弟子にとってこれほど憤を感じた、希望を失った、また悲しみと絶望の思いにしたった時はなかったでしょう。かれこれ3年間、イエス様と共に行動をしてきた弟子たちはエルサレムに上り、そこで先祖が毎年守っている過ぎ越しの祭りに参加するのは当然と思っていたでしょう。イエス様は今までに群集に神様の国について語られてきました。それは一番貧しい、肩身の狭い、心の貧しい者こそが最初に神様からの愛の対象になるというのです。それて神を愛するとはお互いを神様の精神を持って会い、助け合うことだと教えられたのです。生まれがどうのこうの、どれだけ財産がある、教養もある、学歴もあるはイエス様、また神様のもとでは “So what”、大切なのは隣人を自分が自分を愛することができるように愛し合いなさいと言うことです。

12弟子の中にはまたユダヤの愛国心に燃え、ユダヤ人の国はユダヤ人で治めたいと思っていたそういう人が何人もいたはずです。それらの弟子は、熱心党という独立開放派との関係を持っていただろうし、イエス様が政治的な解放者であることを望んだのです。しかしイエス様はユダヤ人の開放は政治的より、罪からの開放、神様からの恵みに満ちた人生をお互いがお互いを助け合う中で、神様からの祝福を受けながら生きるということこそが救いであると教えられたのです。

ある人が私にこう言いました。「神様が全能の神様であるならば、何故神様の力でローマ人を追放し、ユダヤ人が将来ずっと平和で幸福な国として続けることをきめなかったのですか」。神様はそれができる方であるのですが、それでは私たちは操り人形と同じです。そうではなく、神様は私たち一人ひとりに神様の愛を心の中に育て、その愛により、世界が一つになってお互いを助け合う世界を願われているのです。

イエス様はユダヤの宗教家によって有罪の判決を受けられました。群衆もそこに加わって、Crucify him, Crucify him と叫んだのです。ユダヤ人は死刑の宣告を出すことが法律で禁じられていましたから、ユダヤの地でローマ帝国の総督であったポンテオ・ピラトの下にイエス様を有罪として処刑するように求めたのです。初め、ポンテオ・ピラトは処刑の宣告を断りましたが、それをしないあなたは私たち味方ではないと言われ、イエス様を十字架による処刑との命令を出したのです。

毎日曜日の礼拝の中で、皆さんと共に宣言する、使徒信条の中にポンテオ・ピラトの名前が出てきます。「主は聖霊によりて宿り、乙女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトの元に苦しみを受け、十字架につけられ、死に葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り、天に登り全能の父なる神の右に座したまえり」

はっきり言って、イエス様を十字架に送ったのはポンテオ・ピラトだけではありません。私たち一人ひとりも神様からの戒律、特に十戒の一つでも破る時、それは大きな罪でも、小さな罪でもイエス様の前では同じで、神様から裁かれるはずなのです。しかしここにキリスト教での大切な神様の愛が法律、戒律をのり越えて、私たちに与えられているのです。イエス様ご自身がすべての人間の罪を背負って死んでくださったのです。

私たちの罪を背負って死んでくださったイエス様は、私たちを赦し、救い、正しく生きるようにと聖霊に導かれて生きる人生を約束されているのです、最後に、次の言葉を聴いてください。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

イエス様は私たちに祝福された王国を約束されているのです。しかし、それは私たちが思っても見なかった姿で来るのです。その国には国境がありません。ユダヤ人とか異邦人と言う差別もありません。その王国では肌の色の違いも人の差別の対象になりません。アメリカ人、ロシア人、日本人、ドイツ人、中国人、アラビア人、ブラジル人、と世界のいたる国の人たちも皆平等です。その神様から私たちに約束されている王国は終わりがなく続く天国です。私たち一人ひとりが行き着く永遠に続く神様の国です。

この受難節の最後の週に、イエス様をめぐっての沢山の出来事があります。この週にイエス様は神殿を清めました。また、イエス様はこのユダヤの神殿が、外国人によって倒されることを予告したのです。確かに紀元後66-70年ごろにイスラエルのに建てられた2回目のエルサレムの神殿が破壊されました。この週にイエス様は弟子たちに迫害が襲い掛かることを語りました。この週にユダヤの宗教のリーダーによりイエス様が逮捕される。それは、イエスさまが、弟子の一人であるユダにより裏切られたからです。イエス様は、弟子たちと最後の過ぎ越しの祭りを祝い、その過ぎ越しの祭りの儀式をイエス様が私たちといつも共にいるという聖餐の儀式に変えてくださいました。ペテロが鶏の鳴く前に3度イエス様を知らないと言われました。

イエス様はローマの総督の命令で鞭打たれ、自分がかかる十字架を背負ってイエス様は十字架につけられる、イエス様は7回短い言葉を十字架の上から語られました。一つの言葉を見てみましょう。これは4つの福音書から出てきた言葉で、最初に、「父よ、彼らを赦してください。なぜなら、彼らは何をしていいかわからなかったからです。(ルカ23:43)死んだイエス様の死体をヨセフという人が受け取り墓に入れた。これでイエス様の生涯が終わりとなると思われたのです。

2番目の言葉は、「あなたは今日わたしと共にパラダイスにいます。」(ルカ23:43)しかしこれがイエス様の最後でないことは皆さんが御存知のとおりです。来週の日曜日はキリスト教会で一番大切なイエス様の復活日です。その前の金曜日はイエス様が十字架にかかってなくなった日でした。しかし全能の父なる神はイエス様を甦えらしてくださったのです。アーメン。

3番目の言葉は、「そこにあなたの子がいます」「そこにあなたの母がいます」(ヨハネ19:26-27)の言葉で、イエス様が、弟子のヨハネにはマリヤを支えることを依頼したのです。これによりヨハネがマリヤを引き受けることになったのです。

4番目の言葉は「わが神、わが神、どうして私をみすてられるのですか」(マルコ15:34)これは、罪人の裁きを受けたことを表す叫びの声です。

5番目の言葉は、「私は乾いている」 (ヨハネ19:28節)で、イエス様は、これを言ったことで、聖書の言葉を成就したのです。

6番目の言葉は、7番目の言葉はイエス様が「すべてが終わった」と言って、イエス様が旧約の言葉に従って死によるすべての信仰者に罪を赦す技を完成させたと言う意味です。

そして最後の7番目の言葉は、「父よ、私の霊をあなたのみ手に任せます」と言って息を引き取ったのです。

イエス様の遺体はアリマタヤのヨセフと言う人がポンテオ・ピラトの元に行き、死体を要求し、岩を掘って作られた墓に収め、墓の入り口に石を転がして閉じたのです。

この時点でイエス様の甦りを信じていた人たちはどれだけいたでしょうか。しかしこれも旧約聖書の中にすでに予言されていたのです。

3日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、父なる神の右に座したまえり。イエス様の甦りがなくては私たちの信仰もむなしいものです。しかし聖霊によりて私たちは神様から信じることができる霊、Spiritを受け継ぐことができるのです。アーメン。