今週は詩編18編読む。この詩編は119編(176節)、78編(72節)に続いて3番目に長い詩編。そこで、新共同訳聖書では、1-4節および21-31節だけを読む。いつものように気になる言葉は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。

詩編18編 
1:【指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。主がダビデをすべての敵の手、また、サウルの手から救い出されたとき、彼はこの歌の言葉を主に述べた。】
2:主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
3:主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。
4:ほむべき方、主をわたしは呼び求め/敵から救われる。

21:主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。
22:わたしは主の道を守り/わたしの神に背かない。
23:わたしは主の裁きをすべて前に置き/主の掟を遠ざけない。
24:わたしは主に対して無垢であろうとし/罪から身を守る。
25:主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。
26:あなたの慈しみに生きる人に/あなたは慈しみを示し/無垢な人には無垢に
27:清い人には清くふるまい/心の曲がった者には背を向けられる。
28:あなたは貧しい民を救い上げ/高ぶる目を引き下ろされる。
29:主よ、あなたはわたしの灯を輝かし/神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。
30:あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし/わたしの神によって、城壁を越える。
31:神の道は完全/主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に/主は盾となってくださる。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、3節にある「岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ、盾、救いの角、砦の塔。」

詩編作者の立場を思って、今週の詩編を読んでいきたい。1節にある言葉から、ダビデがピンチに立たされたが救い出された時に歌ったものであることがわかる。そして、実はこの詩編、サムエル記下の22章に、ほとんど同じ言葉で記されている。聖書は結構重複しているところがある。さて2-4節では、長い詩編の冒頭に、「私の力である主を慕う。主は、たとえるなら、私の岩、砦、逃れ場、神、大岩、避けどころ、盾、救いの角、砦の塔である。だから主を賛美し、私は主を呼び求め、その主がわたしを救い出してくださる。」と詠う。ダビデが主を慕い、賛美する理由を、「岩」以下「砦の塔」までさまざまな物にたとえて、短く詠っている。そして5節以降では、そのようなたとえをさらに多岐にわたって表現していこうとしているようだ。21節から25節では、ダビデ自身の主に従う行動基準とそれに報いてくださる主を表現している。「わたしの正しさに報いてくださる。手の清さに応じてくださる。わたしは主の道を守り、神に背かない。わたしは主の裁き、掟を近くに置いて行動する。わたしは主に対して純粋で、罪から身を守る。主はわたしの正しさに応じてくださり、主の目に対してわたしの手は清い。」また26節から28節では、「わたし」という表現はなくなり、ダビデだけに限らず、主に従う人々やそうではない者にも対象を広げて表現しているのかと思う。「主は慈しみに生きる人に、それを示し、純真な人には純真に、清い人には清い。心の曲がった者には背を向け、貧しい民を救い上げ、高ぶる目を引き下ろす。」そして、29節30節では再び「わたし」という言葉が登場し、ダビデ自身の体験談のイメージだと思う。「主はわたしのランプをより明るくしてくださり、闇の中でも歩めるようにしてくださる。主がいてくださるから敵軍を追い散らし、また敵の城壁をも越えることができる。」31節になると、また「わたし」という表現を使わずに、「神の道は完全、主の命令は炎のかたまりのようなもの。主のもとに身を寄せる人には、盾となってくださる。」

この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせてみたい。24日の聖日に与えられているマタイ16章13-20節では、イエスは弟子たちに「あなた方はいったい私を誰だと言うのか?」という質問をしている。その応えを、紀元前1000年ごろダビデが詠っていたようにも感じる。そして、わたしたちは、この賛歌を参考に、ひとりひとり、詩編18編の個人バージョンを作詩するように導かれているのではないだろうか? その時、ダビデが3節で詠ったようなたとえ、いやさらに広がりのあるたとえも良いと思う。しかし、イエスが私たちの罪を背負って十字架に架かった方なので、それらのたとえが自分勝手で私利私欲ではないように注意したいと思うが。 アーメン
安達均

マタイ 15:21-28

主の恵みと平安が集まった会衆に注がれますように!

79年から80年ごろに大ヒットした曲で、「異邦人」という曲がある。シンガーソングライターで歌っていた歌手の名前は、久保田早紀さんという方。
音楽専攻の大学生だった彼女に、突然と歌詞とメロディが浮かんできて、異邦人を作ったらしい。ちなみに、彼女はクリスチャンではなかった。大ヒットした「異邦人」はメロディはやや暗い感じ。歌詞の内容は失恋。 
ある人を好きになったらしい、片思いであり、彼女の思いは彼氏から振り返られなかったという哀しみの歌。とにかく聞いてみよう。(演奏) 
一番の歌詞の終わりは、「あなたにとって私、ただの通りすがり。ちょっと振り向いて見ただけの異邦人」 と歌う。 そして、二番の歌詞の終わりは、「あとは哀しみもて余す異邦人、あとは哀しみもて余す異邦人」とくりかえし、「哀しみだけが残る」という歌詞。 

さて、久保田早紀さんの話をしたところで、福音書の内容に入っていきたい。しかし、今日の福音書の前半部分は、福音と言えるのかどうか、考えてしまうような内容。 聖書の箇所、最大のフォーカスはイエスと異邦人との関係。イエスはユダヤ人だった。そして、登場している女性はカナン人。 
イエスと弟子たちは、ティルスとシドンに旅をする。 そこはイエスと弟子たちにとっては、あきらかに異邦人の町。そして、登場するカナン人女性もイエスにとっては異邦人である。 
その彼女には、ひどい病にかかった娘がいた。彼女には、もう頼るべき人はいなかった。そして、ガリラヤ湖周辺で多くの人々を癒し救っていたイエスのうわさを聞いていたのだろう、彼女はイエスに頼めば助けてもらえると必死になってイエスに会いに行く。
そして、イエスとその弟子たちを見つけ、ついて行き、次のように言う。「主よ、娘が悪霊に苦しめられています、この私を憐れんでください。」とお願いする。しかし、イエスは、なにも応えない。 それどころか、弟子たちからは、「この叫びながらついてくる女を早くおいはらってください。」とまでせかされてしまう。 

そしてイエスは、はじめて言葉を彼女にしゃべる。「私は迷う羊、イスラエルの民の元にしか遣わされていない。」いったいイエスは何ということをおっしゃるのだろうかと思ってしまう。しかし、彼女はイエスを拝み、「主よ憐れんでください。」と嘆願する。 
それで、イエスは2回目の返答をする。「子供たちのパンをとりあげて、犬にやってはいけない。」と。。。 何という発言だろうか? 子供たちとは、イスラエルの民のこと。そして、子犬とは異邦人のことを指す。 差別発言とも言えるかもしれない。
しかし、イエスに頼るしかない女性の現実があった。それこそ、ここであきらめてしまっては、悪霊にとりつかれた娘との生活は、哀しみの連続に陥るしかなかった。そこで、彼女はイエスの言葉を逆手にとり、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」という。
どうしようもない状況に追い詰められていた彼女には、異邦人であろうが、主の憐れみ、主の救いは、受けられるはずだという強い信念、ゆるぎないイエスへの信仰が彼女の中に確立されていた。
そして、イエスは、最初は無視した上、二回目も、ひどいと思われてもしかたのないような言葉を言われたのに、彼女のゆるぎない信仰告白を聞き、180度態度を変えられる。そして、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」と言われ、その時点で、娘の病が癒されるということが起こる。 

さて、この話、今日私たちに、神は何を語っているのだろうか。イエスもユダヤ人、弟子たちもユダヤ人というグループで行動しているなかで、イエスも含めて、まず、福音、神の救いは選民と言われるユダヤ人に与えられるという考えがあったことは事実なのだと思う。 
しかし、同胞たちへ、「神の国は近づいた。」といって伝道しても、ユダヤの指導者たちや、イエスの子供時代から知る人々への伝道は難しかった。 しかし、優先順位が低いと思っていた、異邦人の中に、イエスの救い主とする信仰を表すものが登場してきた。 今日の福音書にあった、カナン人の女性や、ヨハネ4章にある、サマリア人女性も、イエスを救い主とした。 
長い歴史で見るならば、ユダヤ人の数を上回る、とてつもない数の異邦人たちがイエスの信仰者となった。 ユダヤ人からはじまったキリスト教会であるが、異邦人であろうがユダヤ人であろうが絶対なる神、主イエスからの救いを受けられるという信仰が確立し、それがユダヤ民族から始ったキリスト教会を様変わりさせたということが言えるのではないだろうか。 

先週の金曜には、第二次世界大戦が終了して69年が過ぎ、70年目にはいった。しかし、異国間、民族間の間で戦争が繰り返されている事実がある。 異国で育った人々と、また異なる民族と、どのように接するか。 自分とは異なる国や文化で生まれた育った人々と、どうつきあうか、また異なる宗教を信じる人々と、どうつきあうかは大きな課題である。今一度、異邦人であろうが、主の救い、憐れみを受けられると確信したカナン人女性の姿に学べるところがあるのだと思う。
最後に最初に紹介した、久保田早紀という女性について、もう一言述べておきたい。日本人の彼女からは、異邦人が大ヒットした後は、これといって、ヒット曲は聞かなかった。しかし、最高のGood News 、3年後には、彼女自身がイエスから見れば異邦人ではないということに気づいた。そしてキリストを救い主として受け入れ、洗礼を受け、クリスチャン歌手としての地道な活動をしているそうだ。 
この世の中に、失望してしまうようなニュースがたくさんあるが、しかし、父と子と聖霊なる唯一の神が、国籍、民族、文化にかかわらず、私たちを救いだしてくださる。 主イエスキリストにあって、私たち異邦人は、異邦人だからといって、主の愛が受けられないということは全くない。民族や国籍にかかわらず、イエスの信仰を通して、主の憐れみを受け、喜びの人生を歩むことができる。私たちは決してイエスからみて外国人だから関係が無いとか、キリスト教は外国の宗教だということではない。 日本人にも世界のどこに住むどこの国籍の方々にも、主にある平和をひたすら願い祈りつつ。アーメン
安達均

“Despite Being A Foreigner”
Matthew 15: 21-28

May Grace and Peace be poured into the hearts of the people gathered in this sanctuary!

About 35 years ago, in Japan, there was a great hit song called “A Foreigner” by singer songwriter Saki Kubota.
At that time she was a music major in college and was not a Christian, FYI. The story goes that the poem and melody suddenly came to mind and she wrote this song. This is a sad tune and is a song of heartbreak.
Let’s listen to it: (first 2 minutes only. https://www.youtube.com/watch?v=Xo7bTmN6THw )
Although the girl loved a guy, it was one sided and her love was not returned by him. The last line of this song is “when you told me I am just a foreigner.”

From here, I want to talk about the Gospel today but I am not sure if the first half of the Gospel text is really good news or not. For me, the focus of the story is the relationship between the Gentile woman and Jesus.
Jesus and the disciples were traveling around the regions of Tyre and Sidon. These regions were obviously foreign to Jews. The Canaanite woman, a foreigner to Jesus and the disciples, appeared before them.
Her daughter was possessed and tormented by a demon; as a mother she was desperately concerned about her child. There was no one else whom she could ask for help. Therefore, she thought her daughter could be healed by Jesus, since she heard that many people were saved by Jesus in the regions around Galilee.
She could see Jesus and the disciples and said, “Have mercy on me, Lord, Son of David; my daughter is tormented by a demon.” However, Jesus did not respond, at first, to the foreign woman’s plea. Not only did Jesus remain silent, the disciples urged Jesus, “Tell her to go away. She is bothering us with all her begging.”

Then Jesus started saying a few words to her: “I was sent only to help God’s lost sheep—the people of Israel.” What? Can you imagine Jesus said such a thing?! But she came and worshiped him, pleading again, “Lord, help me!”
So Jesus spoke after the second response. “It isn’t right to take food from the children and throw it to the dogs.” What does this sentence mean? Based on the context, the children are Israelites and the dogs are Gentiles (i.e. foreigners). At first glance, this is an unkind thing to say.
However, for the Gentile woman, talking with Jesus was her only option. Therefore, she still believed Jesus could do something for her daughter. So, she used Jesus’ own words convincing him to help and responded to Jesus, “That’s true, Lord, but even dogs are allowed to eat the scraps that fall beneath their masters’ table.”
She already had firm belief, whether you were Gentile or Jew, you can receive God’s mercy and grace. She showed her unshakable faith to Jesus.
Jesus’ first and second responses were seemingly discouraging. However, Jesus saw her determined conviction and his third response was 180 degrees different from his previous responses. He said, “Your faith is great. Your request is granted.” And her daughter was instantly healed.

What is this story telling us today 2,000 years after Jesus had this conversation with the Canaanite woman? Jesus was a Jew and all his disciples were also Jews. They were colleagues who shared the same culture and spoke the same language. I think it was true that they thought that the Jews would be saved first since the Old Testament taught them that they were the chosen people.
However, even if they proclaimed that the kingdom of heaven is near, the Jewish leaders and people who also knew Jesus since childhood could not and did not believe that Jesus was the messiah. However the reality was Gentiles, like the Samaritan woman or today’s Canaanite woman first believed Jesus was the Lord and Savior.
If you looked at history from a perspective of a span longer than 2000 years, a tremendous number of Gentiles, rather than the Jews, had the conviction first that you are saved through the faith of Jesus Christ. Therefore, although the Christian Church was born in Israel and it was started in the Jewish community, Gentiles greatly changed the demography of Christian Church. Almost 2 billion people (out of 7 billion) now have faith in Jesus Christ. Two billion is a big number but it is still less than 30 percent of the world’s total population. Also, there are always new generations born into this world. Therefore it is critically important to pass on the Christian faith to the next generation.

Just this past Friday, August 15th was the 69th anniversary of the end of World War II. However, we still experience tensions and wars among different nations, races, and religions. It is a huge task learning how to relate with the people from different countries and cultures or who have a different faith than you do. I think we can still learn from the Canaanite woman.
Let me conclude this message by sharing what singer songwriter, Saki Kubota is doing now. After she released the song “A Foreigner,” she never released another similar pop song. However, her story does not end here and there is something exciting to share.
As I said in the beginning of this message, she was not a Christian at that time, but three years later, she realized that she was not just a foreigner to Jesus Christ. She accepted Jesus as her Savior and Lord, was baptized, and became a Christian singer songwriter. She has worked hard, ever since, as a Christian singer sharing the good news and proclaiming His unconditional love to others.
Even though we experience and face tough situations in our daily lives, there is one God, Father and Son and the Holy Spirit, who saves us, regardless of our nationalities, our cultural backgrounds or our race. We receive salvation, grace and joy from Jesus, despite our differences, because we are all God’s beloved children. We are never foreigners to Jesus. Amen.

復活ルーテル教会は、今年で50周年を迎えました。今年行われるジャパンフェスティバルは50周年記念行事の一つとして行われます。9月20日土曜日の午後1時から5時半まで、楽しい催し物を沢山用意しています。先ずはこのフライヤーをご覧下さい。

2014 Japan Festival Flyer (Japanese) 

FTF 2014 Golden Japan Festival Flyer

 

来週は日本語部の信徒会が軽食後に行われます。9月20日土曜日に行われるJapan Festivalそして9月28日に行われる     召天者記念礼拝について話し合います。行事案内のカテゴリーで、両行事のご案内を紹介させていただきます。       是非ご覧下さい。

2014年8月17日LCR日本語週報通算第1319号

2014年8月17日の週報

August 17, 2014 LCR Japanese Ministry Bulletin

Sunday English Bulletin 1319E

今週は詩編87編を読む。「詩編を読もう」のコラムに何度か書いて来たが、読んでいる詩編は、次の主日に与えられる福音書個所と関係がある。17日の日曜に与えられている福音書はマタイ14章22-33節で、ユダヤ人ではない異邦人(カナン人)女性と悪霊にひどく苦しめられていた娘が、主イエスによって癒され救われる話である。では、87編を読み、いつものように気になる言葉は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。

詩編87編 
1:【コラの子の詩。賛歌。歌。】聖なる山に基を置き
2:主がヤコブのすべての住まいにまさって愛される/シオンの城門よ。
3:神の都よ/あなたの栄光について人々は語る。〔セラ
4:「わたしはラハブとバビロンの名を/わたしを知る者の名と共に挙げよう。見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをも/この都で生まれた、と書こう。
5:シオンについて、人々は言うであろう/この人もかの人もこの都で生まれた、と。」いと高き神御自身がこれを固く定められる。
6:主は諸国の民を数え、書き記される/この都で生まれた者、と。〔セラ
7:歌う者も踊る者も共に言う/「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、「主は諸国の民を数え、書き記される/この都で生まれた者、と。」  

詩編作者の立場を思って、今週の詩編を読んでいきたい。おおざっぱには、1-3節までは、エルサレムにある神の栄光が詠われる。4-7節はエルサレムが生まれ故郷である、と宣言する人々の喜びを詠っている。1節に「コラの子の詩」と書いてあるが、コラとはユダヤ教の礼拝で聖歌隊を務めていた人々のことだと思われる。主が定めた聖なる山、エルサレム(シオンの山とも呼ばれる)のことを詠いはじめている(1節)。 ヤコブ(ヤコブの子孫たち、すなわちイスラエルの民全体を指しているのだと思う)が、さまざまな理由で、エルサレムではない土地にも住むようになっているが、主なる神が、何よりも愛されるシオンの城門(エルサレム)よ、(2節)。神の都(エルサレム)よ、主の栄光について人々は次のように語ることでしょう(3節)。 「主なる神は、ラハブ(イスラエルの民が400年奴隷として仕えていたエジプトのことを指している)と、バビロン(イスラエルの民が紀元前6世紀に捕囚された土地)で生まれた者たちも、主の民として挙げる。 さらにはペリシテ、ティルス、クシュ(当時のイスラエル周辺諸国で、イスラエルからすれば、諸外国)で生まれた者たちも、聖なる山(シオン、エルサレム、聖なる都)で生まれた、と記録される。」(4節) シオン(聖なる都)について、人々は語るであろう、「この人もあの人もこの都で生まれた。」とし、いと高き神がそれを確かなこととして定められる(5節)。主なる神は、諸外国で生まれた者を数え、皆エルサレムで生まれた者とされる(6節)。礼拝や祭りで、歌う者も踊る者も、いっしょに賛美する、「わたしたちの源は、すべて主の中にある」と(7節)。

この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせてみたい。詩編87編は多分に預言的要素を含んでいる詩編のように感じる。3節から5節で詠われている内容は、ユダヤ民族だが、さまざまな歴史的背景からエジプト、バビロン、ペリシテ、ティルス、クシュ等々の諸外国で生まれたユダヤ人がいたことは確かで、その者たちも含めて、聖なる都、エルサレムで生まれたユダヤ人として、主なる神が認めてくださることを詠っているようだ。しかし、6節に入って、その範囲がずっと広がって行くように感じる。6節の「諸国の民」とは、諸国にいるユダヤ民族だけではなく、諸国にいる異邦人も含めて、すべての民が、エルサレムで生まれた民、主なる神としての扱いを受ける、すなわち、主イエスからの慈しみを受け、救われることが、紀元前から預言され、詠われていたように思う。福音書に残された事実として、主イエスを救い主として受け入れ始めたのは、サマリアの女(ヨハネ4章)であったり、17日の福音書個所にある、カナン人の女性である。また紀元後の世界を見ると、ユダヤ人以外の世界各国の民が、主イエスを救い主と受け入れ、主イエスからの、とてつもない豊かな恵みを受けつつ、救い主なるイエスを賛美し、主にある喜びの中に生きている時代が訪れてきている。復活ルーテル教会に集う私たちもその中にある。 そのようなできごとは、史実であり、主なる神、イエスによる導きの中で起こっている。栄光は主に! アーメン
安達均

ヨハネによる福音書11章1節から44節までを読み、イエス様がラザロを生き返らせた奇跡の経過を学びました。       記録をご覧下さい。質問、ご意見、大歓迎です。

The Raising of Lazarus ラザロの死

John 11:1-44 ヨハネによる福音書11章1節〜44節

最初に、ラザロという名前はどういう意味だろう。ラザロは “Eleazar”の略で、「神に助けられた人」と言う意味である。  イエスはラザロをただ助けただけでなく、生き返らせたのである。1節から44節までを注意深く読んで行こう。

ラザロが病気だという事を、ラザロの姉妹であるマリヤとマルタがエルサレムに居るイエスの所にメッセージを送った。   この時、彼女達はラザロが重病なのにも拘らず、決してイエスに「すぐ来て下さい」とは言わなかった。きっと彼女達は、  ラザロを愛するイエスが、必ず善き行動をとって下さると信じていたのだろう。                    私たちが年がら年中祈りの中で「イエス様、こうしてください、ああしてください」と指示するのとは全く違うではないか。

4節で、イエスが「この病は死で終わるものではない」と言っているが、その意味は、ラザロが最終的に死に至るのは、今のこの病いが原因となるのではない、という意味である。という事は、イエスは自分がラザロを生き返らせる事をすでにご存じなのだ。ところが、イエスはラザロが病気だという知らせを聞いた後、すぐに彼の所には行かなかった。聖書には、「なお二日間同じ所に滞在された。」と書いてある。なぜ直ぐに飛んで行かなかったのか? 答えは4節に書かれている、「神の栄光の為である。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」。どういう事かと言うと、病気の時に行って癒してあげるよりも、肉体が完全に死んでしまい、誰が見ても生き返るはずはない、という状態の時に生き返らせてこそ、本当の神の栄光を人々にわからせる事が出来るからである。イエスが神の栄光を受けた神の独り子であり、神から特別の力を与えられた救い主である事を人々が完全に理解するには、ここまでしなければならなかったのである。

さて、7節から10節を読むと、イエスは「もう一度ユダヤに行こう」、と弟子達にいわれる。ヨハネの10章31節にも書かれているように、イエスは、以前そこでユダヤ人達に石で撃ち殺されそうになった。そんな場所になぜまた行くのですか、と弟子達は驚いたであろう。しかしイエスには彼の考えがあった。ラザロの住むベタニヤはユダヤの地域にある村だった。イエスは先ずユダヤに向かい、それからラザロの住むベタニヤに行く考えだったに違いない。11節に、「わたしたちの友ラザロが眠っている、しかし、わたしは彼を起こしに行く。」と言われている。ここで面白いのは、弟子達は、実際にラザロが病気で寝ていると思って、イエスの言われた言葉に対し「主よ、眠っているのであれば助かるでしょう。」と答えている。         しかし、ここでイエスははっきりと「ラザロは死んだのだ。」と言われ、「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたたちにとってよかった。あなた達が信じるようになるためである。」と語っている。ここでイエスが意としているは、もし自分がその場に居て、死にそうなラザロを生き返らせただけなら、弟子達にとって、今までの奇跡と同じように、「すごいなー」で終わってしまい、また直ぐにイエスが神の独り子である事実を忘れてしまうに違いないからなのである。

イエスがそう言われた後、トマスが直にこう言っている、「わたしたちも一緒にいって死のうではないか」と。きっとトマスは、イエスが以前ご自分の死を預言された事を思い出し、もしかしたらイエスがそこで死ぬのかもしれないと思い、自分たちも一緒に死のう、イエスを一人では死なせない、そんな気持ちでそう言ったのであろう。実際にイエスは後に十字架に架かるが、一人として一緒に死んだ弟子は居なかった。この箇所から学ぶ事は、私たちがその時は誠心誠意そう思って言っている事でも、実際にその状況に直面した時、そう行動できるかどうかわからない、という事なのだ。多分できない時の方が多いに違いない。

さて、イエスが来たと聞いてマルタは迎えに行った。イエスは村の門外に居た。ベタニヤはエルサレムの近くにあったので、沢山の人がラザロの家に集っていた。すでにラザロが死んでから4日も経っていた。マルタは心の中できっと葛藤があったに違いない。だから、イエスに会うなり彼女はこう言っている、「主よ、もしここに居て下さったら、私の兄は死ななかったでしょうに。」そしてすぐその後にこう言い足している、「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえて下さると、私は承知しています。」 彼女の中には、きっと悲しみと希望の葛藤があったに違いない。そこでイエスは「あなたの兄弟は生き返る」と言われる。マルタはそのイエスの言葉を、終わりの日の復活のことを言われているのだと思うのだが、イエスは、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と答えている。その意味は、ラザロが生き返るのは、復活ではなく蘇生(Resurrection ではなくてResuscitation)であり、復活は神の子であるイエスの甦りだけが復活である事を意味している。死んでも生きる、という事は、この世でイエスの復活を信じる者には、永遠の命が与えられるという意味なのである。マルタはそれを「信じます。」と答えている。イエスはその後マルタと一緒に家には行かずに、マルタにマリヤを呼びに行かせている。それはマリヤにもマルタに話した事と同じように話す機会を平等に与える為にである。マリヤが急いで立って出て行くのを見た人達は、マリヤがきっとラザロの墓に泣きに行くのだろうと思いマリヤについて村の外まで出て来る。ここで明らかになるのが、なぜイエスが村の門外にいたのか、ということだが、その当時の墓地は村の外にあった。正にその状況を想像すると、全てが神様のご計画通りに行われていたのである。イエスが神の栄光を解らせたいと願っている人達が全てその場に集って来ていたのだ。マリヤもマルタと同じように、「主よ、もしここに居て下さったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言う。そして、マリヤは泣き、一緒にきたユダヤ人達も泣いているのを見て、イエスは憤りを覚えた、と書かれている。それはきっと、マリヤは本当に悲しんで泣いているのに、着いて来たユダヤ人達の中には、多分雇われて、葬式の時に大声を出して泣く人たちがいたからであろう。「心に憤りを覚えた」と二度も書かれて強調されているのは、 それほどまでにイエスが憤られた事が重要な事だからである。イエスは嘘の涙を流しているユダヤ人達に憤りを覚えられ、  盲人の目を開けたこの人も、ラザロを死なないようにはできなかったのか、と疑う人達に憤りを覚えられた。

35節に、イエスは涙を流された、とあるが、聖書の中でイエスが涙を流されたと記されているのはこの箇所だけである。それほどまでにイエスはラザロを愛し、それだけでなく、マリヤやマルタも憐れんだのである。イエスの涙はイエスの博愛を表している。

そして墓に来たイエスは、洞窟の入り口にある石を取り除くようにと言われた。ご自分で石を動かす事は容易だったに違いないが、イエスはご自分で手を触れずにこの奇跡を行われたという状況がここに描かれている。マルタは、村の外でイエスと話した時には、はっきりと、「はい、信じます。」と答えたにもかかわらず、ここではイエスに、「四日もたっていますから、もうにおいます。」と言っている。いかに私たち人間が、「はい、信じます」と言いながらも、神の偉大な力を信じる事を忘れてしまうか、この箇所から読み取る事ができるのではないだろうか。だからイエスが41節と42節で、わざわざ、「父よ、わたしの願いを聞き入れて下さって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださる事をわたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆の為です。 あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせる為です。」と言われるのである。そしてイエスはそう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼ばれた。手と足に布を巻かれたままのラザロがイエスに言われるままに出て来ると、きっと群衆は口をあんぐり開けたまま、驚いてラザロを凝視していたに違いない、だからイエスは「ほどいてやって、行かせなさい」と、突っ立ってラザロを見ている群衆に命じたのだ。イエスの憐れみである。

45節に、この話の結末が書かれている。「イエスのなさった事を目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。」こう書かれているように、4節にも書かれているように、「神の子がそれによって栄光を受けた」のである。この栄光とは、 私たちが思っているこの世的な名誉や栄誉ではなく、偉大なる神の栄光である。

今日の学びを通して私個人が感じた事は、イエス様がわざわざラザロが死んで四日も経ってからラザロを生き返らせたのは、 イエスの弟子達が、イエス様が盲人を癒したり、5千人を満腹にさせたりして、何度もイエス様の奇跡を目撃しているにも拘らず、未だに100%イエス様が神様である事を信じられない事実、そして多くのユダヤ人達も、私たちも、同じようにイエス様に救われながらもそれを解っていない悲しい事実、それらに対してイエス様が、これでもか、これでもか、と私たちに示して下さっている憐れみなのではないだろうか、という事なのです。私たちは、イエス様を信じます、と口々に唱えながら、直ぐに自分の周りで起こっている現実に振り回されて、共に居て下さるイエス様の存在を忘れていないでしょうか? イエス様を信じる事によって、日々新しくされ、この世を生き生きと過ごせる事を忘れていないでしょうか? 私たちもラザロと同じように、 毎日主イエス・キリストに在って、生き返る事ができるようにと切に祈ります。

芙美Liang 記

 

本日の礼拝で、先月ボルネオにミッションツアーに行かれた皆さんの講演がありました。パワーポイントで50枚以上の写真を見ながら、香港から、ボルネオ、シンガポールと回って来られた様子が良く解りました。写真をご覧になりたい方は、Dropboxで遅れますのでご連絡下さい。

2014年8月10日LCR日本語部週報通算第1318号

2014年8月10日の週報

August 10, 2014 LCR Japanese Ministry English Bulletin

Sunday English Bulletin 1318E

今週は詩編85 編9節から14節を読む。私事になるが、神学校時代に詩編の授業をとった。学期末に、最後のレポートを書くとき、どんな理由でもよいから詩編の一編を選び、それについて決められた質問にしたがってレポートを書くことが課題だった。その時、私が選んだ詩編が85編だった。 もう何を書いたかほとんど覚えていない。。。それはそれとして、今日新たに、85編をフレッシュな気持ちで読み、いつものように気になる言葉は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。

詩編 85編 
9: わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
10:主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
11:慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし
12:まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。
13:主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。
14:正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、9節の「彼らが愚かなふるまいに戻らないように。」という言葉。とくに広島と長崎の両原爆記念日の間にあって、ずっしりくる。 

詩編作者の立場を思って、今週の詩編箇所を読んでいきたい。今日の箇所は9節以降の後半のみだが、簡単に1節から8節に何が書いてあったかを触れておくと、1-4節では良き時代に、神がイスラエルの民にしてくださったこと。5-8節では、現在は、その神と自分たちの関係がおもわしくなく、その関係改善を求める祈り、というか駆け引きのような様相すらある。そして、9節以降は、びっくりするような表現の賛歌なってくる。では9節から一節づつ触れていきたいが、9節は神の約束を信頼してあらたに詠い始める感じで、「私は神が平和を宣言されるのを聞く。自らが創造した民に対して、そして、神の確かな愛の中に生きる人々に。愚かに神に背を向けてしまわずに神に向き合う人々に。」10節で、「主を畏れる人には(今の神との関係がおもわしくない状況から変わって)神の救いは近く、神が私たちの地にとどまってる。」11節では、とても面白い詩的な表現をしており、慈しみ、まこと、正義、平和という四つの単語が擬人化されて、「いつくしとまことの二人が出会って、正義と平和が口づけする」と詠う。12節、さらに詩的な表現は続き、今度はまことは植物のように、また正義が植物が育つのに必要な雨にたとえられているかのようでもあるが、「まことが地面から萌えいで、正義は天から降り注がれる」と詠う。13節では、イスラエルの民を植物にたとえているようで、「わたしたち自身(イスラエルの民)が育つ地に、主なる神は良い栄養を与えてくださり、その地がわたしたちに実りをもたらす。」 14節では正義の擬人化表現がまた登場し、「正義が主なる神の前を行進して、主の歩まれる道を備える。」と詠って、詩編85編を閉じるが、9節以降で、イスラエルの民が誤まった行動をしてしまった中にも、力強い神の約束を詠い、静かに神を賛美している。  

この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせてみたい。本日のタイトルは「愚かなふるまいに戻らない。」とし、上記にも、今は広島と長崎の両原爆記念日の間にある、と書いたが、また世界の雲行きがあやしげになってきていることを危惧している。そのような状況におかれている人類に、今日の詩編の9節の言葉から、いかに戦争が罪深く、主なる神の思いからソッポを向いてしまっている、まさに「愚かなふるまい」なのかと思う。 人類は、それぞれ自分の国、あるいは自分の所属する団体なりの「正義」を掲げているが、この詩編12節で詠われているように、「正義」は天から注がれているもので、人類自身から勝手に沸いてくるようなものではないように感じる。「まこと」が萌えいでるという表現があったが、それはあくまで、地に生息する人類に、天から正義の雨が地に注がれるからこそ、「まこと」、真理、がそこに存在しうるのかと思う。「正義」と「平和」が口付けすると詠われていたが、正義と平和が一体であるということなのだと思う。つまり「正義」そのものは、「平和」なのだと教えられているように思う。今日の詩編の最後には、正義が主の御前を行進していて、主の進まれる道を整えているという描写があったが、そこには、主イエスが十字架を担がされて歩いている姿が浮かんできてしまう。主イエスが神の示される正義に従うゆえに。そして、今日与えられた詩編箇所の最初「主は平和を宣言される」は、十字架に架けられても復活し、弟子たちを赦して、「あなたがたに平和があるように。」と語ってくださったイエスの平和宣言をも思い出させてくれる。 アーメン
安達均

マタイ14:13-20

ここに集まりました会衆の上に、また、今日この礼拝に来れない兄弟姉妹の上にも、聖霊の導きにより、主イエスの力、パワー、をさずかりますように!

アーネストゴードンはスコットランド出身のイギリス軍の司令官だった。第二次世界大戦中、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン等に参戦したが、シンガポールが日本に占領されたのを機に、スリランカに逃げようとした。 しかし、逃げる途中に乗っていた船が日本軍につかまり、捕虜となった。 そして捕虜の一人として、泰面鉄道の建設に仕える労働者として働かされることになる。
泰緬鉄道とは、タイとビルマ(現在のミヤンマー)を結ぶ鉄道で、わずか2年たらずで完成した。しかし、6万人の捕虜たちと18万人のマレーシア、タイ、インドネシア等から強制的に集められたのアジアの労働者たちが働き、そのうち、1.2万人の捕虜ならびに9万人の労働者たちは亡くなったと伝えられている。
この泰緬鉄道は、死の鉄道、Death Railway、とも呼ばれる。日本人による捕虜たちの扱いは、残酷で、アーネストも拷問を受け、栄養失調、熱帯性の潰瘍、そして、盲腸炎も患うことになった。そして死を待つだけの収容所に送られた。死の収容所では、人々はただ死を待つだけの日々であった。 

アーネストゴードンの話は、またメッセージの後半に触れたいが、ここで、今日の福音書の内容に入りたい。 今週与えられている聖書箇所は、「イエスはこれを聞くと」という言葉から始まっている。イエスは何を聞いたのだろう? 今日の箇所の前の段落、マタイ14章の最初に描かれた様子を簡単に説明するとイエスの幼馴染、洗礼者ヨハネが首を切られ、ヘロデ王の誕生会の席上、その頭を持って来られて、見世物になるという悲惨な出来事が起こった。そのことを、イエスは聞かされた。
イエスの悲痛な思いを想像して欲しい。胸を引き裂かれるような思いにかられたのではないだろうか? イエスは、ガリラヤ湖で船に乗り、人里離れたところで一人になり祈る。
ところが、病人を癒したり、目の見えない人を見えるようにしたイエスのことを聞いていた群衆がイエスを追ってきた。その群集は数は、男性の大人だけでも5000人。

イエス自身も本当に悲しい思いの中にあったが、同時にイエスは、追ってやってきた群集の病に苦しみ、そして飢えている人々への思い、愛に満ち溢れている。 
弟子たちは、群集を解散させ、勝手に自分たちで食べ物を買いに行くようにしてはどうかとイエスに提案するが、イエスは弟子たちに、「あなたがたが食べ物を与えるように。」という。 弟子たちは「そんなことはできっこない」と思い、「パン五つと魚2匹しかありません」と叫ぶ。 しかし、その直後のイエスの御業を見て、考えが変わったのではないかと思う。
イエスは群集の前で、五つのパンと二匹の魚をとりあげ、賛美し、それを裂き、人々に与えた。 神に賛美することと、みんなで分かちあうことで、空腹だった5000人もの人々を、たった魚2匹とパン5個から、満腹にされる。
5000人という数字は大人だけなので、配偶者や子供もいれれば、おそらく2万人とかの人々が、いたのではないかと思う。 正確な人数が問題ではなく、そこに臨在される神の御名において、主イエスとの分ち合い、さらに、人々との分ち合いの中で、この奇跡は起こった。  

ここでアーネストゴードンの話に戻りたい。アーネストゴードンは死を待つだけの収容所へ移動したが、そこで、二人のクリスチャン、ダスティミラー(メソジスト)とディンティモーア(ローマカトリック)の看病を受ける。同じく捕虜だったが、親身になって、アーネストの面倒をみて、立つことすらできなかったアーネストは、歩けるようになり、死の収容所からは奇跡的に出られることになる。
奇跡はアーネストに起こっただけではなく、キリストの愛に基づく二人の行動が、他の捕虜たちの行動がより仲間で助け合うようになった。また、何人かの日本軍将校たちの行動すら変化させていった。 さらに奇跡的ともいってよいことがおこった。彼らは、竹をきって竹やぶに囲まれたスペースを作り、その中に竹で聖壇をつくり、また十字架とランプも作って聖壇の上に置いた。 
主イエスの体である教会は、どんなところにだって出来る、それが、想像もできなかったようなところにも。 キリストの愛があるところには、聖霊も存在しており、キリストの存在もある、なぜなら二人かそれ以上の人数でイエスの御名のもとに集まるところには、キリストがおられる。キリスト教を禁止するような日本軍の管理下にあったにもかかわらず、主の礼拝が実現し、多くの兵士たちに癒しと慰めが与えられ1943年のクリスマスには、約2000人もの人々が礼拝を守った。アーネストは第二次大戦終了まで生き残ったが、POWの経験は、彼の中の信仰心を強め、長老派教会の牧師に導いた。
私はこの話を、アーネストゴードン氏が書いた「クワイ河の奇跡」を元にかかれた日本の記事から主に学んだ。絶望の淵におかれたところに、キリストによる希望の教会が立ったともいえる。どんな劣悪でみじめな環境の中においても、そこにイエスキリストの聖霊との愛の分かち合い、また人々との愛の分かち合いが起こるような環境の中で、奇跡が起こるのだと思う。。
そして、現代においても、奇跡が起こっているのだと思う。マレーシア航空の事件にしても、イスラエルで起こっていることについても、まるで世の終わりかとも思えるようなことが起こっている。しかし、その中にイエスを分かち合い、信仰を分かち合う人々の間に神のパワーが与えられていることを信じる。 またみなさんの中にも、まるで死の谷を歩いていたような人々がいるかもしれないが、教会につながることが、すなわち神とのわかちあい、また人々とのわかちあいが絶望の中にパワーを与え、慈しみ、愛、希望、喜びが与えられる。そしてキリストの体の一部である復活ルーテル教会につながる中で、私たちも神が意図する偉大な出来事を成す。アーメン
安達均

“The Power of Being Connected To Church”3
Matthew 14: 13-20

May the Grace and Peace of Jesus Christ be poured into the hearts of the people gathered in this church!

As a Japanese person, quite honestly, it is difficult for me to talk about this. However, with the help of the Holy Spirit, I would like to talk about Ernest Gordon’s remarkable story. Some of you might have heard about Ernest Gordon’s story from the movie “To End All Wars.”
Ernest Gordon was a Scotsman who was a Commander in the British Army. He served during World War II (WW II) in campaigns including the Malaysian, Indonesian, Singaporean, and Philippine campaigns. After the fall of Singapore, he and other British officers tried to escape to Sri Lanka. However, his fishing boat was captured by a Japanese ship; his group was captured and they became POWs. He was part of a forced-work group that was tasked with constructing the railroad between Thailand and Burma.
The railroad connected Thailand and Burma and was completed in less than two years between 1941 and 1943. Sixty thousands of POWs and 180 thousand workers from Malaysia, Thailand, and Indonesia were forced to work like slaves, and almost 90 thousand local workers and 12 thousand POWs died due to malnutrition, torture and disease. Ernest Gordon, in addition to torture, (at various times) suffered from beriberi, malaria, tropical ulcers, and underwent an appendectomy during his internment.
Because of the high casualty rate, it was called the “Death Railway.” Japanese officers treated POWs terribly and were especially cruel. Ernest was tortured and became gravely ill. He was placed in a “Death Ward” at the internment camp where people were expected to die. People in the ward felt profound hopelessness.

I would like to discuss more about Ernest Gordon later. Now, I would like to talk about the today’s text. The Gospel text starts with the words, “Now when Jesus heard this…” What did Jesus hear?
Let me summarize what was written in the previous paragraph of today’s text. His cousin, partner, and childhood friend John the Baptist was horribly killed and put on display at King Herod Antipas’ party. It’s something that no person should have to endure in life or in death.
Think about what Jesus felt when he heard about this incident. I believe he felt a profound and unceasing anguish in his heart. Jesus was also probably feeling desperate. Then he departed from the seashore by boat and went to a place, away from others, to be alone and pray.
Even though Jesus himself was depressed with the news, he was also concerned about the people and compassionate with those who were sick and tired.
People knew Jesus healed the sick and cured the blind, therefore many people who were hungry or whose family members were sick followed Jesus. The number of people was five thousand, if counting only male adults.

Disciples wondered if they should send the crowds away so that the crowds could go into the villages and buy food for themselves. However, Jesus said, “They need not go away; you give them something to eat.” Well, for the disciples, it was a seemingly impossible order to obey. Saying, to Jesus, we have only five loaves and two fish. However, the disciples ceased doubting after seeing what Jesus did.
Jesus took up the food, praised God, divided them, and gave them to the people. His compassion fed five thousand people, despite having only 5 loaves and two fish.
Since the 5000 people weren’t mentioned in the context of households, if women and children were included, the number of people could be as high as 15,000. The actual number of people is not important, but the point is Jesus blessed the bread and fish, by invoking God’s name, and divided them to share with the hungry masses. It was because of the relationship between God and the people and also the relationship among the people themselves that the miracle happened.

Let’s return to Ernest Gordon’s remarkable story. Even though he was seriously ill, two Christians named Dusty Miller (Methodist) and Dinty Moore (Catholic) cared for him and dressed his wounds. Even as other POWs were fighting among themselves because of the horrific circumstances; the two Christians patiently cared for Ernest. Prior to their tireless care, Ernest was unable to stand. Amazingly though, Ernest eventually recovered enough to walk out of the “Death Ward.”
The Christian love shown by Miller and Moore changed other POWs attitudes and they started helping fellow prisoners. A new atmosphere was born. Even some Japanese officers’ attitudes changed. Then POWs built a church to worship Christ in the jungle. They cut bamboo and made a space surrounded bamboo trees with an opening (but no doors). They made an altar from bamboo trees and put a cross and lamps on it. The Body of Christ (a church) can be anywhere, even in the most unlikely places. Wherever Christ’s love exists, the Holy Spirit also exists. Christ is present when two or more people get together in His name. During the Christmas service in 1943, two thousand people worshipped and praised God.
Prior to the war, Ernest was agnostic but his experiences as a POW led him to accept Jesus Christ as his Savior and Lord. Even after he learned of the tragic deaths of Dusty Miller and Dinty Moore, Ernest’s faith was not shaken. Instead, his faith strengthened and his commitment to God grew. After the war, he became a Presbyterian, moved to America, and eventually became chapel dean of Princeton University.

I learned this story from a Japanese Christian article based on Ernest Gordon’s book, “Miracle on the River Kwai.” This is a miraculous story about a church of hope born in the depths of despair. Like the miracle in today’s text that happened because of God’s love and compassion towards desperate people; a similar powerful miracle happened even in a desperate situation like WW II.
I believe these kinds of miracles happen even today. When we hear the news nowadays, it is truly heartbreaking listening to what’s occurring in Gaza, the Ukraine, and some Southeast Asian countries. However, in the midst of these desperate situations, Jesus Christ’s compassionate and loving relationship with humanity through various churches reveals God’s power which allows us to be gracious, joyful, loving, and hopeful. As part of the Body of Christ, the church we are expected to and can do great things in His name. Amen.
Pr. Hitoshi Adachi