4月16日(日) マタイ28:1-10
復活祭当日に与えられていた福音書箇所をいま一度読みいかがだろうか。イエスは金曜に十字架刑となり、土曜は墓で安息され、日曜に復活された。 日曜朝に復活後のイエスがマリアたちに最初に語りかけてくださった。ギリシャ語で書かれた言葉を直訳するなら「喜べ、恐れなくてよい」という意味になる。 マリアたちはそれを弟子たちに伝え、聖書に記述された。。。 現代にあっても、一週間がどんな一週間であっても、日曜朝に新しくしてくださる主の力を覚える。 イースターという一年に一回の祭りだけではなく、毎週の日曜を多いに喜んで、礼拝に集う民でありたい。  

4月18日(火) コロサイ3:12-17
イエスの死と復活後50年以上経てから、パウロが書き残してくれた手紙の一部。パウロは弟子の一人としてイエスに従っていたわけではない。それにしても、ヨハネ福音書などに著されている聖木曜日にイエスが3年間の弟子たちへの訓練の総まとめのような内容が、このコロサイの中にも残されているように思う。

4月22日(土) 雅歌8:6-7
聖書日課で雅歌が読まれることは多くない。復活後第一週目の後半の三日間は雅歌から2、5、6、8章から与えられている。雅歌(ダビデ王の子、ソロモンの作と言われる)はそもそも男女関係の恋愛の表現であり、聖書にあること事態、違和感を覚える人もいるのかと思う。 しかし、愛と表現されているところはイエスとして、また男女関係をイエスと民の関係という観点から読んだらどうだろうか。 似たようなこととして、私は歌謡曲のヒット曲などを聴いていて、男性を神、女性が人間として考えたら、ピンとくることがあった。 天地真理のヒット曲「ひとりじゃないって」とか。1972年のヒット曲なので、古すぎでついていけないという方には、91年のレコード大賞のKANというシンガーソングライターの「愛は勝つ」とか。 これももう古いが。 

4月23日(日) ヨハネ20:11-20
「疑い深いトマス:Doubting Thomas」などと呼ばれてしまうが、決してトマスが他の弟子たちにくらべて信仰心が無かったということではないのだと思う。他の弟子たちは、むしろ怖くて怖くてしょうがなかったのではないだろうか? 

復活節は49日間続きます。良き復活節を過ごされますように。 また、この復活節も、とくにどこにも行くことなく、施設などで迎える方々のことも覚え、そこに復活の主の喜びが聖霊とともに与えられていますように!

April 17th, 2017

2017年4月16日復活祭週報

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4月2(日) ヨハネ11:1-45
ラザロが死にイエスが彼を生き返らせる箇所を再度読みいかがだろうか。45節は長く、一語一句を読み通すのはたいへんだが。 ルカ10章に記述されていた、イエスや弟子たちへの給仕でごたごたするマルタとマリアの人間模様と共通するような描写がヨハネにもあるように感じる。マルタがなにかと機転を利かせて機敏に行動するようなタイプ。マリアはじっくり構えているが、いざ行動するとなると大胆な感じで影響力も大きいようなタイプ。どちらも大切な存在。

4月5日(水) マタイ22:23-33
来週の聖週間を前に「復活」について、サドカイ派(ファリサイ派と並ぶユダヤ教の指導者たちのグループだが、「復活」を否定していた)とイエスの問答を読み、意味を深めておきたい。 サドカイ派の質問からわかるのは、復活してこの世で普通にまた結婚生活をするような復活をイメージして、そんな復活なんて起こるわけないと思っていたようである。 それに対するイエスの対応で、「天使のようになるのだ」と答えていることは、しっかり心に留めておきたい。

4 月9日(日)マタイ26:14-27:66
新共同訳聖書で8ページにも亘る聖書箇所。実にいろいろなことが書いてある。 26章6-13節の「ベタニアで香油を注がれる」に書かれていることで気になることがあり、書き留めたい。「重い皮膚病の人シモンの家におられたとき」とある。一瞬、イエスの弟子のシモン(ペトロ)が皮膚病だったかと思ってしまうが、ベタニアにあった家なので、ペトロの家はガリラヤ地方なので、弟子のペトロとは異なる人物。それにしても、イエスが、思い皮膚病の人の家にも訪れており、またそこに弟子たちも、いっしょにいたことに、教会に仕える者の意義を覚える。そんななか一人の女(名前はないがヨハネの12章の記述からマルタの姉妹マリアと思われる)がイエスの頭に香油を注ぎかける。さすが、マリア! そしてイエスは「わたしを葬る準備をしてくれた。」 

4月7日(金)ヨブ13:13-19
ヨブ記の前半は簡単に言うならば、大病をしているヨブに向かって、二人の友人が「大病をしたのは神の前で守るべきことをせず正しくなかったからだ。」というような因果応報的な議論で攻撃する。それに対して、ヨブが「いやいや自分は神の前で正しかった。」と反論している。与えられた箇所は、ヨブの反論の一部。この箇所をイエスの十字架刑を記念する聖金曜日の一週間前に読んでいることに意味を感じる。十字架刑にかかるイエスの心境とヨブの思いが重なってくるような面が。。。 

今年のイースターは4月16日です。ぜひ教会においでください。

2017 April Calendar