先週から昨日まで牧師休暇中だったため掲載が遅れておりお詫びします。
2017年06月18日(日) マタイ9:35-10:15
いま一度読み返していかがだろうか? 12 弟子が派遣されるときにイエスが語られた言葉には、かなり厳しいものを感じる。キリスト者として生きる心構えのようなものを感じてこないだろうか?けっして言葉通りに、着替えはもたないようにとかではなく、質素なこと、謙虚なこと、辛抱強くあること。。。
2017年06月19日(月) 第一テサロニケ3:1-5
テサロニケの信徒への第一の手紙3章の書きはじめを読む限り、うまくいっていないものを感じる。パウロはテサロニケの信徒たちへ、厳しい状況を体験することを、あらかじめ伝えていたのに、残念ながら誤った教えが入ってきてしまったようだ。 そもそもキリストに従うことは難しい状況に直面し、忍耐を要求されることは当然なのだが。。。
2017年6月22日(金) エレミヤ18:18-2
エレミヤ18章というとその前半に、陶工(焼き物師)が粘土でかたち造っても気にいらなければ、ぐしゃぐしゃにして作り直してしまうように、創造主の神もイスラエルの民に対して同じようにふるまうと、主の言葉がエレミヤに臨んだことが記載されている。民はすべて主のものなのである。しかし、主の言葉をそのまま述べたエレミヤを気に入らないイスラエルの民たちがいた。そして、エレミヤを殺そうとする計画さえ出てきてしまった。主の言葉をそのまま述べ伝えるがゆえに、預言者エレミアがあじわった不安・苦難を覚えておきたい。
2017年6月24日(日) マタイ10:24-39
12弟子派遣にあたってのイエスの教えが続いている。 近年になって新聞記事でわかったことだが、ノーベル賞を受賞した大村智氏は、私の祖父の家によく一升瓶をもって飲みにきていたようだ。そして祖父から「何事も千畳敷のど真ん中でやれ」といわれていたことが、彼の研究方針に大きな影響力があったようだ。祖父の言葉はイエスの教え「おおわれたもので、現われてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」というイエスの言葉から出てきたような気がする。
さまざまな困難の中に、主の大きな恵みがありますように!