Archive for the ‘牧師説教’ Category

Tweet ルカによる福音書24章36b-24節 「私たちはキリストの証人」        “We are witness of Christ”  私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。 今日の福音書はイエス様が復活して3度目に弟子たちの前に現れた話です。一回目はイエス様が復活された日曜日で、弟子たちは、墓に葬られたイエス様に出会った婦人たちから聞いて、それが本当なのか、一体これはどういうことかと思っていた、またユダヤ人のリーダーたちが弟子たちを探していることを恐れてびくびくしていた時に、イエス様が、弟子たちが集まっていた部屋の閉まっていたドアを通り抜けて、弟子たちに会われた時です。 二回目にイエス様が現れたのは、二人のイエス様の弟子がエマオと言う町に行く途中に独りの旅人として旅の仲間に入り、エルサレムで起こった出来事を話し合っていた時、また、特に夕食を一緒にいただいた時、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いた時で、その時、この二人のイエス様の弟子の目が開け、その旅人がイエス様だと分かったのです。 さて、今日の聖書の記事に戻る前に皆さんに質問があります。2003年に、South East Asiaから始まったと言うSARS と言うインフルエンザが世界に散らばっていったのをおぼえていますか? 英語では、 “Severe Acute Respiratory  Syndrome” と呼ばれていました。その時、 私は日本に両親を尋ねていたのですが、帰りの飛行機は殆どの人たちがマスクをかけていました。あちこちでごほん、ごほんと咳をしていた人は皆から睨らまれていたのを思い出します。そのSARSはカナダのBritish Columbia で多くの人を肺炎にし、何百人もの人の命を奪ったのです。これが、世界的な感染病になると心配していましたが、それまでにならなかったのはluckyと言うしかありません。 しかし、今現在、SARSはなお続いているのです。そのSARSはSevere Acute Respiratory Syndrome ではなく、 “Severe Acute Rejection Syndrome” と言われ、多くの人を「神様なんているわけない」と思う、また、多くの人がイエス・キリストへの信仰から離れてしまったのです。 少しここでキリスト教の日本に入ってきた明治時代のことをお話しましょう。 明治初期の日本は、文明開化の名の下で、日本人の思想家、政治家、また西洋から始まった蒸気機関車、エンジン、また民主主義とはどのようなものか、また西洋の宗教であるキリスト教を勉強するために、多くの人がアメリカとヨーロッパの国々に送られたのです。何年もこのように外国で文明開化の土台となる学問、知識、またキリスト教も多くの日本人によって広められていったのです。日本人が西洋の文化を受け取り、世界一流の国になりたいと思ったのは何も悪いことではありませんでしたが、その西洋の土台にあったキリスト教の教えは、天皇陛下が日本の文化の中で「朕は神なり」と言われていた時にも伝わってきたのです。 メソジスト教会はRev. Dr. Brown、聖公会はRev. Dr. William,  長老派教会は、Rev. Dr. Hepburn, ルーテル教会は、Rev. Dr. Schere, そして東方教会、それはオーソドックス教会は同じように1861年にDomitri Kasakinを日本に送りキリスト教の布教を始めたのです。もちろんカトリック教会は徳川時代の前から日本で布教を始めたのですが、キリシタン禁止令により隠れ・キリシタンと言う形でつづき、今なお、独自の形でイエス様の教えを伝えています。 少しここで脱線するならば、明治維新に活躍した日本人の政治家、教育家の中にキリスト教の教えの精神を取り込んた有名人が沢山いるのです。日本初代の文部大臣は森有礼というひ一つ橋大学を築いた人、早稲田大学の初めの総長、大隈重信、慶応大学の初めの総長、福沢諭吉また西郷隆盛、大久保利通、板垣退助、また日本の武士道の教えにキリスト教を結び合わせた内村鑑三のように、キリスト教の精神と日本の文化と共に守ろうと試みた人たちが沢山いたことを知って欲しいのです。 日本人はアメリカ人のほとんどがクリスチャンであると思ってるようですが、アメリカの教会が一番燃えていた時は第二次世界直後の1950年から1975年でこの時に、アメリカの人口の50%が教会に通っていました。教会の礼拝の前に、Sunday school もまだ沢山の人たちで守られていました。その当時は皆勤賞などもあり、Sunday school を一度も休まない子供たちにピンが与えられた時代もあったのです。日本の教会でも毎日曜日に小さいカードを頂くのが私にとっては一番の楽しみでした。そのカードに書かれた聖句、イエス様の言葉を知ることができたのです。 小さい時は両親と共に毎日曜日は教会に行っていたと云われる方の中にも、今日教会には月に、一回、二回と言うのが当たり前になっているような言い方をする人たちもたくさんいます。日曜日は子供のサッカー、野球の試合の時、何か世界で一番キリスト教に熱心であった国と呼ばれたアメリカでもSpiritual SARS が私たちの世界を襲っているように思うことが多くあります。若し、Spiritual SARS によって私たちが、イエス様の教えから遠ざかっていると感じる時、私たちが戻るところは、神様の言葉、それは聖書を読むことです。聖書を読むことにより、また聖書の言葉が良く分かるようになるのです。しかしこれも神様からの聖霊によって分かるようになると言うのが本当ではないでしょうか。その聖霊とは、私たちの罪を取り除く為に十字架に架かって死んだイエス様、そのイエス様は今生きており、私たち何時も共にいてくださる、いつも神様の愛に私たちを包んでくださっていることを知ることです。しか、しこれも自分で信じられるように努力すると言うのではなく、聖霊により今生きていられるイエス様の導きで信じられるようになるのです。多くの人が、何故イエス様は私たちにご自身の姿を顕わさないのかと質問されますが、イエス様が自分の姿を私たちに顕わさない理由もあるのです。イエス様は私たちに、私たちの信仰によって神様を見てくださいとおっしゃっているのです。イエス様はまた私たちに手で触って神様を知るのでなく、信仰の手でイエス様に触れていただきたいのです。 またイエス様は私たちに、イエス様についてのことは何千年も前から旧約聖書の預言の中に救い主が生まれる、イエス様が私たちの罪を負って十字架にかかり死ぬ。しかしそれは、私たちの罪のため、その罪を取り除く為にこられると書いてあるのです。まさに2000年も前にそれが成就され、神様の愛が、すべての人を救う教えとして私たちがいただいた賜物です。 最後に私の牧師友達の教会から送られたnewsletterから読んだ話を紹介して今日の説教を閉じたいと思います。 ある時、13歳になる男の子がお母さんのことで、友達からからかわれ、いや思いをしていたことがありました。子のお母さんは息子の学校で給食担当の仕事をしていました。また息子のスポーツのイベントにも欠かさず参加して応援してくれていたのです。このお母さん若い時、とてもきれいな美人でした。しかし今、子のお母さんの方頬に大きな傷があるのです。その醜い傷を見て、友達の男の子は「君のお母さんどうしてあんな顔をしているの、お化けみたいだ」とからかうのです。 そのようにからかられて、この男の子、「僕は学校にいきたくない」と言い出したのです。友達からお母さんの顔の傷のことでからかわれている。His mother knew that he was ashamed of herと知ってお母さんは、どうしてお母さんの顔の傷ができたのかを息子にはじめて語ったのです。お母さんの顔の傷は、昔住んでいた家が火事になった時にできた傷です。それは13年前、お母さん、夜中に、何かが燃えている匂いで起こされ、家で火事が起こっていることに気がついたのです。まだ赤ちゃんだった息子をブランケットに包み家から出ようとしていた時、火がお母さんに降りかかり、顔の半分が火傷でケロイドのようになっつてしまったのです。 その話をはじめて聞いた息子は、その時始めてお母さんの顔の傷を感謝の念を持って見ることができるようになったのです。そして僕を助ける為に命をかけたことを感謝する思いが初めてできたのです。それ以来、お母さんの顔の傷を愛の傷と思うようになったのです。 イエス様が私たちの罪のため十字架にかかってまで死んでくださった。それは御子を信じる者が、独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。これが私たちのためにイエス様が下さった最大のギフトです.私たちは愛されることから外れることなく、今も後の世界もイエス様と共に過ごすことができるのです。アーメン。         Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ヨハネによる福音書 20章19-30節 「信仰を持つとは?」”What Does It Mean to Have Faith?” 私たちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。 今日の説教を始めるにあたって、信仰とは何かという質問を皆様に答えていただきたいのです。(皆さんからの答えを聞いてみる)私の英和辞典によると、信仰は英語ではfaith で、信頼、信念とも訳されています。また、信仰は、希望、そして愛と共にキリスト教の3つの大きな徳の一つと言われています。聖書辞典によると信仰の定義は聖書の言葉から出てきます。ヘブライ人への手紙、11章1節に、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見えてない事実を確認することである」と書かれています。また私の信仰と言うものの聖書以外からの定義では、「信仰とはまだ理解できないことであってもそれを信じることです」。英語の訳では、 “Faith means you believe even when you do not understand.” と言えるでしょう。 さて、皆さんは福音書の中で出てくるイエス様の友達のラザロと言う人の名を覚えているでしょう。ある時、イエス様は友達のラザロが死んだと弟子たちに伝えたところ弟子たちはイエス様に「そんな所に行くのは辞めてください。この間、私たちもそのラザロの家のあるベタニアに行った時、町の群集があなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこに行かれるのですか」と不満の声を出したのです。しかし、イエス様の弟子の一人は他の弟子たちに言いました。「私たちも行って、一緒に死のうではないか」と。又たある時、イエス様は弟子たちに自分が死が迫っていることを語ったのです。「私は去ってゆく。あなたたちは私を捜すだろう。私の行くところにあなたたちは来ることができない」と。イエス様はご自身のこの地上での命がもう長くないことを知り、弟子たちに「私はあなたたちの行き着くところの準備に行ってくる。それは私のところで、そこにあなたたちも来ることになる」と言われたのです。 その時、また同じ12弟子の一人がイエス様に食って掛って言った言葉は、「主よ、私たちはあなたがどこに行くのか分かりません。どのようにしてあなたが行くところがわかるようになるでしょう」と。そう言った弟子は誰でしたか?ペテロではありません。ヤコブ、ヨハネ、アンドレでもなく、トマスです。疑い深いトマスと言うあだ名が付けられたトマスです。今日の福音書によると、このトマスはどういうわけか、イエス様が弟子たちに復活された日曜日の午後、他の弟子たちが、ユダヤのリーダーを恐れて鍵を閉めた部屋でびくびくしていた時、イエス様が、鍵のかかったままのドアを超えて弟子たちの中にあらわられた時, そこにいなかったのです。 きっと独りで、イエス様が死んでしまったことを悲しんで泣いていたのだと思います。私も何か悲しい時があると、ほかの人から慰められることより、悲しみの思いに駆られて長い間、自分の気落ちした世界に、はまってしまう時があるのです。「独りだけにしてくれ。私にかまわないでくれと」。それは自分に失望とは言わないまでも、自分はなんて惨めな人間と真っ暗な部屋の中で涙をぽろぽろ流すことがあるのです。或は、皆さんもそのような気持ちになること、なったこともあるのではないでしょうか? 8日たって弟子たちが皆、そこにトマスも共にいた時、復活されたイエス様がもう一度現れ、「私は、あの方の釘のあとを見、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない」と宣言したトマスに「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じるものになりなさい」と言われたのです。トマスはそのイエス様の言葉からの聖霊に答えて、「わたしの主、私の神よ」と言ったのです。 イエス様は言いました。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」と。多くの人は疑いのトマスと言うあだ名を付けてましたが、私たちも皆、疑ったことがあるはずです。イエス様は奇跡なんて本当にできるんだろうか。こんな広い世界の中で、私のことなんか、私の存在なんか分かっているんだろうか。私が悲しみに浸っている時、どのように私を支えてくれるんだろうか。私のこの世の人生が終わった時、本当に神様の国に連れて行ってくださるのだろうか。 疑いのトマスと言われているこの聖書の話は、実は、私たちすべてに当てはまるのです。しかしそれ以上に神様は、疑う私たちを信じる私たちに変えてくださるのです。変えさせて下さっているのです。心の中でイエス様の存在を熱く感じたことがありますか。ある人は私にこう言いました。「私はイエス様が私に話しかけてくれるのを我慢強く待っていますが、まだ、その経験がありません。私の信仰がまだ未熟だからでしょうか?」イエス様、神様は私たちに耳に聞こえる言葉で語るだけではなく、ある時急に、神様の存在を感じることができる時もあるのです。 自分ごとですが、私は時々、皆さんから、「岸野先生、何か心配事でもあるんじゃないですか?何か何時もらしくない、無邪気さがない、何か寂しそうな顔をしている。どうしたんですか?先生は私たちをリードしてください。牧師さんは羊飼いないですよ。羊飼いがいなくては信徒はばらばらになってしまいます。先生、私たちを見捨ててしまったんですか?、やる気をなくしちゃったんじゃないですか。私、私たち信徒は羊飼いなしではばらばらになってしまうんです」と。 さて牧師はどんな時も歯を食いしばって信徒に「私はあなたの牧師です。私についてきなさい」。と言うべきかもしれません。しかし牧師も同じ人間です。心の迷いもあるし、信仰が弱い時をあるのです。それが私のときは顔にも、言葉にも、態度で出てしまうのです。 しかし皆さんからの思いを聞くことはできます。できるだけでなく、それが私の牧師の仕事の中で必要なんです。皆さんの心配事を聞く、一緒に祈る、祈ってもらうことは牧師、信徒と言う関係を越して、イエス様に従う私たちにとってとても必要なのです。 さて疑い深いトマスとあだ名まで付けられたトマスに戻り、このトマスが実に私たち、一人ひとりの思いと行動をこの聖書の話の中で書かれていることに気がついてください。私たちひとり、ひとりもトマスと同じみじめな思いと行動に落ち込む人間ですが、そんな惨めな私たちをイエス様は、私の掛け替えのない子供、Children of God と呼んでくださっているのです。トマスは私たちであり、私たちはトマスなのです。そのトマスを愛されたイエス様は同じように私たち、一人ひとりを愛してくださいます。愛されている私たちはお互いを愛し、大切にするとこを命じられているのです。どうか毎日の生活の中で、神様の愛を感謝し、その愛をお互いの生活の中で実行できる私たちになることをイエス様にお願いしましょう。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書 16章1-8節「全てを変えた出来事」“That Changed Everything” 私たちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。アーメン。 人間の歴史の中で、あの出来事は全てを変えたと言われたものが沢山ありました。例ば、火、それはFireです。その火が稲妻から出てきたものか、あるいは火打石のような物から出てきたか分かりませんが、人間はすべての生き物の中で最初に火を起こす事を発見したのです。何万年、何千年も前、洞窟で寒い夜を過ごしていたのですが、火を起こすとによって暖かく過ごせる、また料理の仕方も変わったわけです。火の発見と使い方は私たちの生活の全てを変えたのです。時がすぎ、人間が発明した道具の一つは丸い木で出来た車輪です。車輪は、物を動かす時に便利な道具であり、それが馬車、自転車、自動車のタイヤと発展していったのです。車輪の発明は私たちの生活を変えました。仕事が楽にできるようになったからです。15世紀にはグーテンブルグという人が初めて印刷機を発明したのです。それまでは文章を出版するのは紙に手書きで書いていたのです。マルチン・ルターは宗教改革を始めた人でしたが、聖書は数が少なく、それらは皆手書きだったのです。ルターはこのグーテンブルグの印刷機を使って、初めてのドイツ語の聖書を出版したのです。それ以来、印刷機は私たちの生活の中で欠かせないものですが、世界の中で印刷機ほどCommunicationを広めたものはなかったでしょう。 私は日曜の夜から木曜日にかけて次の日曜日の説教を準備します。牧師さんの中には一晩で説教を書き上げることのできる人、また休暇をとって1ヶ月、2か月分の説教を書くことのできる牧師さんがいることを知ってますが、今私がこの説教を書いているのは4月6日の夜、9時です。これも一昔前のことですが、説教を書くにあたって初めのころは紙に書いていたのです。しかしそれを何度も読み直してみて、これは良くないと言うところがあれば、消しゴムでそれを消してその上に書き直した文章を入れたのです。 英語で文章を書く時は、タイプライターを使いましたが、日本語ではそれもなかった時代が1984年まで続きました。では1984年に何が出てきたのかと言えば、Personal Computer です。それは、Steve Jobs が Apple と言う出来立てほやほやのコンピュターの会社で発売したLisaというpersonal computer でした。IBMも負けずにPCと言う名前でPersonal Computer を出し、それ以来、私たちは今、computerなしで生活をしていくことが出来ません。 同じように、エジソンの初めて作った電球、ヘンリー・フォードの初めての自動車、ライト・ブラザーによる初めての飛行機と、世界を変えた発見、発明が私たちの生活を変えてきました。前置きが長くなりましたが、世界の中で一番、影響を与えた出来事とは何であったかと言うと、これは私の、そしてクリスチャンとしての発言ですが、それはイエス・キリストの誕生と十字架にかかって死んだ歴史的な事件です。イエス様の何が私たちの人生の歴史の中で重要なことかと言えば、十字架にかかって死んだイエス様が、甦えられたことです。 その前の金曜日にユダヤの宗教、政治家によって十字架にかかって死んだ、いや、殺されたイエス様の死体に、油と香料を塗るために婦人たちは、イエスの墓に行って見ると墓の石はすでに転がされていたのです。福音書のこの記事によると、墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いたと書いてあります。そして、そこにいた若者は言ったのです。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。もし皆さんが、その場にいたとしたらどう思ったでしょう。 「イエス様は復活された」。その言葉と出来事ほど 私たちの世界の中で大きな影響を及ぼしたものは他にないでしょう。2千年以上前に「イエス・キリスト」は死人のうちよりよみがえられたと叫ばれたその言葉は今ここでも言い継がれているのです。それは過去に起こったと言うだけではなく、今現在私たちが聖霊に導かれて宣言のできる信仰の告白です。キリスト教の信仰を一言で言うなら、「イエス様は死んで、3日目によみがえり、今生きておられるということです。今生きていらっしゃるイエス様と共に歩むことのできるわたちたちにとってこれほど勇気と希望を与えてくださるものはありません。イエス様の復活は私たちに神様は愛の神様、平和の神様、哀れみと許しをおあたえになる神様、そして、私たちを決して離れることも見捨てることもしないと約束された神様です。 この神様、イエス様はどこに住んでいるか皆さんご存知です。そうです、神様は私たちの中に住んでいらっしゃるのです。神様はどこか遠くにいる方ではなく、私たちの中、私たちの心と精神の中に住んでいるのです。また二人、三人と集まるところに、神様は私たちと共にいてくださるのです。ですから、神様は決して遠くにいる方ではなく、わたしたちのみじかなところにおられるのです。 イエス様の復活の出来事ほど世界を変えたものはありません。それは御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。しかし、私はイエス様を信じる者のみが神様のもとにいくことができると言う言い方に抵抗を感じます。まだイエス様の愛、イエス様の愛を経験したことがないと言うひとはたくさんいます。 日本ではキリスト教を受け入れた方は人口の10%もいないのです。かといって日本人は神道か仏教かと言われても、果たしてこれらの宗教の教えをはっきり把握しているでしょうか?神様とはどんな方、神様を信じるとは、私にとってどんな利益があるのでしょうか? 過去10年、わたしは毎年日本に1週間から10日にかけて帰えります。母の様子を見に行くのが第一の目的ですが、小学校時代の友達、高校生時代の友達、大学時代の友達とも会う機会を持ちます。そこでカラオケにも行きますが、このごろはお互いの人生について語り合う、将来への希望、不安なども話し合うのです。まず、毎年最初に聞くことは80歳半ばの友達の両親の健康状態、これからどのようにして両親を見守ってゆくか、ということです。また私の友達の中には、60歳を迎えて退職し、年金で暮らしている同級生も沢山いるんです。そして前には考えられなかったことですが、話のなかに出て来ることは、お互いの残された生涯をどのように生きていったらいいだろうかと心の奥底にしまってある思いをさらけ出して語るのです。友達の一人からこう聞かれました。「おい、岸野、お前さん、牧師だろ、人の命ってどんなものか教えてくれよ。俺、若い時、会社の仲間と毎晩酒を飲んでた。肝臓を壊して、その上、糖尿病でこの頃は食事の制限までされている。3年待って退職するべきか、それとも今会社を辞めて体に楽なような生活をしようと思ってるんだけど、どう思う? かみさんと子供たちからも、「お父さん、自分の体は自分の心の持ち方から始まるんだと言われているんだ」。彼は今度は涙を流して、私の手をとり、言いました、「俺のこと、馬鹿と思われてもしょうがない。でも祈ってくれよ」。彼は今からでもいい。もう一度人生のやり直しをしたいと真剣の思っているのです。誰か神様と言う人を信じたいのです。残された人生を今までの生活からUターンしたいのです。そこで、神様と言う人生の助け、人生のガイド、喜びも、悲しみも、つらい思いを聞いてくださる方が必要になのです。 さてこのキリスト教の一番大切なイースターの日を迎えて、イエス様とはどのような方であるか、もう一度考えてみたいと思います。イエス様は偉大な教師、預言者、そして私を含めキリストに従うものにとって救い主、主なる神様です。聖書によれば、イエスは処女から生まれ、罪のない一生を送り、3年間ユダヤの民の中で暮らし、教え、ユダヤの宗教家、またローマの植民地の監督であったポンテオ・ピラトの下で十字架につけさせられ、陰府に下り、3日目に甦り、天に昇り、全能の神の右に座した方です。 聖書にはイエス様の誕生の何百年も前に、預言者たちは彼が現れることを予言していました。千五百年という長い年月にわたり、多くの著者によって書かれた旧約聖書には、3百箇所以上、イエス様に関係する預言が含まれています。奇跡的な誕生、罪のない生涯、多くの奇跡、死とその死からの開放です。それらすべての預言が真実となりました。イエス様は、自ら、罪を赦す権威があること、悪魔を追い出すことができると主張しました。さらに、自分と神は同一であると公言したのです。神であると宣言したことは、当時の宗教家や、政治指導者を激怒させるに十分でした。そして、彼らはイエス様を、十字架にはりつけにしたのです。イエスは墓に葬られ、その3日後、死から甦ったのです。 キリスト教はイエス様の復活なしには存在しません。もし死からの復活が起こらなかったのなら、キリスト教信者の信仰は嘘に基づくものとなってしまいます。永遠の命への希望は、根拠のないものとなってしまいます。しかし、復活が事実でならば、私たちはイエス様を救い主、そして神として受け入れることが出来るのです。 何世紀にもわたって、イエス様の復活の証拠を研究してきた偉大な学者のほとんどが、今でもイエス様が生きていると信じています。地上での人生と、死後永遠に続く人生は、『あなたにとってイエス・キリストとは?』と言うこの問いに、どのように答えるかによって変わってきます。どうかイエス様があなたに与えようとしている人生が何であるか、それを見出し、その中で永遠に続く神様からの祝福をください。アーメン。     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書15章1-37節 「パッション・ウイーク」とはなんですか?   私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。 今日は教会の暦で枝の日、または英語からの直訳で、棕櫚の日曜日と呼ばれています。今日から来週の復活祭にかけてクリスチャンにとっては一番大切なHoly week、あるいは、Passion week とも呼ばれています。 しかしイエス様と共に神の国の伝道に携わってきた12弟子にとってこれほど憤を感じた、希望を失った、また悲しみと絶望の思いにしたった時はなかったでしょう。かれこれ3年間、イエス様と共に行動をしてきた弟子たちはエルサレムに上り、そこで先祖が毎年守っている過ぎ越しの祭りに参加するのは当然と思っていたでしょう。イエス様は今までに群集に神様の国について語られてきました。それは一番貧しい、肩身の狭い、心の貧しい者こそが最初に神様からの愛の対象になるというのです。それて神を愛するとはお互いを神様の精神を持って会い、助け合うことだと教えられたのです。生まれがどうのこうの、どれだけ財産がある、教養もある、学歴もあるはイエス様、また神様のもとでは “So what”、大切なのは隣人を自分が自分を愛することができるように愛し合いなさいと言うことです。 12弟子の中にはまたユダヤの愛国心に燃え、ユダヤ人の国はユダヤ人で治めたいと思っていたそういう人が何人もいたはずです。それらの弟子は、熱心党という独立開放派との関係を持っていただろうし、イエス様が政治的な解放者であることを望んだのです。しかしイエス様はユダヤ人の開放は政治的より、罪からの開放、神様からの恵みに満ちた人生をお互いがお互いを助け合う中で、神様からの祝福を受けながら生きるということこそが救いであると教えられたのです。 ある人が私にこう言いました。「神様が全能の神様であるならば、何故神様の力でローマ人を追放し、ユダヤ人が将来ずっと平和で幸福な国として続けることをきめなかったのですか」。神様はそれができる方であるのですが、それでは私たちは操り人形と同じです。そうではなく、神様は私たち一人ひとりに神様の愛を心の中に育て、その愛により、世界が一つになってお互いを助け合う世界を願われているのです。 イエス様はユダヤの宗教家によって有罪の判決を受けられました。群衆もそこに加わって、Crucify him, Crucify him と叫んだのです。ユダヤ人は死刑の宣告を出すことが法律で禁じられていましたから、ユダヤの地でローマ帝国の総督であったポンテオ・ピラトの下にイエス様を有罪として処刑するように求めたのです。初め、ポンテオ・ピラトは処刑の宣告を断りましたが、それをしないあなたは私たち味方ではないと言われ、イエス様を十字架による処刑との命令を出したのです。 毎日曜日の礼拝の中で、皆さんと共に宣言する、使徒信条の中にポンテオ・ピラトの名前が出てきます。「主は聖霊によりて宿り、乙女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトの元に苦しみを受け、十字架につけられ、死に葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り、天に登り全能の父なる神の右に座したまえり」 はっきり言って、イエス様を十字架に送ったのはポンテオ・ピラトだけではありません。私たち一人ひとりも神様からの戒律、特に十戒の一つでも破る時、それは大きな罪でも、小さな罪でもイエス様の前では同じで、神様から裁かれるはずなのです。しかしここにキリスト教での大切な神様の愛が法律、戒律をのり越えて、私たちに与えられているのです。イエス様ご自身がすべての人間の罪を背負って死んでくださったのです。 私たちの罪を背負って死んでくださったイエス様は、私たちを赦し、救い、正しく生きるようにと聖霊に導かれて生きる人生を約束されているのです、最後に、次の言葉を聴いてください。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 イエス様は私たちに祝福された王国を約束されているのです。しかし、それは私たちが思っても見なかった姿で来るのです。その国には国境がありません。ユダヤ人とか異邦人と言う差別もありません。その王国では肌の色の違いも人の差別の対象になりません。アメリカ人、ロシア人、日本人、ドイツ人、中国人、アラビア人、ブラジル人、と世界のいたる国の人たちも皆平等です。その神様から私たちに約束されている王国は終わりがなく続く天国です。私たち一人ひとりが行き着く永遠に続く神様の国です。 この受難節の最後の週に、イエス様をめぐっての沢山の出来事があります。この週にイエス様は神殿を清めました。また、イエス様はこのユダヤの神殿が、外国人によって倒されることを予告したのです。確かに紀元後66-70年ごろにイスラエルのに建てられた2回目のエルサレムの神殿が破壊されました。この週にイエス様は弟子たちに迫害が襲い掛かることを語りました。この週にユダヤの宗教のリーダーによりイエス様が逮捕される。それは、イエスさまが、弟子の一人であるユダにより裏切られたからです。イエス様は、弟子たちと最後の過ぎ越しの祭りを祝い、その過ぎ越しの祭りの儀式をイエス様が私たちといつも共にいるという聖餐の儀式に変えてくださいました。ペテロが鶏の鳴く前に3度イエス様を知らないと言われました。 イエス様はローマの総督の命令で鞭打たれ、自分がかかる十字架を背負ってイエス様は十字架につけられる、イエス様は7回短い言葉を十字架の上から語られました。一つの言葉を見てみましょう。これは4つの福音書から出てきた言葉で、最初に、「父よ、彼らを赦してください。なぜなら、彼らは何をしていいかわからなかったからです。(ルカ23:43)死んだイエス様の死体をヨセフという人が受け取り墓に入れた。これでイエス様の生涯が終わりとなると思われたのです。 2番目の言葉は、「あなたは今日わたしと共にパラダイスにいます。」(ルカ23:43)しかしこれがイエス様の最後でないことは皆さんが御存知のとおりです。来週の日曜日はキリスト教会で一番大切なイエス様の復活日です。その前の金曜日はイエス様が十字架にかかってなくなった日でした。しかし全能の父なる神はイエス様を甦えらしてくださったのです。アーメン。 3番目の言葉は、「そこにあなたの子がいます」「そこにあなたの母がいます」(ヨハネ19:26-27)の言葉で、イエス様が、弟子のヨハネにはマリヤを支えることを依頼したのです。これによりヨハネがマリヤを引き受けることになったのです。 4番目の言葉は「わが神、わが神、どうして私をみすてられるのですか」(マルコ15:34)これは、罪人の裁きを受けたことを表す叫びの声です。 5番目の言葉は、「私は乾いている」 (ヨハネ19:28節)で、イエス様は、これを言ったことで、聖書の言葉を成就したのです。 6番目の言葉は、7番目の言葉はイエス様が「すべてが終わった」と言って、イエス様が旧約の言葉に従って死によるすべての信仰者に罪を赦す技を完成させたと言う意味です。 そして最後の7番目の言葉は、「父よ、私の霊をあなたのみ手に任せます」と言って息を引き取ったのです。 イエス様の遺体はアリマタヤのヨセフと言う人がポンテオ・ピラトの元に行き、死体を要求し、岩を掘って作られた墓に収め、墓の入り口に石を転がして閉じたのです。 この時点でイエス様の甦りを信じていた人たちはどれだけいたでしょうか。しかしこれも旧約聖書の中にすでに予言されていたのです。 3日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、父なる神の右に座したまえり。イエス様の甦りがなくては私たちの信仰もむなしいものです。しかし聖霊によりて私たちは神様から信じることができる霊、Spiritを受け継ぐことができるのです。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ヨハネによる福音書12章20-33節『もし種が死ぬなら』”If a Seed Dies”   私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方にあるように。アーメン。 私は、1970年に高校の交換留学生として一年間Redding という北カリホルニア州でホーム・ステイをしました。北カリホルニアはこの南カリホルニアと気候も、文化も、政治的にも色々な違いがありますが、私の住んでいたところは、夏が100度を越す日の多い、また冬は30度のような日が続くところでした。しかし空気も、水も綺麗で,本当に自然に接した生活の所でした。水の澄むサクラメント川はオレゴン、アイダホ、ユタ州からの雪と雨でいつも豊富で、水についての問題は南カリフォルニアに比べたら贅沢なほど恵まれています。 今日の福音書を読んでいた時、特に、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言う言葉が、ああこれはまさにサクラメント川を遡る鮭salmon と同じではないかと思ったのです。 ホームステーをしていた家のご主人のJerry Tuckerさんに面白いものを見せてあげると誘われて行き着いたところはサクラメント川が木の枝のように分かれていたところにこれは、私にとって初めての経験だった、鮭の川登の姿でした。それも何百匹もの50センチから1メーターあるよう鮭たちが川上を目指して一生懸命泳いでいた姿です。これらの鮭はこの川、サクラメント川で生まれたのです。サクラメント川は、San Francisco 湾まで流れていますから、川だけで300マイルの逆流を泳いでくるのです。時には川を泳いでいると言うより、跳ね上がりながら上流をめざしているのです。しかし、その旅は、鮭にとっては、大変な苦労が必要なのです。川上に向けて泳ぐのは大変な労働です。ダムのあるところではコンクリートによる人工の階段が作られていて、そこに川の水が流れています。鮭はその階段を一つ一つは跳ねながら、と言うことは体が傷だらけになりながら、上のほうに登って行くのです。 鮭は自分の生まれた川に戻るのはそこで雌は産卵し、雄が受精させるためです。でもどのように自分の生まれ故郷の川にもどることができるのでしょうか?鳥にしても、蝶にしても、migration と言う北から南へ、または南から北へ、西から東に、東から西にと何千マイルの距離を旅する姿を見ると、これは神様がこのようにすべての生き物に生活の知恵、いやそれどころか、生きるため、命を次の世代に続けてゆく中に計り知れない恵みを感じます。 親の鮭は自分の故里の川に戻ってくる前に5年ほど海で生活してきたのです。鱒も鮭との親戚と呼ばれていますが、鱒は海に出ては行きません。鮭は自分の生まれた川のに匂いを覚えていると誰かから聞きましたが、それは本当です。生まれたその川に成長して帰ってくるのです。どうして自分のふるさとの川が分かるのでしょう。日本では鯉の滝登りと言うことを聞きますが、鮭も川の上流にたどり着いた時にはもう体が傷だらけです。雌の鮭は何百、何千と言う卵をここまで無事に自分の体を犠牲にしてまで、産卵しようという川の水の清らかなところで、鮭として最後の仕事をするのです。 オリンピックのマラソンでゴールまで走り続けることができた選手がゴール・インしたその時すべての体力を使い果たして地面に倒れるように、鮭も産卵、受精させた後の姿は傷だらけ、最後に起こることは次の新しい生命が続くように死ぬことなのです。死ぬことによって次の新しい命が続くのです。もう何百万年以上も前からこのように動物、鳥、魚、昆虫、そして私たちも神様から命をいただき、次の命にバトンタッチするまで、一生懸命生きることを求められているのです。そして今、私たちは神様によって生かされているのです。親から頂いたこの命は何千年,何万年いやそれ以上に続けた命と考える時、私たちは神様の御心がなんと偉大で、素晴らしい、それは神様しかできない計画と思えるのではないでしょうか。 皆さんの中で、「私はいったい何故この世に生まれてきたのだろう」と思われる方、それは私を含めていると思います。私が生まれたくて生まれたわけではありません。しかしここにも神様の私たち一人ひとりに対しての愛が注がれているのです。岸野先生、どうしてそんなことあなたは分かるのですか?と質問されるかもしれませんが、私にとってそれは理屈で考えられることではなく、神様を信じる信仰の中から出てくる私の確信です。 今日の福音書の記事はイエス様が十字架にかかって死ぬ6日前のことです。ユダヤ人たちはこの週にユダヤ人の先祖が、なんとか無事に奴隷として働かされていたエジプトを出てイスラエルに帰ってくることができた、それを思い出し、神様への感謝をこめてのお祭りです。エルサレムはユダヤの方々から、また外国からの人たちでいっぱいでした。その中で二人のギリシャ人がイエス様の弟子のフィリポとアンドレを通して、イエス様にお会いしたいとの願ったのです。その時のイエス様の答えは「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 私がこの説教の初めに皆さんにお話した、鮭の話と一粒の種の話は行き着くところが同じではないでしょうか。一粒の種が畑の地の中に入れられた。それは葬られたと言うことです。死んで葬られた種はよみがえって新しい命を得、そこに若葉、新しい命が出てきたのです。 植物学者によると、すべての種には胚がついています。その胚には電気のスウィッチの “ON” “OFF” のような機能がついていて、ある一定の温度になると種は寝ていた状態から起き出し、成長するようになるのです。勿論そこに水分も必要ですが。種の殻の中で死んでいたような種が殻を割り、根を張り、地面から出てきて、まるで生まれたばかりの赤ちゃんが始めての呼吸をすることでこの世に出てくるのです。 St. Francis of Assisi と呼ばれている人の名前を御存知の方いると思います。この人は平和のための祈りと言う中でこう書いています。”It is in giving that we receive; it is in dying that we are born again.” 「私たちはあげることにより、受け取り、死ぬことのよってよみがえるのです。」   つい最近私に家の玄関の上の柱に小鳥が、巣を作り始めました。雀の大きさですがお腹が赤い鳥でよくピーチク・パーチク鳴いています。少し離れたガラージの軒下では、毎年山鳩のカップルが、これまた何年も前から出来ている巣に戻ってきました。新しい命をそこで誕生させるためです。 オレンジの花が満開で、ミツバチが、花の蜜と交換におしべの花粉をめしべの先につけている。ここにもまた神様の創造した生き物、それは動物にしろ、植物にしろ、鳥にしろ、虫にしろ、神様がこの地球の中で、素晴らしいものを、私たちに見せてくれているのです。そしてこれらすべてを下さっているのは創造主であるわたしたちの神様です。 信仰を持つ私たちは、恵まれています。私たちはこの世で死んでも、永遠に続く命を神様の国で与えられていることを確信することができるからです。 どうか主の恵みと祝福がこの受難節とそれに続く復活節にあなた方の上に豊かにあるように。アーメン。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ヨハネによる福音書 3章14-21節 「神は、それほどまでに世を愛された」   “For God so loved the world”  私たちの父である神と主イエス。キリストによって神の恵みと平安が、あなた方にあるように。アーメン。 ヨハネによる福音書3章16節はクリスチャンの中で、一番知られている聖句です。英語では “For God so loved the world that He gave his only begotten Son, that whosoever believes in Him should not perish, but have everlasting life.”  これは聖書の中のすべてを短縮した言葉とも呼ばれています。神様によって救いが与えられる、神様の愛は宇宙のように広く、神様は世々限りない命を約束してくださっているのです。 今日の説教は 「神は、その独り子を賜ったほどに」 のテーマの中で、いくつかの話を紹介しましょう。最初の話は、Maria Shriver と言う元カリフォルニア州知事のArnold Schotzneger の奥さんだった方の書いた本、  “What’s wrong with Timmy”という話です。 Kateと呼ばれる女の子がある日お母さんと公園に行き、そこであそんでいるうちに、Timmy と言う男の子に出会いました。Kate は遊んでいるうちにTimmy が普通の子と違うと感じたのです。「Timmy の顔がほかのこにくらべて、なにか平べったい、かけている眼鏡はいつも方チンバ、足も少し曲がっていて、ホップ、ホップと歩いてる。どうしてかな。それでも一生懸命バスケット・ボールで遊んでいる。」 Kateは彼女のお母さんにどうしてTimmy は、みんなと違うの聞きました。Kate お母さんは言いました。「Timmyは生まれた時からみんなと少し違って生まれたの。でもKate, あなたお友達になってあげたらどう?」それ以来KateとTimmy は仲良しになり、何の遊びをするときにも自分のチームに入ってもらったのです。誰でも仲間が必要です。神様は、子供だけではなく、私たち一人ひとりはすべての人にあなたの親切さと、仲間意識を与える義務があるのです。「神は、その独り子をおあたえお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 次に、皆さんの知っているBilly Graham が話したことのある男を紹介しましょう。この男には双子の兄弟があり、その弟は大きな犯罪を犯して、刑務所に入れられ、その犯した犯罪のために死刑の宣告を受けたのです。双子の兄は弟が大きな犯罪をおかし、それから逃れないことを知っていました。しかし彼はどうしても弟が死刑に架けられることを考えると心が重くなり、ある日、変装をして双子の弟を監獄に尋ねたのです。双子の兄は監獄の個室に入る前、いろいろ調査をされやっと弟の監獄を独りで訪ねたのです。そして双子の弟に言いました。「着ているものを脱いでくれ、私の服を着てくれ。あまり時間がないから何も聞くな。そして監獄の監視員が監獄の長い廊下を歩いている間に、二人の服をまったく取り替えたのです。さて面会時間が過ぎ、双子の弟は、そこに残った双子の兄を後に、刑務所から誰にも気付かれずに出て行ったのです。死刑の日が来た時、双子の兄はまったく彼に迫った死の宣告について嘆くことなく神様の国に導かれたのです。そんな馬鹿なことがある訳がないと思うならインターネットで調べてみてください。Billy Graham の説教の一つとしてこれが見つかります。 考えててみてください。これは私たちのために死んでくださったイエス様と同じではないでしょうか? イエス様は罪のないお方であったのに、私たちの罪を背負って死んで私たちを救ってくださったのです。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは独り子を信じるものが、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 何年も前のことです。若い息子はお父さんと口喧嘩をして、その結果、家を出ました。彼はお母さんとは連絡を取り合っていたのですが、クリスマスが近づき、自分の家、いや、両親の家に帰りたいと思ったのです。しかしお父さんは僕のことを赦してくれないだろうと、悲しく思っていた矢先、お母さんからの手紙に早く家に帰りなさいと書いてあったのですが、でも僕はお父さんから赦してもらえるまで帰れないと悲しみに沈んでいたのです。 お母さんはまた手紙を出してこのように書いてきました。「お父さんとあんたが帰ってこられるよう話してみます。お父さんがあんたを赦してやると言ったら、こうしましょう。電車で帰ってきなさい。駅の前にある踏切の近くの大きな樫の木があるのを覚えているでしょう。あの大きな樫の木に黄色いリボンが結ばれていたら、それはお父さんが、あんたを赦してくれていると言うこと、だから急いで家に飛んで帰りなさい。でもそこに黄色のリボンが見つからなかったら、それはお父さんがまだあんたを許してないと言うこと。そのときには電車で通り過ぎなさい。目を大きく開いてその黄色いリボンがあるか、ないか探しなさい。Love,お母さん」 息子は言われたように電車で両親の家を目指して帰るその途中、心の中で思ったことは二つのことでした。一つはお父さんに僕は本当に赦してもらえるだろうか? もう一つは、どうしよう、本当に黄色いリボンが樫の木に見出せるだろうか。それが実際あっても見過ごししてしまうんじゃないだろうか。 さて駅に近づいて、電車はスピードを落とします。「ああ、もうすぐ踏み切りの所だ。樫の木が見えてきた。黄色いリボンが見つかるよう、神様、私を助けてください」と。さて樫の木のどこにその黄色いリボンが見つかるかと心配したのですが、「ああ、ああ、樫の木は何百もの黄色いリボンで飾られていた。一つではない、何百ものリボン。お父さん、赦してくれてありがとう。私はあなたの放蕩息子であったことをおゆるしください。 さてこの話を聞いてこれは、 Tony Orland と言う歌手の“Tie a yellow ribbon on an old Oak tree”ですねと知っていた人もいると思います。どんな人にも神様は哀れみと許しを求めるものに必要なものを与えてくださるのです。 最後に、Mary Ann Bird と言う人の書いた “The Whisper Test”と言う本の中からの話を紹介します。私は生まれた時からほかの人と違って醜いアヒルのような存在をどうして私はみんなから嫌われるのだろうと悩んでいました。と言うのは私はcleft palateと言う鼻の下から上の唇が見にくい二つに割れた顔を持ってこの世に生まれてきたからです。学校に通いだした時に私は毎日泣きました。私の顔を見て、お化けのような顔、なんか動物のような顔、どうしたの、事故にでもあった、何で言葉がはっきり云えないのと私は何時もからかわれていたからです。生まれつきです。このように生まれたんですと言うと、お化けのようだと言われ、家に帰って泣いた日も沢山ありました。「ガラスのかけらのあったところで転んで唇を切ったんです」と言ったこともあります。しかしその時も私は心の中で何時も泣いていました。私の家族のほかに私を愛してくれる人なんかいないと長い間思っていました。 私が小学校の2年生になった時、Mrs. Leonard という背の低い、ふっくらした体系の女のやさしい先生が、私の組の担当の先生になったんです。一年に一回わたしの学校では耳の検査hearing testがあり、ひとりひとりがドアの所に立って,先生が言った言葉が聞こえたかどうか調べられたのです。先生はたいてい、『空は青空』とか『あなたは新しい靴はいてる』など言われてそれがちゃんと聞こえているか調べられたのです。私の番となり、なにを言われるかなと思っていたとき、思いがけない言葉が私の耳に入ってきたのです。それを聞いて私は泣いてしまいました。先生はウィスパーでこう言ったのです。 “Ann, I wish you are my little girl.” 「アン、あなたが私の小さい娘だったらな」。神様であるイエス様も私たちにこう言ってくださっているのです。  “You are my son!  You are my daughter! You are my child!” “I love you as you.” 「神はその独り子をお与えになったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。アーメン。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ヨハネによる福音書 2章13-22節 私たちの父なる神から、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。 今日の福音書はイエス様が、イスラエルの首都であり、またユダヤ教の一番大切な神殿のあるエルサレムに、過ぎ越しの祭りの行事に参加するためにやってきたと始まります。過ぎ越しの祭り、それを英語ではPass overですが、これはユダヤ人にとって一番大切なお祭りです。 アブラハムの子孫であるユダヤ人たちは、昔、神様から与えられたイスラエルの土地から飢饉を逃れるためにエジプトの地に移りました。初めはこの外国の地の中で平和に生活ができたのですが、400年の長い間住んでいるうちに、ユダヤ人はエジプトに住む外国人として人種差別を受けるようになり、奴隷として働かされたのです。男は煉瓦作りのような労働、女は農耕作に借り出されたのです。 しかし神様はモーセをユダヤ人のリーダーとして選び、エジプトの王様にユダヤ人をイスラエルの地に帰らしてくださいと頼んだのです。奴隷がいなくなるとは働き手がいなくなることですから王様はユダヤ人がエジプトから出ることを否定したのです。神様は十の災害、それは、川の水が血に変わること、蛙の災い、蚋の災い、アブの災い、疫病の災い、腫れ物の災い、雹の災い、蝗の災い、暗闇の災い、そして最後に男の初子の災害を送ったのです。これら一つ、一つの災害がエジプト人に押しかかった時、そのたびに王様は「こんな災害があってはたまらない、お前たちユダヤ人は出て行け」と言ったのですが、ユダヤ人たちがエジプトの土地から出ようとした時に、王はひらきなおって、「いや、お前たちはここを出てはいけない」と引き止めたのです。それが9回続いて、最後の初子を襲う災害の前に神様はユダヤ人にこう命令したのです。 「あなたたちは傷のない子羊を殺し、その血をあなた方の家の戸に塗りなさい。そうすると血の塗られている家の戸があるところには災害がはいらず、そこにいた男の赤ちゃんは救われる』と。それをしなかったエジプト人の家にはこの死の霊が入ってきて男の赤ちゃんの命を奪ったのです。なんと怖い、きみの悪い話ですが、神様の言葉を守ったユダヤ人の家には、死の霊が入ってこなかった。これを「過ぎ越しの祭り」としてユダヤ人は今でもこの習慣を覚え、神様の恵みを感謝しているのです。 イエス様の時代にはすべてのユダヤ人に過ぎ越しの祭りをエルサレムで経験することが義務ずけられていました。ルカによる福音書2章によると、イエス様は毎年家族と共に、過ぎ越しの祭りにナザレの町からエルサレムに行っていました。片道だけで70キロほどの道のりを5人の兄弟姉妹もマリアとヨセフと共に埃だらけの道を歩いて行ったのです。過ぎ越しの祭りを終え、ナザレに帰る途中イエス様の両親がイエス様がみんなと家路の中にいないことに気がつき、エルサレムに帰ってみると、イエス様は会堂の中でラビや律法学者と共に聖書の中に書かれていることに討論をしていたと書いてあります。マリアとヨセフはこれを見て、イエス様は本当に神様の計画の中でこの世に送られたものと感じたに違いありません。 さてイエス様の時代に行われていた過ぎ越しの祭りの様子はどのようなものだったかを聖書の言葉の中で考えて見ましょう。ユダヤ人は神様から選ばれたアブラハムをイスラエルの家長としてイスラエルの地に送り、何世代もかけてユダヤ人の国、イスラエルを築きました。しかしイスラエルに何年にも亘っての飢饉が襲い掛かり、エジプトの国まで食料を買いに行ったのです。 これまた長い話になりますが、ヤコブと言う12人の息子を持つユダヤ人、この人はイサクの双子の一人ですが、そのうちの11番目の息子、ヨセフは何時も「私は父ヤコブに一番愛されている」と自慢をしていたことから兄弟たちに嫌われ、ある日穴ぼこに落とされそこで死にそうになっていた時、らくだの商隊に助けられ、エジプトで奴隷として売られたのです。しかしこのヨセフは夢を解読できる能力を持っていたため、たまたま悪夢で悩まされていたエジプトの王様の夢を解読することによって、今の農林大臣のような位を授けられたのです。 聖書は読めば読むほど面白い。と言うのは聖書の中の物語を読むことによって神様の私たち、それはユダヤ人だけでなく、すべての人間に対しての愛を感じることができるからです。しかしそのことが良く分からない、ですから分かるまで教会の礼拝には出席しますが、洗礼を受けるのは今ちょっと待ち、よく分かるようになったら洗礼を受けましょうという人が多いのです。 それは皆さん自身が決めることでこちらから、どうのこうのと言うことはありません。しかしこれだけ知ってください。私たちは神様と神様からの救いの約束というものが良く分からなくても、イエス様に従うとは、神様であるイエス様を信頼し、神様から本当に愛されているものであることを知ることです。 イエス様への信仰は、神様と私という個人的な関係の中で生まれると言われて最もですが、イエス様への信仰は、イエス様を信じる人たちの関係に私たちが結ばれることにより生まれてくることもあるのです。 さて過ぎ越しの祭りの話に戻ります。神様がエジプトで奴隷として何百年も暮らしていたユダヤ人がモーセと言う神様から選ばれたユダヤ人に導かれてエジプトから出る記事が旧約聖書の出エジプト記と言う章の中で書かれています。十回に渡る災害を受けたエジプト人、エジプトの王様はとうとうユダヤ人にエジプトを出て行ってもいいと言い渡しました。しかし、過去に、この王様が何時も心変わりをして、ユダヤの民をエジプトから出させてくれなかったということが多く続いたため、モーセは王様の心変わりがおこらない前に速やかにエジプトを出ようとユダヤ人に伝えたのです。しかし食べ物は旅にとっては必要です。とにかくパンを持っていかなければならない。しかしパンを焼くその時間も惜しい。だからパン種を入れないでパンを焼き、それを持って、急いでイスラエルの地に戻りましょうと、そこにいた何千人、何万人、あるいは何十万人のユダヤ人を引き連れてユダヤの地を目指し出て行ったのです。ところがある所に来た時、そこに川があった。そこには橋など架かっていない。エジプトの川ですから、そこにはワニもカバもいたでしょう。私が思うにそれはRed sea と呼ばれたところだったでしょう。さてどうやってここを渡ろうかと考えてきた時、後ろを振り返ってみると、エジプトの兵隊たちが、馬に乗って近づいて来たのです。またエジプトの王様は心変わりしたに違いがない。どうしたらいいだろうかと考えている時、モーセは同胞のユダヤ人にこう言いました。 「あなた方は恐れてはならない。落ち着いて、主が今日、あなた方のためになされる救いを見なさい。今日、あなた方はエジプト人を見ているが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう」と。モーセは主に命じられた通りに杖をあげ、手を海の上に差し伸べてそれを分け、それによって、イスラエルの人々に海の中の乾いた地を進むことが出来るようになったのです。 ユダヤ人がこの水を通り抜けた時、エジプトの兵隊たちが川の向こう側までやってきました。川の水が、せき止められているのを見て恐ろしさを感じたのですが、そこに入っていきました。しかし、水は元に戻り、兵隊はみな水死したのです。このところはCharlton  Heston と言う映画俳優がモーセの役をした十戒という映画を見て思い出している方も多いと思います。さてユダヤ人はエジプトから脱出ることが出来たのですが、その後まだ40年にわたってシナイ山のある荒野の土地にとどまらなければならなかったのです。その理由は、何世紀にもわたってエジプトの土地で生活してきたユダヤ人は彼らの土地をほかの民族に占領されていたからです。しかしこの荒野の時代に、神様はモーセを山上に呼び、そこで十戒というユダヤ人が守るべき戒めの戒律を受け取ったのです。 さて今日の福音書に戻り、イエス様はエルサレムの神殿の所で生贄の捧げ物として売られていたところや、外国のお金を両替していたそのテーブルをひっくり返して、怒りながらこう言ったのです。「これらのものを持ってここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」。  ユダヤ人は神殿で彼らの救いのため、神様にささげ物をする習慣がありました。しかしそれらのささげ物となる動物、鳥などを遠いところから持ってくることはできなかったので、神殿のあるところで、両替所、また、神様に犠牲としてささげる、牛、羊、ヤギ、山鳩などを売る所が出てきたのです。それも神殿のまん前でそこが騒がしい所、うるさい所と変わってしまっていたのです。神殿はユダヤ人にとって祈る場所であり、イエス様はこの乱れた神様の家を見て、憤りを感じたのです。だからこそ、イエス様は縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金を撒き散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに、「私の父の家を商売の家としてはならない」と叫んだのです。 私の父の家と呼ばれた神様の神殿、また私たちの教会、礼拝をするところで、イエス様との祈りによる対話、賛美、聖書を読むこと、そして神様に従う私たちになれるような態度以外の思い、行動は慎まなければなりません。もちろん、赤ちゃんが泣くとか、心に重荷のある人が、泣き出すこともあります。しかしこれは例外です。あくまでも礼拝は私たちが、イエス様、神様との対話の時であり、その中で神様の霊を感じる、受ける時です。 最後に、わたしがイエス様とユダヤの宗教のリーダーが衝突した理由が分からないわけではありません。イエス様が、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる。」とユダヤのリーダーに語った時、律法学者、祭司、ユダヤの宗教を司どる人達は何と生意気なことを言うやつだと思われたに違いありません。しかしイエス様の三日で神殿を立て直すという言葉は後にイエス様が十字架にかかった後、三日目によみがえると言うことはその時、誰も分からなかったのです。 私たちの体にも精神にも、同じように神様の聖霊が入ってくることがあるのです。今すぐに本当に神様が私たちの体、心に入るのですかと疑問を持つ方もいられるかもしれませんが、それは信仰生活の中で私たちが、感じることこそ奇跡です。私はイエス様の聖霊に触れました。今神様が私と共にいらっしゃることを心の中で感じています、信じます、と言う時がイエス様を慕う私たちの生活の中で何回も、何回も感じられるようになるのです。それこそイエス様を信じる、イエス様を神様と認める私たちにとって喜びであり、慰めであり、これからもイエス様に支えながら生きていこうという信仰に燃える私たちになることができるのです。 信仰をどのように定義するのは難しいのですが、イエス様を信じ、イエス様に従う生活の中で私たちは何回も、何回も、何回も、何回もイエス様、神様の恵みと救いの経験を私たちの人生の生活の中で知ることができるのです。どうか、主イエス。キリストの霊が、皆様と共にありますよう。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書8章31-38節 「受難節に思うこと」  “Pondering on The Season of Lent” 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように、アーメン。 キリスト教の暦は11月の末から12月の初めに始まる4週間の待降節、英語でAdvent Season で始まり、クリスマスはイエス様の降誕日、それを祝う短い降誕節、そして1月の二週間目に、顕現節、英語ではEpiphany Season と言う1ヶ月にわたるシーズン、そして二月の終わり3月の初めにかけて受難節、英語でLent と言うシーズンに入ります。この受難節を終えるとイエス様がろばに乗ってエルサレムにユダヤ人、いやそれ以上に、人類の救い主として入城する枝の主日、英語で言う、Palm Sunday を迎えます。この枝の主日と言われている日曜からイエス様は弟子たちにご自身のこの世に送られた理由、それは、人類の救いのために神様であるイエス様自身が、私たちの罪をご自身が背負って十字架による死の道を選ばれたことです。罪を持たない神の子イエスが、私たちの罪を十字架による受難によって、私たちが神様と共に天国で生きられるようその道を整えてくださったのです。勿論父なる神は十字架で死んだイエス様を生き返らしてくださった。それがイースター、復活祭の約束です。。 イエス様に従ってゆく信仰を持つクリスチャンの私たちは毎年このような教会の暦の中に神様の私たちに対しての愛、それを聖書、説教、Bible study の中でお互いに心の中に受け入れてゆくのです。私たちの神様、イエス様に対しての信仰は聖書の中での神様の言葉を聞くこと、祈ること、お互いを大切にかかわりあってゆく中で大きくなることを経験するのです。  これは私の経験で知っていることなのですが、教会の暦と言うことにあまり関心を示さない教会が多いのです。例えば今このシーズンが受難節、あるいはレントの季節であると言ってもそれが何のことか分からない、いやそれが何であるかを知らないと言う人たちも多いのです。イエス様の復活のイースターは皆さんご存知ですが、イエス様の復活、私たちの永遠の命の約束も、イエス様がこの受難節の中で読む聖書の話、イエス様が私たちの罪をご自身が背負って十字架の上で死んでくださったという事実を私たちの心の中で感謝の思いで受け取るからこそ、私たちは喜びの心で復活祭を祝うことができるのです。 ところで話は変わりますが、イースターは、Candy storeにとって、とても忙しい時です。イースターはまだ一ヶ月以上先のことですが、Riverside のSee’s Candy Storeでは、すでに、イースター・バスケットの中に、チョコレートの卵、ウサギが入っているものが売り始められています。またチョコレートの十字架もあるよと誰かに言われたので、ウエブ・サイトで Chocolate cross と捜索したら、本当にイエス様が十字架にかかった姿のチョコレートが出てきたのです。 例えこれを貰ったとしたらどうしたらいいのでしょうか? 十字架は甘い物のシンボルではありません。多くの人が十字架を装飾品として使いますが、十字架は、あくまでもイエス様がそこに釘で打たれて架かった、死に至る苦痛の道具です。 今日の福音書9章31節に書いてあります。イエス様ははっきり言いました。「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。そして、殺されて三日の後に復活する」と。弟子たちはこの言葉がわからなかったが、怖くて尋ねられなかったのです。 イエス様の弟子として、3年一緒に暮らしてきた12人、イエス様の権威のある教えを聞きました。イエス様の癒しを彼ら自身の目ので見て来ました。また聖書には、沢山の人が、イエス様に「私を哀れんでください」、「わたしに人間として生きる誇りを与えてください」 「私の死にかけている子供を助けてください」ひざまずいたシーンを見てきたはずです。 しかしイエス様に従うことは肉体も精神も、また物質的にも恵まれる、生活が優雅になることだと思ってきた人たち、それは12弟子の中にもいたのです。。これでは十字架もチョコレ-トのようなお菓子となってしまうのです。1970年代、わたしが、神学校で勉強をしていた時、Pierre Bertonと言う人が、”Comfortabを持つことは、自分たちの生活が、楽になる、居心地がよいものになる、まったく毎日が、晴天の続く毎日のようになることだと書いているのです。今でもそのようなことを言うクリスチャンもいるのです。その人たちは、イエス様に従うと言うことは自分の人生がcomfortableになると主張するのです。 「私の教会に来て、私の説教を聞きなさい。どうすれば神様から素晴らしい人生が与えられるか教えてあげよう。イエス様に従うことは人生の悩み、悲しみがなくなり、平和の人生が送れるようになる。あなたの結婚生活も良くなります。物質的にも恵まれるようになる。イエス様に従うことで、生活も安定する。そしてハレルヤと神様を賛美するのです。このような教えはProsperity Theology 、日本語では、繁栄、成功の神学と言って本当のキリスト教の教えではありません。 では何が本当のイエス様の教えなのですかと皆さんから聞かれて当然です。難しいことを言うつもりではありませんが、この言葉を聴いてください。それは北森先生という神学者、この人は、日本キリスト教団と日本福音ルーテル教会の神学校の両方で「神の痛みの神学」と言う題のもとに神様の私たちに対しての救いを熱情をこめて教えられた方です。 神学校の授業とは言わないまでも、今ここで、「神の痛みの神学」ってなに?と言うことを皆さんにお話したいたいのです。この天地万物を創造された神様、私たち人間をお造りになった神、つまりあなたの造り主なる神様は、どこか遠くにいて、ちっぽけな私たちの痛みなど、感じることもできないお方ではなく、私たちが苦しむ時にはともに苦しんでくださるお方だということです。 私たちは、自己中心な故に、自分の喜び、自分の痛みしか感じることができず、他人の痛みを感じることが中々できません。その結果、喜ぶものと共に喜ぶことができず、泣くものと共に泣くことができません。しかし、イエス様はこの自己中心の私たちをも愛してくださっているのです。 イエス様はこう言うって下さっています。「あなたの心がいろいろな悩みで悲しんでいる時、経済的に苦しんでいる時、人間関係がうまく築かれないで、一人ぼっちで寂しい時を過ごしている時、私はあなたの心の中をすべて知っています。でも、ただ知っているだけでなく、あなたは私の大切な人。みなさんが、人生でのトラブル、孤独感を感じている、でもそんな時こそ私、イエスはあなたを力づける私の聖霊によって見守っているんですよ。愛しているんですよ。あなたの痛みは実は私の痛みでもあるのです」と。 私が1975年にアメリカの神学校に入学する前、日本でのルーテル教会の籍をアメリカのボルチモアにあるSt. Paul Lutheran Church に移しました。その教会はボルチモア市から出たすぐ近くの教会で、その当時、白人の会員がほとんどで、2家族ほどの黒人の家族がいただけです。しかし、ボルチモアはすでに、その時80%の人口が黒人の教会で、人種差別の問題が続いていました。しかしそれはアメリカの大きな都会では皆同じだったと思います。 皆さんの中で、今年のアカデミー賞を見た人いますか? “The help” と言うアメリカの南部の地で黒人の家政婦さんが白人の家庭に入って子供の世話をする、部屋の掃除、食事の仕度と朝早くから夕方の7時ごろまでする風景を描いた映画です。もちろん1960年代の人種差別の中の問題を描いた映画で、黒人のヘルパーたちがいかに不当な扱いをされていたかと悲しくなるシーンも沢山ありました。 このようなアメリカの人種差別の問題はいたるところ、それは日系アメリカ人も経験してきたことです。1955年、バーミンガム、アラバマ州でRosa Parks さんと言う黒人の女性がバスの中で黒人が座ってはいけない席に座り、運転手が、そこは白人だけの席、立ちなさいと言う忠告を無視した為無理やりに席から引きずり落された事件が起こったのは皆さん知っているでしょう。60代も半ばを越したRosa Parks さんは、後にこの事件についてこう書いています。 「私が法律で決められていた黒人、カラーと言われる人間が、白人用の席につけない、なぜなら白人用と指定されたその席に座った日に何も考えていませんでした。私がその席に座ったのは、その日、わたしは非常に疲れていたからです。しかし不思議にも私がその席を立たなかった理由はその時恐れると言う思いが私の心の中に少しもなかったからです。あったのは私は神様のイメージで作られた人間ですと言う誇りだけでした。  Miss Rose Park said, “It was time for someone to stand up – or in my case, sit down. So I refused to move.”「この場合誰かがこの差別に対して立ち上がる時期だったので私は座って居て席を立つ事を拒否しました。」 イエス様に従った生活をしてゆくことは私たちがクリスチャンとして求められていることです。私たちは自分の時を使って奉仕のする事を心がけましょう。他人を助けるその時、私たちはそこにイエス様の顔を見ることができるのです。 受難節とはクリスチャンとしてイエス様についてゆくとはどういうことなのか、またそれはどのような私たちの行動の中で表していくものかを考え、実行する時であると思います。それが何であろうとイエス様が私たちと共にいてくださることを知って、聖霊の助けにより神様のみ技ができるように祈ります。アーメン。       Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 創世記9章8-17節「虹の行くて」     “The end of Rainbow”  私たちの父なる神、主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。 今日の説教をはじめるにあたって、私が小さい時よく歌った童謡があります。たぶん皆さんも知っていると思います。「雨雨降れ降れ母さんが・・」と言う歌です。どうぞ私と一緒に歌ってみてください。 「雨、雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、ピチピチ、ジャブジャブ、ランラララン」。雨が降ると外で遊べないけれど、水たまりに足ふみをして遊ぶのも面白かったわけです。でもお母さんに叱られました。「ゆうちゃんだめよ、どろんこになっちゃって」と。 雨と言うと、もう15年前ですが、家内とハワイのカワイ島にバケーションで行ったときの雨の思い出があります。世界のうち一番雨の降る量の多い所はカワイ島で、それも島全体にというよりは、島の一番高いところで、そこでは殆ど毎日にわか雨のような激しい雨が降るのです。Internet で調べたところカワイ島では一年に平均1200㎝、460 inches の 雨量があるのです。 ヘリコプターに乗り、島の全体を空から見ることにしました。カワイ島はJurassic Park と言う怪獣の映画の撮影場で知られたところで、素晴らしい滝がいたるところにあると聞いていました。ヘリコプターに乗った時には、晴天の素晴らしい日でしたのでそれは見られないで残念と思っていた矢先、黒い雲に包まれて風も激しくなって、ヘリコプターもがたがた震えだしたのです。ヘリコプターのパイロットは今度はぐっと高度を上げて雲の上に出ました。パイロットは言いました。ここでしばらく待ちましょう。雨はすぐやみますから。初めてのヘリコプターでこんな怖い思いをしてはらはらしていたところ、雨は急にやみあがり真っ青の空が出てきました。それと同時に島のいたるところで滝が水しぶきと共に見られるようになり、一番素晴らしい光景は、滝の上にかかった大きな虹の姿で、それもいたるところに同時に出たのです。 今日、受難節の第一日曜日の旧約聖書の日課はノアの箱舟の話です。この話は、アメリカでは小さい子供も知っています。子供たちもイエス様の誕生の物語の次によく知られている聖書の話と聞きます。ノアの箱舟は神様に従うよき人々、それはノアの家族、そして神様の創造されたすべての動物のペアを箱舟に入れて洪水から救おうと言う物語の反面、神様に従わない人間たちをすべて滅ぼすという恐ろしい背景のある物語であり、そのところを強調するならば、子供たちに向かない物語なのです。40日間に亘った洪水で地上がすべて水に囲まれ、ノアの箱舟に入っていたノアの家族、そこにいた動物だけが洪水が終わって救われたのです。勿論ノアが箱舟を作り始めた時、人々は彼をあざけって「ノア、お前は馬鹿なやつ、洪水で人間が滅ぶなんてそんなことはありえない」と言ったはずです。 さて教会によっては聖書を文字通り読み、地球の表面すべてが、ノアの箱舟の話のように水で覆われたと信じる人もいます。私がテキサスで何人かの牧師さんたちと聖書の物語をどのように解釈するかと言う討論会に出た時、勿論地球は、神様の裁きによってすべて水に覆われたと信じる牧師さんたちが多いのを思い出します。つまり、ノアとその家族だけが、正しい人たちで、箱舟で救われたが、ほかのすべての者は皆神様を信じなかった悪人だったというのです。 ノアの箱舟の話は、わたしは善人、あるいは、悪人という定義を話すのではなく、神様はこの話を使って神様に従ったノアとその子孫、それはユダヤ人だけでなくすべての人を救う方であるとはっきり言いたいのです。 今日、このノアの箱舟の舞台になったであろう今のチグリス川、また、ユーフラテス川はペルシャ湾に行き着く古代の文明の発祥地です。特にこの二つの川はペルシャ湾に到着するころ並行して流れています。これらの川の川上で大きな嵐があったのは歴史的にも知られています。考古学の学者は大きな嵐があった時に川下、今のイラクのペルシャ湾に注ぐ地域、それはチグリス、ユーフラテスの間にある地域がすべて川の洪水に飲まれた時がありました。聖書にこの箱舟の話の後、出てくるの話はアブラハムが今まで住んでいたウルというまさに洪水を何回も何回も経験している地からカナン、つまり今のユダヤの国に行きなさいとの啓示を受けた話です。 さてノアの話に戻り、彼は神様から言われたことをすべて行ったのです。近所の人たちからからかわれたでしょう。フットボールのコートのような大きさの船を作り始めた時ノアは、いったい神様の言われる洪水が本当に来るのだろうかと疑問をもったと思います。しかし大切なことは、彼が疑問を持ったにしろ、神様の命令に従ったと言うことです。それは神様を信じる信仰です。これは私たちにも言える、大切な信仰の概念ですので、もう一度言います。 私たちは神様に対していつも疑問を持っています。神様に、何故、どうして、何で神様、そんなことがありえましょうかとの疑問です。しかしながら、信仰とはそれ以上に神様を信頼して神様に従う。それが信仰の態度なのです。 ノアについて言うならば、「ノア、お前はこれから起こる洪水でお前とお前の家族そして地上のすべての動物、鳥、を救うために箱舟を作りなさい」 という神様の命令に従ったのです。 40日間に及ぶ洪水が終わり、箱船の中の生き物がすべて救われたその時、神様は虹を作ったのです。虹を見ると素晴らしい、綺麗だ、どうしてこんな美しいものが、まだ太陽が輝きながら、しかし雨上がりの時に出るのだろうかと不思議に思います。ハワイでは、毎日見ることができる虹ですが、普通私たちが虹を見ることができるのは一年のうち5,6回でしょう。しかし、この虹を見る時、神様が「これは私とあなた方の間に結ぶ契約である」 と言われたその神様の言葉と私たちを愛してくださっている、また、神様は私たちを見捨てないという約束を思い出してほしいのです。 私たちの教会では毎日曜、イエス様の聖餐を受け取ります。これはイエス様の体を現すパンとイエス様の流された血を顕わすぶどう酒、あるいはぶどうのジュースを私たちの5感、目で見ること、手で触ること、口の中で、味わうこと、においを鼻で感じることによりそこにイエス様がいるんですよと経験するのです。私たちはこの5感を持ってそこにイエス様がいらっしゃることを知るのです。 虹が神様の私たちへの救いのシンボルであるように、聖餐はイエス様こそ我らの父なる神と信仰告白する私たちに与えらた、喜びの行事です。またこの神様が私たちと共にいらっしゃる喜びは、私たちの信仰生活の中でイエス様に従う弟子として生きる力を与えてくださるのです。 ああ、虹について一つ言い忘れたことがあります。と言うのは皆さんのうちに、晴れた、晴天の日に出る虹を見たことのある人、いらっしゃいますか?もちろん、答えは 「NO」で晴れている日に虹は出てこないのです。空に大きく虹が出てくる時は大雨、嵐の後です。雷の大きなゴロゴロとの大きな音と稲妻のピカットと光る嵐の後です。 同じように、私たちの人生も嵐に襲われることがあります。しかしイエス様に従う信仰を持った者に、神様は嵐の後に素晴らしい虹を与えてくださるのです。わたしたちが、思い悩むその人生の難しい時を過ごさなければならない時もあるのです。その後に神様の大きな、私たちに対しての思いやり、神様の恵みが下ってくるのです。人生が自分の思うままに暮らされている時、虹は私たちの目の前には出てきません。 難しい人生をとうして、信仰が揺さぶられた時、そこに神様の恵み、哀れみ、神様の愛が心の奥底まで私たちに賜物として与えられるのです。 最後に皆さんに質問したいことは、虹の行き着く所には何があると思いますか?アメリカ人はそこに “ Pot of Gold”、金貨のたくさん入った壺があると言います。 私はそこに神様の恩恵 Graceが見出されると信じます。 いつかまた虹を見た際には、どうかそこで、神様の愛があなたに何時も与えられていることを心の中に感じてください。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書1章40-45節「イエス様、清めてください」 “Jesus, Make Me Clean” 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたの上にありますように。アーメン。 ここにいるお母さんたちに質問します。子供たちがまだ小さかった時、「お母さん、私を抱いて」あるいは「ママ、抱っこしてよ」と言われた時、なんて答えましたか?答えは「おいで、だっこしてあげるわよ」ではなかったでしょうか? ところで、同じ息子、娘が公園の砂場で砂と泥んこのお団子を作っている。そのお団子をもってきた汚れたままの手で、「ママ、抱っこして」と言われたらどうしますか?「触らないで、お手手洗いなさい、きれいになったら抱っこしてあげるから」ではなかったでしょうか?小さい子供はどうも好んで泥んこの中で遊ぶのが大好です。それは私も同じでした。私の通った幼稚園は毎日男の子でも、女の子でもエプロンを着て、幼稚園に行ったのです。 泥んこの子供を抱き上げるのは少し抵抗あると感じるお母さんも、転んで、怪我をした、ひざから血が出ている、そのような娘、息子が、泣きながら「ママ、抱っこ」と走って来た時自分の服が汚れるなんて思わずに、すぐに、息子さん、娘さんを抱きしめたのではないでしょうか?また、「お母さん、私ころんで怪我したの、血が出てる。痛いの。この痛い、痛いを治してちょうだい」。そして、お母さんの腕の中で抱かれると、いやなこと、痛いこと、悲しいこともすべて取り去られるよう感じなんです。オキシフルとマーキロを塗ってもらってもう良くなる、大丈夫だと子供心に安心したのです。 今日与えられた福音書の記事を読んで、ハンセン病で心も体も傷ついているこの男と怪我をしてお母さんと呼んで助けを求めた子供、そこに共通点があるのです。あなたの慈しみによって私を治して下さいという願いです。 最近は人を差別すような病気を口に出したらいけないと言われているので、この話に出てくる男の病気を英語では “Hansen’s disease” と言います。この男、イエス様に、「私の病気を治してください」とは言わず、「私を清めてください」と言ったことに気がついた人もいると思います。それは同じことと言われるかもしれませんが、この男がそう言った理由は、ハンセン病」はこの人に肉体が朽ちてゆくという問題を与えていたわけですが、彼の「清くない」状態は神様からも見放されていると言う意味があったのです。 このハンセン病は4千年前にそれに似たような病気として記録されています。症状はと言うとはじめに目頭と手に白い斑点が出てきてそれが体中に広がるのです。髪の毛は色素を失い、白くなる、そして鱗のような物ができてそこから膿が出てくるのです。しかしそれは皮膚の表に関したことであって皮膚の下では、神経が侵されるようになり、次第に痛みも、かゆみも感じなくなるのです。石につまずいて、足の親指を怪我したにもかかわらず、痛みを感じない、かなずちで釘を打っていた時、間違えて親指を打ってしまった。それなのに痛みを感じられないのです。 インドのハンセン病人の隔離された施設には手の指、足の指のない人が多い、その理由はと言うと、神経を侵された手と足の指は彼らが夜寝ているうちに、ねずみに食いちぎられたからだと言われています。耳も、鼻も腐った果物のようになり、最後には目も犯されてしまうのです。 実際には、ハンセン病に罹ったものは、皆から村八分にされたと同じです。人に近寄ってはいけないし、同じ家には住めません。洞窟のようなところで他のハンセン病の人と共同生活をしていた訳ですが、その仲間らも、一人ひとりこの病気に呪われるように死んで行くのです。食べ物はと言っても畑仕事をするところもなく、道端で物乞いをし、時々投げ出された食べ物によって一日、一日を夢も希望もなく心の悲しみから抜けきれない毎日を送ったのです。 きっと、家族の元に返りたい、一緒に食事をしたい、一緒に安息日に会堂に行きたい、そこで神様に感謝したい、友達と抱き合って喜びの思いを分かち合いたいと思っていたに違いありません。この病気の初期には両親もある距離を保ってこの病気の男を時々訪ねたでしょう。しかし病気が進んで行くと、家族の人たちも来くなる。お母さんだけが月に一回ほど何か食べるものを持って来てくれた。しかし今ではだれも尋ねてくれない。 そんな希望もなくなっていたある日、福音書の中に描かれているハンセン病の男はイエス様が街に来ていると聞いたのです。このイエス様は自分を神の一人子と呼んでいる。イエス様は病気の者を癒し、歩けなくなっていた者を歩くことができるようにし、目の見えなかった者の目を見えるようにした。 マルコによる福音書の1章40節に、こう書いています。一人のらい病人がイエス様のところに願いに来てひざまずいて言った。「御心でしたら、清めていただけるのですが」。私が思うに、彼は「私は神様を礼拝したい、賛美したい」。「私は神様の人々の一人になりたい」「私は会堂に行ってみんなと共に神様に賛美の歌を歌いたい」。「私は私の手でほかの人たちに触れてみたい」。「イエス様どうか私を清めてください」。イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われたのです。私は思うのですが、神様は悲しみに浸っている人、希望のない人、家族も友達もない人、泣いている人の中で、神様と密接な関係をもてるようにと、私たちに呼びかけているのです。 ハンセン病、また同じようにAIDS と言う病気にかかっている人、精神的に苦しんでいる人、handicap を持っている人、家族と別れて、老人ホームで寂しい思いをしている人、世間から見放されて生きていると思っている人たちを私たちの祈りの中に覚えるのです。それは神様が私たちに下さった思いやりの精神です。私たちは、一人ひとりが福音を宣べつたえる者として世に送られていることを覚えてお互いを大切にして生きていかなければなりません。 今週の水曜日から1週間日本に帰り、母と共にいる時を持ちます。老人ホームから手をつないで、ゆっくり歩いて、駅前のお店で、おしるこを食べながら、昔のことを話すことになるでしょう。今のことが良く分からない母ですが、昔のことは良く話します。私の小さい時、母の家族が疎開した富山の魚津と言う漁港町に毎年の夏休みに行きました。蒸気機関車の時代です。汽車とプラット・ホームに大きな隙間があり、汽車から降りる時、6歳の私はそこに落ちてしまったのです。今でもそのことは私の怖かった思いとして時々思い出します。母の叫びも忘れられません。「助けて、助けて、息子がプラット。ホームから落ちました。助けてください」と。プラット・ホームに引き上げられた時、母が興奮して泣いていたのも覚えています。そんなことお母さん、今でも覚えているかな。父が亡くなって一年半たちましたが、今でも「お父さんこの頃見ないよ」どこにいっちゃったのかしらと言うその母に少しでもいっしょにいて親奉公をしてあげたいのです。ホームの人たちからは「お宅のお母さん、いつも礼拝にいらっしゃいますよ。讃美歌を歌うのがとてもお上手です」。と言われています。本当だ、お母さんと讃美歌歌おう。 最後に、ここで言いたかったことは私たちも一人で孤独にならないよう心がけましょうということです。人と人の触れ合いを大切にしましょう。それは今教会の中で、一緒に聖書を読むこと、一緒に祈ること、一緒に食べること、笑うこと、一緒に悲しい時も祈りで過ごすこと、そして、イエス様は本当に大切な私たちの仲間をここでくださっているのです。ですから、お互いに喜びと苦しみ、悲しみを、共に分ち合うことのできる私たちになれますよう導いて下さい。あなたが私たちに下さった家族、友達、信仰の仲間を大切にして生きていけますように。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace